『魔女にされた女性たち』10万人を処刑台へ導いた悪魔の書『魔女に与える鉄槌』とは
15世紀末のヨーロッパは、大きな変革の時代を迎えていました。
宗教改革の前夜にあたり、カトリック教会の権威は絶対的なものであり、異端と見なされた人々は厳しく取り締まられていました。
そのような混乱の時代に登場したのが、ドミニコ会の修道士であり、異端審問官として活動していたハインリヒ・クラーメルです。
彼が1486年に著した『マレウス・マレフィカルム(Malleus Maleficarum)』は、「魔女に与える鉄槌」を意味するラテン語の書物です。
翌年に序文を加えた版が発行され、やがて「魔女狩りのバイブル」とも呼ばれるようになりました。
この書は、16~17世紀のヨーロッパ各地における魔女裁判に大きな影響を与え、多くの人々が犠牲となるきっかけを作ったのです。
被害者の総数については諸説ありますが、数万人から10万人近くにのぼるとも言われています。
今回は、クラーメルの著作からなぜこのような大きな悲劇が引き起こされたのか、その歴史的背景をたどってみたいと思います。
異端の取り締まりが過激化
ハインリヒ・クラーメルは、1430年ごろに神聖ローマ帝国のドイツ地域で生まれたと考えられています。
正確な生年は不明ですが、没年は1505年ごろとされています。
クラーメルはドミニコ会に所属する修道士であり、説教師、異端審問官、神学者として活動しました。
ドミニコ会は、カトリック教会の中でも異端を取り締まる役割を担う修道会であり、学識と信仰に厳格な姿勢を持つことで知られています。
クラーメルはその中でも異端審問に積極的に関与し、異端と魔女をほとんど同一視し、いずれも取り締まるべき対象と見なしていました。
1480年代、クラーメルはインスブルック地方で魔女裁判を主導しようと試み、多数の女性を逮捕しました。
しかし、現地の司教たちの強い反発を受け、彼の計画は挫折に終わります。
この経験が、彼の考えをいっそう過激な方向へと向かわせ、後に『魔女に与える鉄槌』を執筆する動機のひとつになったと見る研究者もいます。
魔女に対する執拗な分析と女性への偏見
クラーメルは『魔女に与える鉄槌』の共著者として、同じくドミニコ会の修道士であり、神学研究では最も権威あるケルン大学教授もつとめていたヤーコプ・シュプレンガーの名前を加えています。
しかし後の研究では、クラーメルはシュプレンガーの社会的信頼と地位を利用し、いわば名義を無断で借りただけで、実際は単独で執筆した可能性が高いとされています。
この書物は「魔女の実在性を神学的に証明する部分」「魔女の魔術やその影響、悪魔との関係について詳述する部分」「魔女裁判の手続きや尋問方法について実務的に説明する部分」の3部で構成されていました。
さらには「魔女を発見するための技術」「魔女を自白させるのに効果的な拷問方法」「処刑に関わる正当な方法」などが記載されています。
その中でクラーメルは、魔女は悪魔と契約を結び、人々に害を与える存在であり、とりわけそうした魔に関わる存在の多くが「女性」であると述べたのです。
著書は印刷技術の登場とも相まってベストセラーとなり、16~17世紀にかけての魔女狩りにおいて、裁判の根拠として頻繁に参照されるようになりました。
そして「女性は信仰心が弱く、悪魔に誘惑されやすい」というクラーメルの見解は、多くの女性が魔女として告発・処刑される背景を形作ることとなったのです。
悲劇を生んだ思想背景
クラーメルの魔女観には、当時のキリスト教神学と、強い女性差別の思想が根底にありました。
彼はアウグスティヌスをはじめとする教父たちの教えを引用しながら、女性を「信仰に乏しく、悪魔に心を開きやすい存在」と断じましたが、これはエヴァがアダムを誘惑したという創世記の物語に基づく解釈であり、女性への不信が強く反映されていたのです。
また、クラーメルは悪魔との契約によって得られる魔術を「魔女の証拠」とし、拷問や尋問による自白を重視しました。
彼は「自白こそ真実を明かすもの」と考え、厳しい取り調べを正当化したのです。このような態度は、現代の法制度から見れば極めて非合理的ですが、当時は多くの無実の人々がこの論理のもとで裁かれ、犠牲となりました。
さらに、クラーメルは「魔女は共同体に害をなす存在であり、取り締まらなければ社会が崩壊する」とも主張しました。
このような考えは、人々の恐怖を煽り、魔女というスケープゴートを社会的に定着させる要因となったのです。
迷信と暴力
こうして『魔女に与える鉄槌』は、16~17世紀のヨーロッパにおける魔女裁判に絶大な影響を与えました。
この書物の余波はドイツ国内に留まらず、フランス、イングランド、イタリアなど、各地で魔女とされた人々が裁判にかけられ、その多くが処刑されました。
しかし18世紀の啓蒙時代を迎えると、そのような非合理的で非人道的な裁判は徐々に廃れていきます。
そして現代においては、クラーメルの思想や著作は、過去の迷信と暴力の象徴として強く批判されています。
特にフェミニズムの観点からは、クラーメルの女性観が性差別と暴力の温床となったとされ、彼の著作は女性抑圧の象徴として扱われることが多くなりました。
その一方で、この著作が当時の信仰や社会不安をどのように反映していたのかを理解するための重要な資料であることも事実です。
クラーメルの思想と行動を歴史的に正しく理解することは、現代社会における宗教や権力、差別といったテーマを考察する上で、過去の過ちを見つめ直し、教訓として活かすための助けにもなるでしょう。
参考文献:『奇書の世界史』歴史を動かす「ヤバい書物」の物語/三崎 律
文 / 草の実堂編集部