92歳の五木寛之さんが語る、学び直しの愉しみ【人生のレシピ】
五木寛之さんが語る、
人生の後半をいかに楽しむかの知恵
作家・五木寛之さんによる「人生のレシピ」は、誰もが百歳以上まで生きるかもしれない時代に、新しい生き方を見つけるための道案内となるシリーズです。
NHK「ラジオ深夜便」での語りを再現して贈る、累計15万部超えの人気シリーズの完結作となる第10弾は『百歳人生の愉しみ方』(2024年10月刊)。同時期に刊行となる『五木寛之×栗山英樹 「対話の力」』とともに、人生の後半を切り拓くヒントが満載です。
今回は本書より、「学び直しの愉しみ」についての五木さんの語りをご紹介します。
人類史上未曽有の事態に
私たちはどう対処すればいいのか
──今日は「百歳人生」の生き方についてうかがいたいと思います。最近では、「人生百年時代」などとよく言われるようになりましたね。
五木 そうですね。いま、皆さん方の最も関心の高いテーマかもしれないと思います。
──ちょっと前までは、「人生五十年」と言われたものですが。
五木 幸若舞(こうわかまい)の「敦盛(あつもり)」に、よく知られたこんな一説があります。
「人間五十年、下天(げてん)の内(うち)をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如(ごと)くなり」
織田信長が好んだとされるこの詞(ことば)にあるとおり、私たちは「人生五十年」と言い習わしてきました。試みに資料にあたってみると、一九〇〇年(明治三十三年)の日本人の平均寿命は四十四歳、アメリカ人は四十七歳、イギリス人が五十歳でした。人々が「人生五十年」と言うとき、それは「五十歳まで生きたいものだ」という、一種願望に近いものだったのではないでしょうか。
それが、昨年(二〇一七年)の調査では百歳以上人口はおよそ六万八千人に達しています。二〇二五年には百歳以上が十一万から十五万人になり、この年、団塊の世代が全員七十五歳以上の後期高齢者となり、六十五歳以上の高齢者が総人口の三十パーセントを占めると推計されています。右を向いても左を向いても高齢者、そんな時代が現実のものとして私たちの目の前に迫っているのです。六十歳で定年退職してあとは余生と言っていたのに、そうではなくて、もう半分人生があるということです。
この間、古いレコードを整理していましたら、私の作詞で一九六八年にザ・フォーク・クルセダーズが出した「青年は荒野をめざす」というレコードが出てきました。そのB面がなんと、「百まで生きよう」というタイトルの歌なのです。こちらは北山修(おさむ)さんの作詞で、若者に「百年生きよう」と呼びかけるコミカルなメッセージソングです。
──先見の明があったのですね。
五木 五十年前ですから、おそらく一種のジョークで作られたのでしょう。それが今や現実となっているとはね。
思えば、百歳の双子姉妹、きんさん、ぎんさんが国民的アイドルになったのは、一九九二年のことでした。そのお丈夫さに加え、ものすごくユーモアのセンスのある方たちで、「将来、再婚するお気持ちはありますか」と冗談に記者が尋ねたら、「ああ、大いにあります」と。「どんな人がいいですか」と聞くと、「わしゃ、年上がいい」と明るく言い放つので、大笑いしたことがありました。当時の百歳以上人口はおよそ四千人。百歳以上が珍しい存在だったからこその人気だったとも言えるでしょう。
それから四半世紀が経ち、今は「百歳」と聞いても驚かなくなりました。子どもの数が減って百歳以上がここまで増えてくると、夫の両親と妻の両親の百歳前後の四人が食卓に並んで、七十代の夫婦と五十代の子どもが一人、というような家族構成が当たり前になるかもしれません。かつてご老人は希少価値があったから大事にされていた。ところがこれから先、みんなが百歳まで生きるということになってくると、そんなことに甘えていられないという時代ですね。誰もが百歳以上生きる可能性を持つ。この人類史上未曽有(みぞう)の事態に私たちは、どうにかして対処していかなければならないわけです。
学び直すこと、そして
違う道を歩んでいく楽しみを持つこと
──今までの物差しが通用しないということですね。
五木 これまでの人生の物差しは、ほとんどが五十歳ぐらいを期限として考えられたことなので通用しません。
たとえば、古代インドでは「学生(がくしょう)期」「家住(かじゅう)期」「林住(りんじゅう)期」「遊行(ゆぎょう)期」と人の一生を四つに区切って人生の指針としていました。中国でも、前半生を「青春(せいしゅん)」「朱夏(しゅか)」、後半生を「白秋(はくしゅう)」「玄冬(げんとう)」と名づけ、人生を四つに分けてとらえてきました。しかしいずれも、五十歳から六十歳をワンサイクルとしていて、人が百歳まで生きることは前提としていないのです。
では、人生が百年以上あるとしたら、残りの五十年をどう生きていけばいいのでしょうか。私は、「百歳人生」を前半と後半の二つに分け、五十歳前後を「起承転結」の「転」と位置づけてはどうかと考えています。五十を境に、後半の人生は、それまでとまったく別の生き方に切り替えるのです。百歳まで一筋の道を歩き続けるのではなく、「人生を二回生きる」イメージです。
──たとえば、五十歳までサラリーマンで、五十を過ぎたら農業をやるとか。
五木 つまり、そういうことです。かくいう私も、五十歳前後で休筆し、大学の聴講生になった経験を持っています。休んで充電したというより、漠然とですが、人生を切り替えたかったのだと思います。当時出版社からは、「仕事に戻りたくなっても、あなたの椅子(いす)はもうありませんよ」とさんざん忠告を受けましたが、私自身は心のどこかで、それでいいと思っていました。
じゃあ、どうするか。私は、どこかの地方都市で古本屋か何かをやりたいなと思っていました。あるいは、若き日の村上春樹さんではないけれど、小さなカウンターだけのジャズ喫茶でもやって、一日一人か二人のお客さんしか来なくても、それで食っていければいいと感じていました。
期せずして私は、あのとき起承転結の「転」を図っていたのです。
──それが結果として、そのあとの人生につながっていったと。
五木 そうだと思います。実際、若い人に交じって一学生として大学に通い直したことは、この歳になってもまだ仕事を続けられている一つの要因になっているのではないかと思います。学問というものは、若いときにはしんどいし、あまりおもしろくないものです。しかし、年齢を重ねてからの学び直しは、人に教わることの喜びにあふれていました。
今、カルチャーセンターなど生涯学習を提供する場がいろいろありますから、ときにそういうところへヒョイと顔を出して、人生を切り替えてみるのもすごくおもしろいかもしれないと思いますよ。
──実は私も、地元の生涯学習センターに通い始めて、イタリア語を習っています。
五木 そのようですね。イタリア語を勉強して、それでイタリアまで行かれたのですから、私は感心していました。
──その学生仲間のいちばん年上の方は八十代です。平均で、七十歳前後ではないかと思います。
五木 そうですか。個人の好みで、俳句をやるのもよし、何をやるのもいいけれど、年齢を重ねてから何か学び直すことは、すごく大事なことのような気がします。そこから何か、生き方のヒントが生まれてくるかもしれない。私は今でも、大学の一般市民向けの公開講座などに、一回何千円か払って、ときたま行くんです。
──まだ学生もなさっているのですか。
五木 先生がいやがらないように、マスクをかけて私だとわからないようにしてね(笑)。
──それは初耳でした。
五木 昨年(二〇一七年)下半期の芥川賞を受賞なさった若竹千佐子(わかたけちさこ)さんも、五十五歳で小説講座に通い始めたと聞いています。学び直すこと、そして違う道を歩んでいく楽しみを持つことが、百歳人生を豊かに生き抜く一つの方法ではないでしょうか。
つまり、六十、七十になってからでは、新しい人生を一から始めるのはちょっと大変でしょう。でも、五十歳ぐらいだったら、もう一回、別の人生を送り直すことはできそうな気がしませんか。
私は、そのあたりで一度切り替えてもいいのではないかなと思います。一般的には、六十歳の定年まで勤めて、あと何年か嘱託(しょくたく)のような形で働いて、そのあとは年金生活ということですが、それではちょっと生きがいがないのではないかなと思うところがありますね。
──そうすると、五十歳というのは、ひとつの折り返し点といいますか……。
五木 起承転結の「転」にあたる。まだ、体力も、知力も、エネルギーも残っている時点で再出発するということに意味があるというふうに、ふと思うことがあります。
本書『百歳人生の愉しみ方』では、
「人生の後半をいかに楽しむか」
「シフトダウンして生きる」
「「自分の適温」で暮らす」
「無理をしないで無理をする」
「楽しみながら ― それが私の養生法」
「自己流養生法の見つけ方」
という全6回のテーマで、人生をより楽しむためのヒントを示します。
■『教養・文化シリーズ 人生のレシピ 百歳人生の愉しみ方』(五木寛之著)より抜粋
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著者
五木寛之(いつき・ひろゆき)
作家。1932年、福岡県生まれ。朝鮮半島で幼少期を送り、引き揚げ後、52年に上京して早稲田大学文学部露文科に入学。57年に中退後、編集者、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞など受賞多数。ほかの代表作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『下山の思想』『百寺巡礼』『生きるヒント』『孤独のすすめ』など。日本芸術院会員。
※全て刊行時の情報です。