尽きることない郷土愛 麻生区・中山茂さん
明治22(1889)年、市制町村制施行により、岡上村を除いた武蔵国都筑郡の黒川・栗木・片平・五力田・古沢・万福寺・上麻生・下麻生・王禅寺・早野の10村が合併して柿生村になった。その柿生村は昭和14(1939)年、岡上村と共に川崎市へ編入された。その後、昭和47(1972)年の区制施行により多摩区となり、昭和57(1982)年に分区して、麻生区が誕生した。
「過去があるから今がある。過去を無しにして話をしては、本当に大事なものが失われてしまうよ」。中山茂さん(88)は昭和11(1936)年、今の麻生区片平の柿農家に生まれた。当時はまだ柿生村といった。
昭和初期から現在に至るまで、麻生区の変遷を見続けてきた。近所の農家で聞いた玉音放送。当時通っていた柿生小学校片平分教場の教師は「これからは自由が貴ばれる時代になる」と言った。「終戦は忘れてはならない出来事。大きく時代が変わった」。農作業も、くわと鎌から機械化が進んでいった。
昭和21(1946)年9月4日。東京日日新聞(現在の毎日新聞)に、戦争で途絶えていた早慶戦復活の記事が載った。胸が高鳴った。10歳のその日から始まった新聞記事の収集は、今も日課として続ける。80歳の時には、柿生の歴史と新聞記事収集70年の記録をまとめた著作『郷土愛という夢』を刊行した。
柿生村は、日本最古の甘柿として知られる禅寺丸柿の原産地。村名の由来でもある。「川崎の歴史にとって、柿は非常に重要なもの」。柿農家に育ったということもあり、柿を愛し、地域にその魅力を伝え続けてきた。「柿生禅寺丸柿保存会」の会長も務めた。
「麻生区は良いまちになった」と感慨にひたる一方、「昔はすれ違えば知らない人でもあいさつを交わしたが今はそんなこともなくなった。まちが発展しても人間関係がすぐにできるわけではない。人の情けは残していかないと」と憂慮する。
どんな話でも行きつく先は郷土愛。「ふるさとを大切に思う心を、次の世代へとつなげていきたい」と語った。