#5 「優れたリーダーは『器』をゼロにする」?──出口治明さんと読むリーダー論『貞観政要』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
出口治明さんによる『貞観政要』読み解き#5
優れたリーダーに、優れたフォロワーになるために──。
『NHK「100分de名著」ブックス 貞観政要』では、リーダー論の最高峰ともいわれる『貞観政要』を、ライフネット生命創業者でAPU(立命館アジア太平洋大学)学長特命補佐・出口治明さんが読み解きます。
2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第5回/全5回)
第1章──優れたリーダーの条件 より
上司は部下の権限を代行できない
重要なのは「権限の感覚」を持つこと。上司といえども部下の権限は代行できない。これも、頭ではわかっていても実行するのが難しいことのひとつではないでしょうか。なぜなら、人間は自分の得意なことにはつい口出しをしたくなるものだからです。
海外にいくつも拠点を持つ大企業を例に考えてみましょう。アメリカの拠点に長く赴任した人はアメリカ市場に詳しくなる。中国に赴任した人は中国市場に詳しくなる。当然のことです。あるとき社長交代の人事があり、中国の赴任経験が長い人が新しい社長になったとします。その人は一般的にどう行動しがちかというと、中国事業に口を出すのです。職場で自分より中国事業に詳しい人はいない。だから自分が先頭に立つ。でも、それをやっていると部下は絶対に育ちません。部下は「中国のことは社長にお伺いを立ててから進めないと恐い」と思うようになり、自分で判断しなくなるからです。
ではどうすればいいのか。社長は、中国のことはすべて部下に任せるべきなのです。中国事業については詳しいのですから、仮に中国ビジネスがおかしくなってもいつでも立て直すことができるはずです。ですから中国のことにはいっさい口を出さず、自分が知らない分野に懸命に取り組むのです。すると部下は、「あれだけ中国に詳しい社長が全部任せてくれている」と考えて必死にがんばります。一方、アメリカやヨーロッパの部門では、「社長は欧米市場のことはあまり知らないはずなのに、一所懸命自分たちの話を聞いて勉強している」となりますね。組織全体がハッピーになるのです。
マンションの自治会でも同じです。例えば、交流会の開催を知らせるチラシの作成を、パソコンの得意な人に頼んだとします。そこに、自治会のリーダーが「自分は現役時代に印刷の仕事をしていたから知識がある」などと言って、あれこれ口出しをしたらどうなるでしょうか。頼まれた人はやる気をなくし、リーダーの仕事が増えるだけです。
リーダーは、自分の得意なことや好きなことをやってはいけない。これも『貞観政要』が説く実に大切な教えです。
優れたリーダーは「器」をゼロにする
ここまで、良きリーダーの条件を『貞観政要』の中に見てきました。では、まとめると「理想のリーダー」とはどんな人になるのでしょうか。
いきなり身も蓋もないことを言いますが、時代も場所も超えた普遍的な「理想のリーダー像」というものは存在しません。『貞観政要』の中に、創業と守成はどちらが難しいかという有名な問答があります。ビジネスに置き換えていえば、起業と事業継続はどちらが大変かという問題ですね。この問答については第4章で詳しく解説しますが、そもそもこうした問いが出てくるということ自体、創業のときに必要な能力と、守成の時代に必要な能力が違うことを意味しています。あるいは、社会がどんどん成長しているときに必要なリーダーと、成長が落ち着いた時代に必要なリーダーは違うことを物語っています。例えば、戦後の高度成長期には、やることを決めたらあとは「黙って俺に付いてこい」というタイプのリーダーでよかった。しかしアイデア勝負の現代に必要なのは、部下を自由にさせてアイデアを出させる、放し飼い型のリーダーです。
このように、理想のリーダーは時代によって違う。だからこそ器が大事なのです。自分のそれまでの経験や価値観を絶対視して、「これが理想のリーダーだ」などと思っているようではまだまだです。どうせ人間の器の大きさには大差がないのですから、人の上に立つ人は、まずは器を空っぽにして、いろいろな人の意見を聞き、その上で、例えば「今は上り調子だ」と確信できれば、その状況に合った組織を編成してその方向に進めばいいのです。
リーダーの重要な仕事は、時代や状況をきちんと見て、どういう組織を編成すればベストかを判断することです。僕は、組織の強さは資産運用と同じで、ポートフォリオ(組み合わせ、配置)で決まると考えています。誰に何を担当させるのかを決めた段階で、その組織のパフォーマンスはほとんど決まるのです。いかに時代に合ったポートフォリオを組めるか。リーダーの真価はそこにかかっていると言えるでしょう。
太宗は、肉親を殺して帝位に就いたというハンディキャップを克服するため、一所懸命理想的な皇帝になろうと努力しました。優秀な臣下たちを側に置き、自分を諫める役職まで新設しました。こうした努力と制度設計ができるのが、太宗の真にすごいところです。太宗は、自分の器をゼロにすることができたリーダーなのです。
本書『NHK「100分de名著」ブックス 貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず』では、第2章以降「判断の座標軸を持て」、「チームの力を鍛える」、「組織をどう持続させるか」、特別章「たくましいフォロワーとして生き抜くために」という構成で、『貞観政要』を読み解きます。
著者
出口治明(でぐち・はるあき)
ライフネット生命創業者。APU(立命館アジア太平洋大学)学長特命補佐。自身の経験と豊富な読書にもとづき、旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ・Ⅱ』(祥伝社)、『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)など多数。
※刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス 貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず』(出口治明著)より抜粋
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※本書は、「NHK100分de名著」において、2020年1月に放送された「貞観政要」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「たくましいフォロワーとして生き抜くために」などを収載したものです。