【怪奇物作品の先駆者】 仮名草子作家・浅井了意とは何者?その魅力を探る
江戸時代前期に活躍した作家、浅井了意(あさい りょうい)は、日本文学史において重要な位置を占める人物である。
彼は、庶民文化の発展に寄与した「仮名草子」と呼ばれる文学ジャンルの代表的な作家の一人として、多くの作品を作成した。
今回は、浅井了意について詳しく探ってみる。
仮名草子とは
仮名草子(かなぞうし)とは、江戸時代初期から中期にかけて、主に仮名交じり(漢字を主体としてこれに仮名を含めて書かれた文章)で書かれた物語や説話のことを指す。
この形式の文学は、平仮名やカタカナを多用し、当時の読み書きに不慣れな庶民にも読みやすく、親しみやすいものだった。
内容は、道徳的な教訓を含んだものや、日常の出来事を描いた軽妙なものが多く、現代のエッセイやショートストーリーのような存在だったともいえる。仮名草子の普及は、庶民が文学を楽しむ土壌を育てた。
浅井了意は、この仮名草子の形式を活用し、多くの作品を生み出した作家の一人である。
浅井了意の経歴について
浅井了意は、1691年(元禄4年)に亡くなったとされるが、生年は不明で享年80くらいと推測されている。
略歴や著作についても不明な点が多いが。確認されている著作の数の多さから多作な作家だったと言えよう。
父は真宗大谷派の僧侶であり、摂州三嶋江(高槻市)の本照寺の住職だった。しかし、父の弟である西川甚七郎宗治が僧の政治的中立主義の方針に反し、徳川方の配下につき、それに関与したため、追放された。
そのため、浅井了意も父と共に流浪の日々を送ったとされているが、幼少期の詳細は不明である。
その後、京都や大阪に居を構えて僧侶としての修行を積んだ後、仏教関連の書物や説話の収集、編纂に取り組んだが、仮名草子の執筆に転じ、文学者としても名を馳せた。
儒学・仏道・神道にも詳しく、博識であったとされている。晩年は本性寺昭儀坊了意と名乗った。
浅井了意の作品について
彼の作品は、庶民の生活を描いたものから、仏教的教訓を含むものまで多岐にわたり、その幅広い作風が評価された。
また、多くの人々に読まれたことから、江戸時代の庶民文化に大きな影響を与えた。
以下に、代表的な作品をいくつか紹介する。
伽婢子(おとぎぼうこ)
『伽婢子(おとぎぼうこ)』は、1666年に刊行された全13巻の仮名草子作品である。
この作品は、奇談(世にも珍しい話)を集めたもので、中国の怪異小説を日本の舞台や人物に置き換えた話を収録しており、江戸時代前期の同種の書物の先駆けとなった。
伽婢子の出版により、同じような内容の仮名草子が広まり、類似した題名の書物も多く刊行された。
続編には狗張子(いぬはりこ)があるが、浅井了意が作成中に亡くなり、未完の状態で出版された。
浮世物語
『浮世物語』は、1661年または1665年に刊行された作品である。
主人公の瓢太郎が武術や手習い(毛筆で文字を書く練習をすること)に失敗しながらも、やがて武家の若党となり、悪政に加担する御咄衆に取り立てられるが、失敗して逃亡し、最終的に出家して「浮世坊」と名乗り、遍歴を続けるという物語である。
啓蒙や教訓的な内容に加え、幕府の失政や社会の悪を婉曲に批判しつつ、滑稽な主人公の笑い話として描かれている。
むさしあぶみ
『むさしあぶみ』は、1661年に刊行された上下巻から成る仮名草子作品である。
明暦の大火(江戸の大半を焼いた大火災)の様子を描き、被害状況を伝える図版も含まれている。
物語は、大火で全てを失い出家した男が、旧友に自らの身の上を語る形式で進行する。
作品は、大火の悲惨さを伝えることを目的としており、正確な記述も多く、当時の状況を知る重要な史料ともされている。
江戸名所記
浅井了意は、30作以上とされる仮名草子作品以外にも『名所記』と呼ばれる名所の案内記も刊行している。
『江戸名所記』は、前述した『むさしあぶみ』を刊行した後に、江戸の復興を他国に伝えるためのものでもあったという。
江戸の名所を紹介し、その繁栄がいかに素晴らしいかを強調するように書かれていることも特徴である。
さいごに
浅井了意は、江戸時代前期の仮名草子文学において、欠かせない存在であった。
彼の作品を通じて当時の庶民文化に触れることで、江戸時代の人々の生活や価値観を垣間見ることができる。
仮名草子で、庶民に楽しみと教養を提供した浅井了意の功績は、現代でも再評価されるべきものであろう。
参考 : 『浮世絵 浅井了意』他
文 / 草の実堂編集部
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