来日記念!これだけは聴いておきたいクラプトンのレイドバック代表作「スローハンド」
2025年4月、80歳を迎えたエリック・クラプトンの日本武道館公演が開催される。1974年以来、半世紀にわたって日本のステージに立ってきたクラプトンの魅力とは何なのか。今回、Re:minder では『来日記念!これだけは聴いておきたいエリック・クラプトンの名作アルバム』と題して5枚のアルバムを紹介する。4枚目は、1977年に発表され、クラプトンの代表作という声も多い「スローハンド」(Slowhand)です。
通算110回の武道館公演を達成
エリック・クラプトンは2025年の来日公演で8回の公演を敢行。通算110回の武道館公演を達成するとのこと。これはもちろん海外アーティストによるダントツの武道館公演回数で、クラプトンの日本における人気がいかに高いかがうかがい知れる記録であろう。
もちろんエリック・クラプトンは、1960年代のグループ時代(ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス等)から本国イギリスはもとより世界的な人気は高いものがあったが、こと日本における人気は特異で突出したものがあったようだ。そして1990年代以降のヒットやコンスタントな来日公演というのもあって、上は70歳代から下はその孫世代までの3世代にわたる幅広い年齢層からの支持というのも、日本人気の特徴のひとつかもしれない。
クラプトンの10代から20代半ばにあたる1960年代はいくつかのグループを渡り歩いていたが、20代後半の1970年代以降はデラニー&ボニー、デレク&ドミノス等を経て数々のアーティストの作品に参加しながらいよいよソロアーティスト(ギタリスト / シンガー)としての活動に入っていく。大衆音楽シーンの第一線でヒットをコンスタントに放っていたのは、おおよそ1970〜1990年代の30年間。その間歴史に残る名盤と呼ばれるソロアルバムをいくつか残している。
最も商業的に成功したアルバム、「スローハンド」
最も名盤の誉れ高いアルバムならば、全米ナンバーワンとなった「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を収録した『461オーシャン・ブールヴァード』(1974年)ということになるだろうが、実は最も商業的に成功したアルバムは、グリン・ジョンズがプロデュースした『スローハンド』(1977年)ということになろうか。日本においてはことアラカン世代を中心に、クラプトン・レパートリーのアルバムの中で最も支持され続けているのが、彼の愛称をタイトルに冠した『スローハンド』なのだ。
アルバム『スローハンド』は1977年秋にリリースされた。特大ヒットとなった「アイ・ショット・ザ・シェリフ」および『461オーシャン・ブールヴァード』でソロシンガーとしてのステイタスを確立。ブルース、ひいては米ルーツロックの色濃い『安息の地を求めて』(There's One in Every Crowd 1975年)、『ノー・リーズン・トゥ・クライ』(1976年)を経て、いわば最も脂ののった時期(リリース時32歳)に作られたアルバムが『スローハンド』だ。
アルバム最大の魅力は “レイドバック感”
これまでのアメリカ録音とはうって変わって、グリン・ジョンズをプロデューサーに据えてイギリスで録音されたアルバムの全体的感触は、ブルースを基盤とした広大な大地を思わせる米白人ロック “スワンプ” をさらに強めながらも、母国イギリスでのレコーディングのせいか、非常に肩の力が抜けた “レイドバック感” が加味されたというもの。
当時指摘されていたザ・バンド(とりわけ1968年のファーストアルバム)からの影響はいまだ多大であろうが、それまでの呪縛から解き放たれたような吹っ切れ感みたいなものが垣間見られて、それが “レイドバック感” に通じているのかもしれない。時期的にはアルコールと薬物にいまだふわふわと浮遊している頃の作品だったが、このアルバムの最大の魅力 “レイドバック感” の演出にひと役買っていただろうし、様々な要素が意図せずにレイドバック感を醸し出すことに寄与していたなら、我々はそんな偶然の産物に拍手喝采を送るべきだろう。
クラプトン史上3大ヒット
そして、『スローハンド』を名盤と言わしめた要素として、2曲のヒットシングルに触れなければならない。
まずは、全米シングルチャート3位という大ヒットを記録した「レイ・ダウン・サリー」。この曲こそ “レイドバック感” の権化みたいな楽曲で、一聴して地味ながら実に耳を惹きつける逸品に仕上がっている。アルバム各曲に華を添える女性バックシンガー、スティーヴ・レイシー、イヴォンヌ・エリマンの歌声も実に効果的。「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(最高1位)、「ティアーズ・イン・ヘブン」(最高2位)と並んで、クラプトン史上3大ヒットに数えられる。
もう1曲は、日本では根強い人気を長きにわたって保持している「ワンダフル・トゥナイト」。実は当時のビルボード・シングルチャートでは最高位16位(UKに至っては81位)、いわば小ヒットという結果で、日本でもそれほどのヒット感はなかったと記憶する。一部の洋楽ファンからは「レイ・ダウン・サリー」よりは「ワンダフル・トゥナイト」支持という声もあったようだが、同時期でいえば『サタデー・ナイト・フィーバー』からの一連のシングル曲のような万人が知るヒットソングになっていたわけではない。
その後、この曲の背景がパティ・ボイドへの思いをストレートに表現したラブソングであることが判明・浸透していき、極めつけは1992年の地上波ドラマの主題歌にまで使用されている。これによって新たなクラプトンのファンが増えたことは明白で、なんなら彼のヒットシングルの中でいちばん人気曲になったような。日本においての「ワンダフル・トゥナイト」は特異な立ち位置を確保した稀有な例ではないだろうか。
10代から神と呼ばれたブルース好きの青年が、コマーシャリズムには目もくれず紆余曲折を経ながら自分のやりたい音楽を突き詰めたのが『スローハンド』なのだ。1970年代の全盛期、円熟味が詰まりまくった最高傑作アルバムだと、声を大にして叫びたい。