Yahoo! JAPAN

5日で世界遺産登録10周年の「橋野鉄鉱山」 高炉場跡で見学路整備に伴う発掘調査実施中

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす


 釜石市橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山」は、明治日本の産業革命遺産(8県11市23資産)の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されてから、明日5日で10周年を迎える。資産範囲となっている採掘場、運搬路、高炉場の3遺跡のうち、一般公開されている高炉場跡には国内現存最古の洋式高炉の石組みが残る。現地では今、見学路の整備に伴う発掘調査を実施中。6月28日、その成果を紹介する説明会が開かれ、午前と午後合わせて計30人が足を運んだ。

 5月21日から始まった発掘調査は、大門跡から三番高炉跡に向かう途中の砂利道部分で行われている。昭和初期に国有林に向かう道路を盛り土整備した場所にあたり、調査は4つのポイントで実施されている。担当する市世界遺産室、髙橋岳係長が説明した。

調査箇所① 大門礎石周辺 黄丸の部分を深く掘ってみると、ノロかすや炭の層を含む盛り土造成の跡が確認された(写真右下)


 見学路整備のルート上には、南北に走る水路跡と交差する部分がある。一帯はこれまで土砂に覆われ、水路跡を分断する形になっていた。新たな整備では水路石垣内の埋没土砂を撤去。石垣が見える状態にし、新たに水路をまたぐ橋をかける計画。発掘調査では埋没していた石垣を検出。幅約1.4メートルの水路跡を確認できた。埋没土の上層からは鉄鉱石や茶碗、ガラス製の薬瓶、短いタイプのきせるなどが見つかった。昭和初期のものと考えられ、下層からは明治、大正期の遺物も出てきた。

調査箇所② 埋没していた水路跡 南(一番高炉側)から北(三番同)に流れる水路(黄線ルート)の石垣が掘削で検出された


水路跡の埋没土層からは(写真左上から時計回りに)カッチャ?、ガラス製薬瓶、きせる、花巻「臺(だい)焼」の陶磁器片…などが見つかった


 見学路ルートにかかる別の調査箇所からは、建物遺構が検出された。直線上に掘立柱の柱穴が見つかり、クリ材と推定される柱根も一つあった。2017年度に行われた台風被害復旧に伴う発掘調査で、鍛冶場の存在が想定されていたが、検出面に鋳物砂が多く、鋳型を成形する工房の可能性も考えられる。江戸末期(1860年代初頭)に描かれた高炉絵巻には該当箇所に建物は見当たらないことから、それ以降に建てられたものとみられる。遺構の規模は精査中。

調査箇所③ 建物遺構を示す柱穴(黄丸)を検出。柱根が残る穴も(写真左下)


 三番高炉周辺の区画が分かる石垣も見つかった。2023年度に実施した三番高炉南側の石垣調査で、土砂埋没箇所に石垣の東隅が埋蔵されているのを確認していたが、今回の調査では、長さ約3.8メートルの東面石垣を検出した。切石と丸石で構築され、斜面を利用した積み方もしているという。蹄鉄が出土していることから、橋野鉄鉱山廃業後に埋没したとみられる。石垣から現在の地表までは約80~90センチあり、昭和初期の道路整備時にかなりの量の土砂を盛ったとみられる。

調査箇所④ 三番高炉南側の石垣 東隅から東面の石垣を検出。黄丸部分を上から見ると写真右下に


石垣よりも80~90センチほど高く盛り土されているのが分かる


 髙橋係長は「鉄鉱山稼働時と比べ、だいぶ地形が変わっている。埋没箇所の発掘で、当時の雰囲気が分かってきた」と話す。橋野高炉跡は1957(昭和32)年に国史跡に指定されているが、発掘調査自体はそれほど多くは行われていない。「回数を重ねていけば、もっといろいろなことが分かってくる。これからの調査で明らかにしていきたい」と髙橋係長。現調査は8月上旬まで行われる。終了後、2018年から計画的に進められている範囲内容確認調査に着手する予定。

【関連記事】

おすすめの記事