TOSHY連載:第6回「哀悼 ふたりの偉人を想う」
5月28日から6月3日まで、私にとっては信じられない訃報が続いた。なかでも強く胸に刻まれたのが、シムサムメディア代表・松崎壮一郎社長の訃報だった。
「クロノス日本版」「LAST」「COSPLAY MODE」。高級時計、革靴、アニメと異なるジャンルにありながら「時」と「人」に軸を置いた媒体を手がけてきた出版社の社長だ。2年前、記者会見の場でご一緒した姿がまだ鮮明に思い出される。あのときの丁寧な言葉選びと、眼差しに宿る矜持。編集者としてだけでなく、“時代の観測者”としての覚悟を感じた瞬間だった。ご冥福を心からお祈りしたい。
なかでも、革靴専門誌「LAST」は、私にとって特別だ。ラスト(木型)という名のとおり、靴づくりの本質に迫りながら、ただのモノ紹介ではない「職人の生き方」にまで目を向けた稀有なメディアだった。靴は、その人の時間を支える。地面を踏みしめ、日々を歩く。そして、別れのときにも一緒にいる。松崎さんが編集という手法で残してくれたのは、「記憶の残し方」そのものだったように思う。
さらに、5月3日にとても衝撃的なニュースが入った。長嶋茂雄監督が亡くなられた1994年10月8日、ナゴヤ球場。当時9歳だった自分は、現地にいた。スタンドから信じられない光景を見ていた。
読売ジャイアンツの槙原、斎藤、桑田のエース継投。松井秀喜のバント。そしてソロホームラン。落合博満の負傷退場に、中日ドラゴンズの立浪和義のヘッドスライディングからの負傷退場。ただの野球の試合ではなかった。幼い自分は、野球を見ているというよりは、信じられない闘いの光景を見ていた気がする。“国民的行事”と銘打った長嶋監督は、スーパースターであり役者だった。一時代を築く確かなパワーがあった。
勝つために、どのような人事采配を決断するのかという意思決定は、現代の組織や人事マネジメントに通じるものがあるのではないかと思う。まさに、その後のドキュメンタリーで長嶋監督も松井秀喜も言っているのが「セオリーは存在しない」という言葉である。
仕事をしていれば、セオリー通りではないのが、常である。予測不可能な場面において、何を選ぶか、誰に託すか。そこに「人」の真価が問われる。松崎壮一郎さんの編集も、長嶋茂雄さんの采配も、その瞬間ごとに“自分なりの答え”を刻んできたように思う。
ふたりの偉人を想う。分野も時代も異なるが、共通していたのは、「時代にどう向き合い、どう記録するか」という問いだった。それに応えるように、私もまた、自分の言葉で時代を残していきたいと感じた。偉大なふたりのご冥福をお祈りします。