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「母だから・女だから」と言われて…坂東眞理子さんが「後輩ママ」に伝える「ジェンダーバイアス」との60年

コクリコ

「女だから・母親なんだから」そんな声と向き合うには?仕事と子育ての両立をめぐる「逆風」の中でも歩みを止めなかった坂東眞理子さんの半生とは。

【画像で見る】女だからの声にどう対応?坂東さんの答えとは

内閣府男女共同参画局長や昭和女子大学学長・理事長を歴任し、二人の娘を育てあげた坂東眞理子さん。

「また女の子か」と落胆された誕生期。東大を卒業しても、女性というだけで民間企業の門戸が閉ざされていた新卒時代。そして、入省後はパンダのように珍しがられた官僚時代──。

そんな「逆風」の中でも歩みを止めなかった坂東さんの半生は、ジェンダーバイアスとの静かな闘いでもありました。

生まれてからずっと「女だから」の枠に挑み続けてきた坂東さんが、令和の子育て世代に向けて、いま伝えたいこととは?

「女の子にはもったいない」から始まった違和感

「私が生まれたとき、母は“また女の子か”と周囲から同情されたそうです。でも、『ありがとうございます』と、母は淡々と受け止め、まったく偏見なしに私を育ててくれました」「『女の子らしくしなさい』などと言われたこともありません。今にして思うと、男兄弟がいなかったことも、理由かもしれませんね」

四姉妹の末っ子として富山で誕生した坂東眞理子さん。少女時代は活発で、かけっこも得意。「男の子なら良かったのに」「女の子にはもったいない」──。周囲には、そんな言葉が飛び交っていたといいます。

「でも、“私は女の子だもん”って思っていましたし、“男の子には負けないよ”とも思っていました」

なぜ男の子だったら褒められて、女の子だと惜しまれるのだろう……。幼い坂東さんは、はっきり言語化できないまま、問い続けていたのかもしれません。

「物心がついてくるに従って、“女の子に期待されている役割は小さくて、男の子ならいろいろな可能性がある”という現実に、フラストレーションを感じるようになったんです」

そんな思いを抱えたまま、坂東さんは東京大学に進学します。当時、女子が四年制大学、しかも東大に進むことはまだ珍しく、家族の間でも驚きや戸惑いがあったとか。

「両親は『女の子がそこまでしなくても……。大丈夫なの!?』という反応。でも、反対されることもなく、最終的には『本人が望むなら』と背中を押してくれました」

「珍獣パンダ」として、男社会を生き抜く

当時は、女子学生が極端に少なかった東大はもちろんのこと、「女子大学生」というだけで珍しがられる時代。民間企業からは「高卒・短大卒のほうが扱いやすい」と敬遠され、「四大女子は就職に不利」とも言われていました。

「短大のほうが就職も楽だし、結婚するにも有利──。親だけでなく、周囲からも、そんなことを言われて、短大を選んだ人がとても多かったんです」

そんな時代に四大、しかも、当時は女子学生が極めて少数だった東大へ進んだ坂東さんが、大学卒業後に選んだのは、官僚という道。

▲坂東さんが大学を卒業したのは1960年代後半。女性の就職率は上がってきていたものの、依然として男性との格差が存在していた。(写真:アフロ)

「当時、四大を出た女子の選択肢は、教師になるか、大学に残って研究者になるか、あるいは、公務員になるか、ぐらいしかなかったんですね。それで私は、国家公務員試験に挑んで官僚の道を選びました。自分に教師や研究者が向いていないと思いましたし、官僚になったほうが、幅広い仕事ができそうだと感じたからです」

こうして坂東さんは総理府(現内閣府)に入省。婦人問題担当、青少年対策、広報などに従事することに。

「入ってみたら、本当に男社会でした……。私はよく、自分のことを“珍獣パンダ”と呼んでいました。『パンダほどかわいくない』と言われましたけど(笑)。とにかく、それくらい女性は珍しい時代だったんですね」

当時、職場での坂東さんは、まったく孤立した存在。誰一人味方はおらず、自分の意見を主張することなく、ひたすら周囲に合わせていたそう。

「主張すれば浮きますし、黙っていても目立ちました。当時、労働基準法によって女性の深夜作業が禁止されていましたから、私は男性のように徹夜もできず、夜の10時になると、『すみません。帰らせていただきます』と言わなければなりませんでした」

▲当時の労働基準法により、女性の時間外労働は1日2時間、1週6時間、1年150時間と制限されており、深夜業も原則禁止とされていた。1985年になって、勤労婦人福祉法の一部改正、および、男女雇用機会均等法が成立し、この制限が撤廃された。(写真:アフロ)

さらに、結婚・出産を迎えた際には「産休を取らせてください」と言うだけで、職場で肩身が狭い思いをしたそう。「当時は、今のような整備された育休制度はなく、産前産後6週間の産休だけでした」と坂東さんは振り返ります。

そんな中でも、着実に実績を積み重ねた坂東さんにとって、見える景色が変わってきたのは、40代で管理職になったことがきっかけでした。

やってみなければわからない 挑戦のススメ

「“希少価値”が武器になって、やっと“自分らしさ”で勝負できるようになったんです」

そう坂東さんは振り返ります。

「現在でも、多くの女性が『管理職にはなりたくない』と口にします。“自分には能力がない”“向いていない”と思い込んでいる人が多いように思います」「確かに昔は“俺についてこい”型のリーダーが主流でしたが、今は違います。チームで動き、支え合うスタイルに変わってきているんですよ。能力がないかどうか、向いていないどうかは、やってみなければわかりません」

それでも、「断ったほうが賢明だ」と考える女性が多いのが現実です。

「経験してみれば、“リーダーになることで視野が広がる”という実感があるはずです。でも、最初から遠慮していたら、そのチャンスに出会えません」

坂東さんは強調します。

「私は特別に優秀だったわけではありません。ただ、やってみたら意外とできた。ですから、普通の人こそ、自分を信じて挑戦してほしいと願っています」

「仕事か、家庭か」のプレッシャー

坂東さんが働きながら子育てをしていた昭和50年代は、仕事を持つ母親はまだ珍しく、支援制度も乏しい時代。保育園に入るのですら簡単ではありませんでした。

「家庭の中では『俺を取るか仕事を取るか』と迫ってくる男性が普通にいた時代です。職場でも『仕事の代わりをしてくれる人はいくらでもいるけど、子どもの母親は君だけだよ』と、“優しさ”を装ったプレッシャーをかけられることがありました」

「男性が同じようなことを言われることは、まずありません。『君の子どもの父親は君だけだよ、父親なんだから早く帰りなさい』なんて言われた男性はいないでしょう?」

当時、坂東さんに限らず、働きながら育児をする女性は、社会からも家族からも、そして、ときとして、自分自身からも「母親はこうあるべき」という基準からはずれていました。

「今でもそうかもしれませんが、子どもに対して『ごめんね』と思いながら働いているお母さんは少なくないと思います。自分で自分にプレッシャーをかけているんですね。私自身もそうでしたが、まず、そこから解放されなきゃいけない」

完璧じゃなくてもいい

私は完全な母親ではない、育児が十分でない、時間が足りない、能力が足りない……。坂東さんは、こんなふうに思っていたといいますが、あるとき、「じゃあ、どこに100%完全なお母さんがいるの?」と、発想を転換。

「完全な母親なんていない。どの子も、100%完璧な環境にいるわけじゃない。そんなふうに考えたら、気持ちが少し楽になりました。ですから、私は、みなさんにも、自分を追い詰めすぎないで、と伝えたいです」

世の中は少しずつ変わってきています。例えば、坂東さんが総長を務める昭和女子大学附属のこども園では、いまや朝の送りの多くを父親が担当しているという現実を見ても、それは明らか。

「本当に驚きます。時代は確実に変わってきているんですね。もちろん地域によってまだまだ課題もありますが、女性だけが頑張る必要はない。“夫婦で育てる”という意識が少しずつ根づき始めていると感じます」

そしてもう一つ。昭和・平成・令和の時代を「母親なんだから」「女なんだから」の声と闘い続けてきた坂東さんからのアドバイス。

働く女性「数の多さ」がパワーに

「かつては、私のように働きながら子育てをする女性は少数派。“私は仕事も育児も中途半端”などと自分を責めたり、挙げ句、泣く泣く仕事を辞めたり……。マイノリティは押し潰されていたわけです。でも、そのマイノリティが増えると受け入れられていくように思います。出産しても働く女性が増えていますから」「数が多いと世の中に与える影響力も大きくなります。人によって事情や立場はさまざまですが、『働きたい』と考える女性は、どんどん外に出て働いてほしいと思います」

こう言ったあと、「私を見て」と笑う坂東さん。

「私なんか、でこぼこで、できないこともいっぱいあります(笑)。だけど、どうにかここまでやってきました。今はまだジェンダーバイアスが溢れている時代で、みなさん悩むことも多いでしょう。それでも生きていれば、細かいところでは悩まなくなるもの。生きるのが容易になりますよ」

坂東さんは「悩んでも何も生まれないんです」と、おおらかに生きることの大切さを明るく語ります。「逆風」の中でも歩みを止めることなく、前に進んできた坂東さんだからこその、説得力のある言葉。

その柔らかな物腰と笑顔が、令和の時代を生きる私たちの背中をぽん! と押してくれるようです。

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坂東眞理子さんへ「子育てとジェンダーバイアス」をテーマに伺う連載は前後編。

親の「ジェンダーバイアス」について、子どもの個性との向き合い方をお聞きした前編に続き、今回の後編では、ジェンダーバイアスを乗り越えてきた坂東さんの半生と子育てについてお聞きしました。

【参考】
厚生労働省 令和3年版働く女性の実情
https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/21.html
男女雇用機会均等法成立35年を迎えて
https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/dl/21-03.pdf

撮影/市谷明美

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