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【斉藤由貴 40周年記念インタビュー】① ファン必読!デビューからアイドル時代の秘話満載

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2025年02月21日 斉藤由貴のアルバム「水響曲 第二楽章」発売日

斉藤由貴デビュー40周年


2025年に歌手デビュー40周年を迎えた斉藤由貴が、歌手活動を活発化させている。セルフカバーアルバムのリリースや、最新のスタジオライブ映像を収めたDVD&Blu-rayの発売、さらに36年ぶりの全国ホールツアーの開催も決定しているのだ。そんな彼女の言葉を2回にわたりお届けしたい。前編ではアイドル時代の歌手活動を振り返ってもらった。オーディションに応募した背景や、アイドル活動期における歌番組での困惑など、これまであまり語られることのなかったエピソードも飛び出す。全ての斉藤由貴ファン必読の内容だ。

オーディションを受けた動機と「卒業」までの過程


── デビュー40周年おめでとうございます。まずは40年以上前のことを思い出していただきたいと思います。中学、高校時代の斉藤さんは歌や芝居の世界に憧れはあったのですか?

斉藤由貴(以下:斉藤)いいえ。“芸能人になりたい” と思ったことはなかったです。だからオーディションに応募したのも、芝居をやりたいとか、歌手になりたいとかではありませんでした。

── 実際のところ、どのような経緯で『東宝シンデレラ』のオーディションに応募することになったのでしょうか?

斉藤:もともと私はとても扱いづらい子どもだったんですね。繊細ともいえますが、内向的で神経質ともいえるところがあったので、母や家族が、“この子は社会の中でどのように生きていくのだろう?” と心配していたんです。だから、応募した動機の何割かに、母が “目先が変わるようなことをさせてあげたい” と考えたというのがあったと思います。

── ご家族の勧めが大きかったということなのですね。

斉藤:それから、うちの母は宝塚が好きで、こういう仕事に憧れていた人でした。そんなこともあって、新聞に載っていた『東宝シンデレラ』オーディションの告知を見つけて、“これ、やってみない?” と言ってきて。私は大学を受験する気持ちはそれほど強くなく “この先どうしようかな?” と思っていた時期でした。

── そこから、1985年2月にデビュー曲「卒業」がリリースされるまでの流れはどのようなものでしたか?

斉藤:きちんと覚えていないのですが、多分『東宝シンデレラ』オーディションが高校3年生だった1984年の春か夏ぐらいだったような気がします。次に『ミスマガジン』に選ばれて、そこから割と早くコマーシャルの仕事が決まりました。自分の18歳の誕生日(9月10日)に、明星食品の『青春という名のラーメン』… 最近、復活しましたよね。そのコマーシャルの撮影をしたことを覚えています。

── CMで “誘惑してもいいですか” “胸騒ぎください” とつぶやいた直後、多忙な日々が始まったのではないですか?

斉藤:その通りですね(笑)。そのあと、TBS系で放送された『原島弁護士の愛と悲しみ』というドラマの撮影があり、“歌でデビューしませんか?” という話が少しずつまとまり始めたんです。それと同時期にフジテレビの『野球狂の詩』という水島新司さんのコミックを原作としたドラマの撮影がありましたね。放送は確か、『野球狂の詩』の方が先だったように思います。そして、「卒業」のレコーディングは年末ぐらいでした。

── 目の前の風景が目まぐるしく動き出し、気がつけば歌手デビューしていた、という感覚だったんですかね?

斉藤:あらゆることがバ〜ッと決まっていき、 “なんか、そういうものなんだな〜” って思いながら、日々クルマに乗って東京に来ていました。「卒業」でデビューした 2 週間後ぐらいに高校の卒業式がありました。

今も歌い継がれる佳曲「卒業」との出会い


──「卒業」というデビュー曲に接したときの第一印象はどんなものでしたか?

斉藤:曲ができる前に松本隆さんが書いてくださった歌詞を見せられたんですね。そのときはほっとした覚えがあります。当時、アイドルっていうと、ミニスカートやピンクのワンピースを着て、リボンを付けて、振りのあるかわいい曲を歌うイメージがありましたよね。ある種のステレオタイプというか。私は自分がそういうことができるタイプの人間ではないことは百も承知だったので、正直、“どんなふうになるんだろう?” って心配だったんです。ところが、歌詞を見た時になんとなく “私のことを分かってもらえてる” と思ったんですね。

── 斉藤さんは他のアイドルの方々とは一線を画していて、どこか別の世界にいるようでしたね。テレビの生番組に出ても、観ている側が心配になるほどに周りに同化していなかったように見えました。

斉藤:それは的確な表現ですね(笑)。その感じを丸出しにしていましたよね。でも、自分でも繕うことはしていなかったと思います。

── デビューした頃には『オールナイトフジ女子高生スペシャル』という、その後のおニャン子クラブを生む単発バラエティ番組の司会も担当されました。多くの女子高校生が出演したあの番組での斎藤さんだけは、他の出演者と違った佇まいがありました。

斉藤:その時の私のマネージャーさんには、私に全く方向性の違うことをどんどんチャレンジさせるという考えがあったんですね。多分、あの番組も私が苦手なものを見つけて来て、やらせてみるということがあったのでは。『スケバン刑事』もその一環だったでしょうし。

── しかし、『オールナイトフジ女子高生スペシャル』は『夕やけニャンニャン』の前哨番組となり、『スケバン刑事』はシリーズ化されました。どちらの企画も成功を収めましたね。

斉藤:『スケバン刑事』は学ぶこともいっぱいありましたが、最後まで難しい部分もありました。

── さて、一方で歌手としては「白い炎」「初戀」「情熱」と次々とリリースされたシングルがいずれもヒットしていきました。特に松本隆さんが作詞した作品は、文芸路線というか、斉藤さんのイメージにハマるものだったと思います。そうした楽曲作りにあたり、斉藤さんの意見は反映されていたのですか?

斉藤:駆け出しの若い頃に自分から “これがやりたい” と言ったことはほとんどなかったです。マネージャーさんに “次これをやるから” って言われたら “そうなんですね” って言って、与えられたことをやっていました。

超ハードスケジュールの時期に始めた作詞活動


── 歌手活動を続ける中で、歌うことの楽しさを実感する瞬間はありましたか?

斉藤:歌う場所によりけりでしたね。歌番組で歌うのはあまり好きではなかったです(笑)。生番組だと進行によって「卒業」のようなメロウでしっとりした曲でもバンドの皆さんがビックリするようなスピードで演奏して、時間を短縮することがあるんです。フロアのディレクターさんが、“早く早く!” みたいな感じで指示をしている姿が横目に入ったりして。全然落ち着いて歌えない(笑)。もちろん歌わなければいけないから歌っていましたけど、いろんな混乱はありました。その点、やっぱり一番自分らしく歌えたのはコンサートでした。

── どのような理由からですか?

斉藤:起承転結があって1つの物語みたいなものをショーとして皆さんに統一感を持って見ていただけるので。だから表現しやすかったです。

── レコーディングは?

斉藤:環境としては落ち着いて歌えたんですけど、レコーディングの場合は、それが作品になるので責任が重い。落ち込むことも多く、“私はなんでこんなに歌が下手なんだろう” という思いとの戦いでした。

── 当時はヒットチャートに注目されている時代でした。デビュー2年目の「悲しみよこんにちは」もヒットして、7枚目のシングル「青空のかけら」で初めて1位になる。セールスやランキングなどは気になりましたか?

斉藤:1位になったと言われた時は嬉しかったです。でも、そういう結果が出なくても、それで落ち込んだり、クヨクヨしたり、そんな時間はなかったですね。嬉しいことは嬉しいとして受け入れるけども、あとはひたすら “押し寄せてくる仕事を頑張るだけ” っていう日々でした。

──『ガラスの鼓動』というデビュー2年目のアルバムから、作詞を始め、クリエイティブな活動がスタートしますよね。

斉藤:私はピアノを習っていましたけど、作曲するまでの技術はありませんでした。ただ、文章を書くことは小さい頃から大好きだったんです。だから詞を書くことは自分のなかで自然な流れでした。

── 1986〜1987年あたりの斉藤さんは、NHKの連続テレビ小説『はね駒』、フジテレビ系のドラマ『あまえないでョ!』、さらに3本の映画に主演し、ラジオのレギュラーもあり、CMにも出ていた。ライブツアーもやっていた。その上で、シングルを定期的にリリースし、アルバムも年に2枚は作っていました。さらに創作活動を始めるというのは驚異的ですね。

斉藤:地獄のような忙しさでしたね(笑)。あの頃はそれが普通だったんですけど、今思うと無茶だなとは思いますね。常にレコーディングしていた感覚でした。

「夢の中へ」は楽しそうにするしかなかった?


── デビュー3年目、4年目になってシングルのリリース間隔が開いていくなかで、1989年に「夢の中へ」という異色作があります。曲調はアップテンポで、アレンジはポップなものでした。そして、今までにないアクティブなダンスがありました。歌っているときの斉藤さんは、とても楽しそうに見えましたね。

斉藤:あれはね、楽しそうにするしかなかったのです。そもそも、ポップでアップテンポという時点で、私は及び腰になります。自分には合わない世界だということはよくわかっていました(笑)。しかも、「卒業」はただ立って歌ってればなんとかなったんですけど、「夢の中へ」は立って歌っているだけでは格好がつかない。だけど、うちの会社(東宝芸能)は “じゃあ誰かに振り付けを頼みましょう” とか、そういうことは思いつかなかったので、仕方なく自分で適当に体を動かしてみようと。そうしたらああなったんですよ。そしたら “変わってる” って言われました。「夢の中へ」の振りに関しては、一言で言うなら “踏んだり蹴ったり” でした(笑)。

── つまり “楽しそうに歌う斉藤由貴" を表現していたと。そこは役者としてのスキルがいかされたんですね。しかし、その効果は絶大で「夢の中へ」は過去最大のヒットとなります。ただ、通常、レコード会社はこの流れを受けてすぐに柳の下の二匹目のドジョウを狙うものですが、斉藤さんの場合、それをやらず、音楽活動は徐々にスローペースになっていきましたね。

斉藤:多分、その頃から “もうアイドル歌手としてそんなに売れないんじゃないか" という意識があったのかもしれませんね。それに、うちのプロダクションは映画の会社なので、“そっちの方を一生懸命やらないとね” っていうふうにマネージャーさんやエラい人の中で話がまとまった可能性もあります。でも、正直いうとそこらへんもあんまり気にしていなかったです(笑)。

── え、そうなんですか! 次のシングルを待っていた方は多かったと思いますよ。

斉藤:なにより、長岡さん(長岡和弘・元ポニーキャニオン音楽制作部ディレクター)という私のディレクターさんは、“売らんかな” というところがあまりないというか、なんと言えばいいんですかね… 商業ベース? そういうことではなく、私の人間性みたいなものを鑑みた時に “これぐらいのペースでじっくり納得できるようなものを作りたい”。そう思っていたんだと思います。

不思議な巡り合わせで動き出した40周年企画


── 1990年代後半以降は斎藤さんのライフステージの変化もあり、音楽活動が休止に近い状態になりますが、2008年以降は再び力が入るようになっていきましたね。

斉藤:“また歌をやろう!” っていうふうになったのは、私が歌手活動何周年といった節目がきっかけなんだと思います。先ほども言ったように私は今までのキャリアで “これをやりたい!” と主張したことは恥ずかしながらそんなになくて、“やらないですか?” と言われて “そうですね” となることがほとんどでした。今回の40周年のいろいろな企画も、今のマネージャーさんが “40周年だから絶対にやりましょう” という強い熱意を持って言ってくれて。私は “どうなっても知らないよ” と言ったんですけど(笑)。その前の35周年のときに『水響曲』というアルバムを武部聡志さんと作って、その頃からビクターさんに “ウチでやりましょう” と言っていただいて。なんか、不思議なぐらいにいろんなことがまた起こりだしたっていう経緯です。

後編では、今の音楽活動についてのみならず、同時代のアイドルについてどう思っていたかなど、貴重な発言の連発が続く!

Information

「水響曲 第二楽章」(初回限定盤)
斉藤由貴歌手デビュー40周年を記念した武部聡志プロデュースによるセルフカバーアルバム第2弾。初回限定盤は、セルフカバーした楽曲のリリース当時のオリジナルバージョンを収録した2枚組で発売。

▶︎発売日:2025年2月21日
▶︎アルバム(2枚組)
▶︎価格:4,800円(消費税込)

<収録曲>
1. 悲しみよ こんにちは
2. 土曜日のタマネギ
3. ストローハットの夏想い
4. 予感
5. 夢の中へ
6. ORACIÓN -祈り-
7. 青春
8. Where ~金色の夜~
9. 卒業
10.家族の食卓

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