「ウィキッド」ミリしら民が観た『ウィキッド ふたりの魔女』レビュー ─ 逆になぜ何も知らなかったのか
まぁ、普段はマーベルとかDCとか、スター・ウォーズとか、そういうブロックバスター映画をよく観ていて、毎日そういう話ばかりをしているわけである。ミュージカルはそんなに得意な方ではない。「ウィキッド」?っていうのは、ミュージカルですごく人気があるタイトルだそうだ。 “もう一つのオズの物語"?そもそも『オズの魔法使い』にそんなに精通していないし、内容もうろ覚えだし。いや、ごめん。
それで、アリアナ・グランデとシンシア・エリヴォで実写映画化したということで、ファンの皆さんは大変喜んで盛り上がっているようだ。アメリカでも大ヒット、賞レースでも大絶賛となっている。
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本国ではお客さんの75%が女性客という。コラボした企業はスターバックスやLUSH、サマンサタバサや、AZULなど。というわけでおそらく、30代男性の筆者などはこの映画のターゲット層の真ん中にはいないだろう。
……とは思いつつ、アメリカから聞こえてくる評判が凄まじい。2024年公開の興収7.3億ドル(その年の5位)は、オーディエンス属性を超越する強力な魅力がなければ届かないはずである。
TikTokでは、「そんなわけねぇだろう」ってな調子で鑑賞に出かけた男性客が、上映後に見事に感涙して虜になる映像などが出回っている。例えば次の動画の白人男性は、鑑賞前にこんなことをボヤいている。「ミュージカル映画の前編のくせして2時間40分だってよ。予告編も微妙だし、これが2時間40分も続くのかよ?そしたらみんなが『市民ケーン』級だとか、最優秀映画賞モノだとか言うんで、いやいやそれはないだろうと。そんなに良いワケないって」。それが鑑賞後になると、「クソ、めっちゃイイじゃねぇか」と認めているのだ。感動の涙を流しながら。
Well that shut me up
本当に、こんなことが起こるのだろうか?というわけで筆者も、『ウィキッド』ミリしら(1ミリも知らない)状態で鑑賞してみた結果、むしろ私はなぜ今までウィキッドを知らなかったのだと呆然としているのが現在の状況である。
まずはオープニング・シーン。晴々としたカラフルな街で、人々は緑色の悪い魔女が死んだと楽しげに祝っている。あ、もう死んだんだ?今日、自分は確か、緑色の魔女とピンク色の魔女の映画を観に来たと思ったんだけど。
するとそこに、アリアナ・グランデがシャボン玉と共にやってくる。笑顔と愛嬌を振りまいて、街の人々と一緒に魔女の死を祝っているのだが、どこか影を見せる。なるほど結起承転の構成か。何もわからないが、おそらく原作を知っている人や、後編(そう、この映画実は前後編構成なのである)を観た後にもう一度このオープニングに戻ると、アリアナの憂いの余白が補完され、感情的な輪が閉じるような仕掛けになっているのだろう。
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西洋物語における善と羨望の化身のようなグリンダは、朗らかな長調のミュージカル楽曲の中で、主旋律を担うことをただ一人かろうじて拒むようにしながら、人々の期待には応えるためにビブラートを波打たせている。ファンの皆さんのように楽曲を聴き込んでいるわけではないのでメロディはあまり覚えていないのだが、彼女のオペラチックな一筋の歌声が、今もずっと胸に突き刺さったまま振動している。美しいのになぜか哀しく、まるで飛べなくなった鳥が羽ばたく代わりにさえずって空を想っているような歌声。
「私はかつて悪い魔女と友人関係にあった」とグリンダが言及すると、映画はいよいよ本筋へと突入。グリンダとエルファバがいかに出会い、衝突しながらも絆を深め、そして悲劇的な運命によって引き裂かれてしまう、あまりにも劇的なラストまでが、当代最高のムービー・マジックによって一切の隙なくどんどん進んでいく。
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“ミリしら”を盾にして、あえて言うのならこの物語、とても『スター・ウォーズ』らしさがある。スター・ウォーズでまず我々は、冷酷無慈悲な悪のサイボーグ人間ダース・ベイダーが倒されるまでの戦いを追った。それから前日譚シリーズに戻って、なぜベイダーがあのような悪役になってしまったのかが詳しく語られる。彼は生まれながらの悪ではなく、むしろ平和と秩序の側に立つ有望な戦士だったのだが、悲劇と策略にとって悪の立場へと転落させられていたのだ。ベイダーの物語を通じて、我々は善悪の見方は一つではないことを学ぶ。(ジョージ・ルーカスが本作に大感激したというも納得だ!)
『ウィキッド』のエルファバも(多分)そうで、彼女は優しい心を持つ控え目な少女だったということだ。彼女は緑色の肌を持つがために(緑は欧米では不吉の象徴である)、周囲から拒絶され、マイクロアグレッション(無意識的な差別)を山ほど浴びて育つ。あなたたちが声高に語る悪とは、所詮あなたたちが悪であって欲しいと決めつけて作り上げたものではないですかと、映画が最終的に提示するであろう問いかけの下準備が行われていく。
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全く属性の異なる2人の少女が、歌やドラマを通じて距離を縮めていく様子を見るのは楽しいのだが、それにしても冒頭のグリンダの影のある歌声がまだ耳に残ったままだ。今後どうなるのかは全く知らずの鑑賞だが、愛らしく華やかなこれらの演出は全てこれから2人に起こる悲劇への伏線なのだろうか?マーベル『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で描かれた、スティーブ・ロジャースとトニー・スタークの決別のようなドラマが待っているのだろうか?
ミュージカルに苦手意識があっても、本作はもともとファンタジーの世界観にあるので現実的な乖離がなく受け入れやすい。非の打ちどころのない実力者アリアナ&シンシアの歌唱と、ミュージカル界のスーパースターであるジョン・M・チュウが全リソースとノウハウを注ぎ込んだような緻密な演出は、食わず嫌いをも黙らせる。
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ラストに登場する「Defying Gravity」が人気の楽曲である理由にも納得だ。友との別れ、世俗との別れを歌い、自己発見の喜びと高貴なる怒り、愛する人への究極の信頼が波のように押し寄せるこの楽曲が響く頃には、すっかりエルファバと感情的な結びつきが得られているので、シンシアの力強くも軽やかな歌声に乗って、まるで自分自身が飛び上がるような錯覚さえ覚える。最後の最後によく知られた魔女の姿となる展開も、『シスの復讐』でのダース・ベイダーみたいだ!(というわけでスター・ウォーズ未見のウィキッド民さん、よかったら是非スター・ウォーズの方も観てみてください、『ウィキッド』式に行くのなら『エピソード1』からの鑑賞がオススメです。)
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ミリしら鑑賞後には、我が魂が続編を求めていることに気付かされる。続編の原題は『Wicked: For Good』というらしく、ファンの皆さんは「For Goodはヤバい」「For Goodってだけで泣ける」と大騒ぎの様子である。なんで?何が起こるの?筆者も早く後編を観て、その意味を知りたい。そしてもう一度本作のオープニングに戻って、悪い魔女の死を祝っていたグリンダの歌唱を聴き直したい。
気になったあまり、帰宅した筆者はWikipediaで原作のあらすじを調べ、後編にあたる部分をざっと把握。すると、『オズの魔法使い』につながる鳥肌ものの展開が記されているではないか。『オズの魔法使い』はうろ覚えと書いたが、かかしやブリキの木こり、ライオンのことは知っている。えっと、つまり、あれがああなって、これがそうなるってことなんだね?『スター・ウォーズ エピソード3』の最後にC-3POが記憶消されていた、みたいな、二つのシリーズを繋ぐサブキャラクターにゾっとするような変化があるっていうことなんだね?たまらないね?あのヤギの先生も、この先絶対悲しいことになってしまうよね?
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以上、『ウィキッド ふたりの魔女』は、まさに「原題に興味関心がない」「ミュージカルが得意ではない」という重力にすら逆らって飛ぶ最新の傑作だ。普段はこの類の作品には食指が動かないという男性読者のみなさんも、騙されたと思ってぜひ鑑賞してみては。きっと筆者のように、「逆になんで今までウィキッドを知らなかったんだろう」と驚かされるはずだ。
なお、『Wicked: For Good』は本国では2025年11月21日公開予定とのこと。どうか日本配給の東宝東和さんには、次作では是非なるべく本国に近い公開をお願いさせていただきたい。だって待ちきれないからね。