50代、仮面夫婦…それでも「離婚は選ばない」妻の、結婚生活を続ける“本当のワケ”
子を養うという義務から解放されると、次に浮かんでくるのはこれからの自分の人生ですが、そこに配偶者と幸せに過ごす姿を想像できないとき、「離婚」が頭をよぎる人は多いものです。
その結果、配偶者に愛がなくても結婚生活を選び続ける人は、どんな理由があるのでしょうか。
夫への愛情は冷めきっているけれど、「それでも離婚しない」と決めている50代のある女性について、リアルをご紹介します。
仕事一筋で生きてきたけれど…
会社員の道代さん(仮名・54歳)は、夫と一人息子の三人で暮らしていました。
「若い頃からこの仕事が好きで」と話す道代さんは営業職、男性の多い部署に30代になって配属されてからは大変なときがあったものの、粘り強い交渉力とお客さまの口コミなどもあり、実力が認められて現在は係長として若い部下たちをまとめる立場にいます。
男性と同じく「仕事一筋」でやってきた、と話す道代さんは、同じ会社員で年収も同程度の夫とは、家事や育児で衝突が絶えなかったことを話してくれました。
「育休と産休はきっちり休んだのですが、仕事に復帰してからは時短勤務はせず、すぐ元のフルタイムの勤務に戻りました。
それが夫は気に入らなくて、『もう少し家のことも考えろ』と、自分の負担が増えることを嫌がっていました」
一人息子の世話も、保育園に持っていくものの準備や行事の出席も道代さんばかりが当たり前のようにやっていて、「それが母親の仕事だろう」と言い切る夫について、「とうの昔に愛情はなくなりましたね」と、そっけない口調で道代さんは言いました。
夫を完全に見限った瞬間
それでも、息子をお風呂に入れたり休みの日には一緒に遊んだり、子をかわいがる夫の姿が、道代さんの不満を何とか抑えていたといいます。
「たまに、私から息子を引き離したいのじゃないかと思うくらい、日曜日になると朝からふたりで出かけるときもありました。
でも、親がどちらもバタバタしていて家で一人で遊ばせる時間も多かったので、自分の時間を息子に使う夫には、多少の感謝はありましたね」
「多少の」、と道代さんが加えるのは、
「三人で買い物に行くことももちろんありましたが、私と会話せず息子に話しかけてばかりで、しかも外食すれば夫は財布を出さないんですよね、折半している生活費以上にお金がかかるときは何もしません」
と、息子を通して自分への不満を出しているような夫の様子に、ストレスがあったからです。
「息子が小学校に上がる頃は、夫は私の多忙さについて何も言わなくなっていて、その代わり生活費についてふたりで決めた額以上のものは決して出さなくなりました。
外食も旅行も、予算から足が出るものは全部私の負担で、『そっちも出してよ』と言うと『家族を犠牲にしているお前が出すのが当たり前じゃないのか』と返されて、本当に腹が立ちましたね」
そのやり取りは道代さんが家族の絆を立て直そうと提案した家族旅行のときで、興味がないようにプランを聞いていたという夫は一円も出さないまま、道代さんは自分の貯金から足りない分を払いました。
このときの「家族を犠牲にしているお前が出すのが当たり前」という夫の言葉が、道代さんにとっては「夫として見限った」瞬間だったといいます。
「気が付けば夫の給与明細などを渡されなくなっていて、夫自身の貯金のことなど額もわからなくなっていました。
ボーナスは私のほうが多かったと記憶していますが、そういうのも気に入らなくて、あえて私に払わせていたのだと思います」
「まるで嫌がらせですよね」と道代さんは口にしましたが、「器の小さい男なのだなと、仕事で関わるほかの男性と比べましたね」と、心のなかで笑っていたそうです。
変わっていく家族の状況
大きくなるにつれて手がかからなくなる息子の成長が、道代さんにとっては唯一の安らぎであり、仕事をがんばれる理由だったといいます。
「両親の仲があまり良くないのは一緒に暮らしていればどうしても気が付くだろうけれど、自分を大事にしてくれることは、忘れないでほしかったですね……」
息子が中学校に進学する頃には「完全に仮面夫婦状態」で、道代さんは客間を自分の部屋にして布団を持ち込み、リビングで夫とふたりきりになるのは避けていたそうです。
問題は、自分たちと過ごすより友達との時間を優先するようになった息子が、休日は家を空けることが多くなってから。
「日曜日の午前中から遊びにいってしまったときなど、シーンとした家のなかで夫の気配を感じるのが嫌で、私も図書館で過ごすようにしていました」
と、窮屈な思いをしていたといいます。
思春期になった息子は自分たちにも反抗的な態度をとるようになり、
「母親の私はともかく、小さい頃から自分に懐かせていた夫は、うるせえとか自分を睨みつける息子を見るのはつらかったでしょうね」
と、三人で食べるご飯も気まずい空気が流れるのを、どこか溜飲の下がる思いがしたそうです。
「夫は、息子を自分の味方にして私を孤立させたかったのかもと今は思いますが、上手くいくわけないですよね、息子にも自我があるので。
夜になっても帰宅しない息子にイライラして怒鳴っていましたが、そんなことをするから余計に息子は逃げるし、私は私で子はそんなものと思っていたので、静観していました」
会社で、同じく子の反抗期に悩む同僚たちと話をしていたこともあり、厳しくするより見守りながら、息子と自分の安全だけを考えていたといいます。
「離婚」を選ばない理由
ここまで、道代さんの口から一度も「別れたい」という言葉が出ないことに気が付いて、「離婚は考えなかったのですか」と尋ねると、
「何度も浮かびましたよ、もちろん」
と、大きく頷きます。
「私の収入だけでも息子は育てていけるし、こんな男のために自分の貯金を崩していくのも本当に嫌でした。
でも、息子が懐いている以上は引き離すのは良くないと、本当にそれだけで耐えましたね」
仮面夫婦であっても、息子にとってはふたりしかいない親であり、それぞれの親子関係までは破綻していない。
その事実が、夫への不満をどうにか堪える理由になり、また仕事が順調であることも、道代さんにとって大きな自信になっていました。
「家でのストレスを仕事で発散していたと言われても、仕方ないのですが」
それは夫への意趣返しでもあり、離婚しない代わりに仕事で成功を収めることで、夫を突き放し続けたのが、道代さんの現実です。
変わってきた「離婚しない理由」
息子の反抗期は成長につれて穏やかに収まっていき、無事に高校に進学してからは勉強にもよく励み、浪人することなく地元の大学に合格します。
「荒い行動は落ち着いたのですが、自分に厳しく当たるばかりだった夫とは、その後も仲が戻ることはなかったですね。
息子も、どう接すればいいかわからなかったと思います」
どうにかコミュニケーションが戻ってきた家のなかで、自分を外して母親とまた楽しく話している息子を、夫はどんな思いで見ていたのでしょうか。
「息子が『県外で就職したい』と言ったときに、改めて離婚を考えました。別れるなら、このときがベストだろうなと」
仮面夫婦状態は相変わらず続いており、家にふたりのときは食事の用意もしなくなった道代さんは、「洗濯だけは私がしていたので、出されている服を見てああ生きてるなと感じるくらいでしたね」と、笑いながら言います。
それでもやはり離婚に踏み切らなかったのは、
「私にとってはもう悩むほどの存在じゃないからですね。生活費は相変わらず折半して入れているから生活には困らないし、息子の学費も負担は半分ずつを守っているし、あえて離婚しなくてもこのままで邪魔にはならないというか。
今さら離婚して片親になったなんて、息子に肩身が狭い思いをさせるのも嫌でした」
と、夫の存在感の薄さが理由です。
忘れている「現実」とは
仕事は順調で係長に昇進した今こそ、己の価値を実感できて使えるお金も増えて、「楽しいですね」と道代さんは笑顔を見せます。
県外で就職したいと言っていた息子は、大学を卒業後は地元の会社を選び、ひとり暮らしを始めるために家を出ました。
息子が住むアパートの内覧も、不動産会社との契約もいっさい姿を見せなかったという夫は、「息子から敷金や礼金などの話は聞いていたと思いますが、やっぱり一円も出さなかったですね」と、道代さんが貯金から出したといいます。
「息子の反抗期をきっかけに変わってしまった我が家とは思いますが、夫に同情はしません。
逆に、離婚されないだけましじゃないですか」
道代さんがこう言い切れるのは、今や息子にも振り返ってもらえなくなった夫の姿は「自業自得」だからと思うからです。
ただ、道代さんが忘れているのは「夫のほうから離婚を切り出される」可能性。
夫婦ふたりきりとなった今、離婚する自由は夫にも対等にあり、収入があるのならなおさら、新しい人生を選ぶことはできます。
「息子にも自我がある」と自分で口にした通り、息子の気が変わり改めて父親との関係の修復を望めば、知らないところで新しいつながりを手にする可能性もあります。
熟年離婚は、年を取っているからこそ気軽に選べるものではない一方で、水面下で準備を進めていた配偶者がある日そのカードを切ってくる現実は、多々あります。
配偶者を下に見るのは自由であっても、その油断がどう影響するか、どこかで今の状況を冷静に考える機会が必要ではないでしょうか。
*
自分を苦しめてきた配偶者を楽にさせない目的で離婚しない、という人も実際にいます。
愛情で結ばれたはずの夫婦がネガティブな感情を抱きあう過程には、さまざまな思惑がありますが、忘れていけないのは離婚の自由はどちらにもあることです。
今後の生活の変化についても、正しい判断が自分を救うといえます。
(ハピママ*/弘田 香)