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「ひも理論」と「ループ量子重力理論」はどう違う? 物理学の基本課題の解決を目指す科学者たちの歩み

NHK出版デジタルマガジン

「ひも理論」と「ループ量子重力理論」はどう違う? 物理学の基本課題の解決を目指す科学者たちの歩み

 ベストセラー『時間は存在しない』、『世界は「関係」でできている』を世に送り出した天才物理学者カルロ・ロヴェッリの最新刊『ブラックホールは白くなる』が2月25日に発売されました。彼が提唱する「ループ量子重力理論」がその存在を予測している「ホワイトホール」とは一体どんな天体なのか? 本記事では「ループ量子重力理論」と、同じく相対性理論と量子力学を統合できる理論として有力視されている「ひも理論」の特徴などを解説した訳者・冨永星さんによるあとがきの一部をお送りします。

『ブラックホールは白くなる』

ループ量子重力理論とホワイトホール

 さて、原題からもわかる通り本作品は、アインシュタインの方程式のブラックホールとは別の解として知られてきた「ホワイトホール」をテーマに据えている。ブラックホールと呼ばれる解ですら、その実在が広く認められ確認されたのはつい最近のことであって、今でもホワイトホールは数学的な概念にすぎないという見方が強いのだが、ロヴェッリは、空間を量子化したループ量子重力理論に基づけば「ホワイトホール」が実在する確率を算出することができて、その値は一に近くなる、と主張する。そこでここでは、「ループ量子重力理論」と「ホワイトホール」を巡る現状を簡単に紹介しておく。

 本文の八二ページでも触れられているように、ロヴェッリは「空間と時間の量子的側面を正確に把握し、量子的になった空間と時間を扱う際に不可欠な概念構造を明らかにしようと努める」なかで、「ループ量子重力」と呼ばれる数理構造を構築した。つまり、互いに相性の悪い相対性理論と量子力学を統合して量子重力理論を確立する、という物理学の基本課題の解決を目指して、ある有力な候補を構築したのだ。

 相対性理論と量子力学を統合した理論を構築するとなると、まず大前提として、相対性理論を理解してさらに量子力学も理解し、そこで生じる問題を理解できていなければならない。そうでなければ、とうてい解決などおぼつかない。そこで一般に「量子重力理論」の解説書では、「相対性理論」を解説し、「量子力学」を解説してから量子重力理論の問題に取りかかるのが普通で、じつは本書を含む三つの作品も、このような正統な手順に従って展開している。

 このようなループ量子重力理論の紹介は、じつは『すごい物理学講義』ですでに行われているのだが、その後の三作品では、一作目の『時間は存在しない』で時間(アインシュタインの相対性理論によってその概念が根底から覆った)を取り上げ、二作目の『世界は「関係」でできている』で視点が織りなす世界(量子論を正面から受け止めると、関係が世界を編み上げていることになる)を取り上げて、三作目の本書でホワイトホール(ループ量子重力理論がその実在を予測している現象)へと至っている。つまり入門書や解説書と同じ正統な進行を踏襲しつつ、ループ量子重力理論において「時間」および「関係」の概念が占める重要性、それらの従来の概念をいったん反故にして再構成することの必要性を明確に示したうえで、ループ量子重力理論と現象との繫がりを紹介しているのだ。ループ量子重力理論をきちんと捉えるには、相対性理論がもたらした新しい「時間」の概念や、量子論がもたらした新しい「関係」の概念を深く考える必要があるが、それらの概念自体、容易に咀嚼できるものではない。だからこそロヴェッリはこれらを存分に論じるために、この三つをそれぞれの作品に割り振ったのだろう。

 さて、本文の一二〇ページにもあるように、量子重力理論には有力な候補が大きく二つあるとされている。これまでにさまざまな量子重力理論の候補が提案されては消えるなか、物理学者たちの厳しい目に堪えて、「現在も数理的な推論として成立している有力な候補」として受け入れられているのが、「ひも理論」とロヴェッリらが取り組む「ループ量子重力理論」なのだ。ただしこの二つにはさまざまな違いがあり、まず――これはロヴェッリ自身が語っていることだが――取り組んでいる研究者の人数が一桁違う。ひも理論が数千人規模なのに対して、ループ量子重力理論は数百人規模。ではなぜこんなに取り組む人の数が違うのかというと、一つには、それぞれの理論の目標が異なるからだ。

 そもそもひも理論は、量子重力理論のための理論ではなかった。あらゆるものの基礎となっている粒子を突き止めようとする物理学の分野、素粒子論において、基本中の基本となる「素粒子」が(わたしたちが直感的に想像する)点だとするとさまざまな問題が生じることから、ごく微細なひもが振動していると考えたらどうか、と仮定したことで始まった理論なのだ。この仮定が大いに有効でさまざまな事象を説明できたことから、どんどん発展するなかで、だったら量子重力もきちんと説明できるはずだということになり、今日に至っている。

 ひも理論は素粒子論に由来しているので、物理学者が馴染んできた手法を使える場合も多く、それが強みになっている。とりあえず時空の量子化という問題は棚上げにして、それとは異なる側面からの量子重力などの問題への取り組みが続けられ、停滞と発展の波を繰り返しながら、今も数学に刺激を与えつつさまざまな方面に展開しているのだ。

 これに対してループ量子重力理論は、量子重力理論のための理論だから、はなから目的が限定されている。量子重力理論構築に向けた試みは、相対性理論と量子力学の着想を数学的に組み合わせる試み、すなわちホイーラー=ドウィット方程式から始まった。だがこの方程式には時間変数が含まれていなかったから、背景となる時間のなかで事象を記述することを常としていた物理学者たちの多くが当惑することとなった。それでも一般相対性理論に比較的忠実に空間を量子化するという試みは途絶えることなく、そのなかで、一般相対性理論では混じり合っている時間と空間をひとまず峻別し、既存の理論(ゲージ理論)と同じような定式化を行ってそこで量子化を行おう、という路線が生まれた。そしてロヴェッリとリー・スモーリン(八七ページ)が見出した「ループ表現」が大きな弾みとなって、空間を量子化したループ量子重力理論が展開されたのだ。ロヴェッリによると、ループ量子重力理論は八〇年代に発見され、九〇年代に計算に乗り、二〇〇〇年代に共変性にアプローチし、二〇一〇年代に古典相対性理論と繫がる、という形でゆっくり進んできたという。だが問題が大きく計算がひじょうに複雑で、しかもひも理論の場合の素粒子論のような強力なバックグラウンドがないため、ひも理論が経験したような大きな流行は、まだない。

 こうしてみると、素人はついつい二つの理論に優劣をつけたくなるが、ひも理論で有名なブライアン・グリーンとロヴェッリとの対話では、「二つの理論は別々の道を経て、量子重力理論というより深い統合を目指している」という点で、両者の意見が一致している。実際に現時点で物理学者たちは、これら二つの未だ発達途上で荒削りな部分がある理論がじつは互いを補完するのではないか、と考えているという。

 ロヴェッリとグリーンはこの二つのアプローチの性質について、さらに次のように述べている。すなわち、「ひも理論は『数学的』であり、方程式があったら、さあできることをやってみよう !という姿勢なのに対して、ループ量子重力理論は『哲学的』で、方程式があったら、さあこの意味を考え直してみよう !という姿勢だ」というのである。その一方でこの二つには、「よく、形而上学的だといわれる」という共通点がある。つまり、現実から遊離気味、と目されているのだ。物理学は「現実の仕組みを説明」しなければならないから、当然それぞれの理論がその理論に基づく予測を出して、それを検証しようと試みる。そのような検証が達成されてはじめて、その理論が現実の仕組みを説明していることが認められるわけで、ひも理論の場合はさまざまな予測を出してきたが、まだそれらが確かに検証されたといえるところまではいっていない。一方ループ量子重力理論の場合は、予測を出すこと自体が困難なのだが、この作品で提示されている「(アインシュタインの方程式の解である)ホワイトホールが実際に存在するはずだ」という主張は、そのようなループ量子重力理論の数少ない「予測され、検証に付され得る現象」になっている。ロヴェッリ自身はループ量子重力理論について、「とても美しい理論だが、いずれどこかで実験、観察と結びつかなければ、意味のないものになってしまう」と考えているが、「ホワイトホール」が存在することが確認できれば、それによって「ループ量子重力理論」が現実の観察と結びつくことになる。ちょうど、「大きな質量のそばでは光も曲がる」という予測が日蝕の際のある現象を通して確認されたことによって、アインシュタインの一般相対性理論の妥当性が裏付けられたように。その意味でロヴェッリにとって、「ホワイトホール」は大変大きな存在なのだ。

 そうはいっても――これはどちらにもいえることだが――これらの理論を裏付ける現象を観測するのはきわめて困難で、物理学が専門ではない訳者などは、思わず「そんなものを観測するなんて無理、無理、できっこない !」と感じてしまう。ところが物理学者の時間感覚は少々異なっているようで……。たとえば、本文にも登場するジャンスキーが一九二八年に捉えた電波信号に関していうと、たぶんその発生源はブラックホールだろう、という仮説が広く取り上げられるようになったのはようやく一九八〇年代のことで、さらに、十年に及ぶ観察などを経て間違いなく超大質量のブラックホールであると結論されたのは二〇〇九年のことだった。物理学者はこれまでにも幾度となく、理論が生まれてからそれを裏付ける観察が得られるまで、あるいは何かが観察されてからそれを説明する理論が生まれるまでにひじょうに長い時間がかかる、という経験を繰り返してきた。だから「難しそう」なくらいでは決してめげず、自分が生きている間には達成できそうにないプロジェクトにも、当然のように汗を流す。
 実際、フランス国立科学研究センター(CNRS)のニュースでは「ホワイトホール」を次のように紹介している。

 ブラックホールの存在が予測されてからその検証までに何十年もかかったように、ホワイトホールの存在も、その検証には長い時間がかかるかもしれないが、ループ量子重力理論の方程式からいって、それは十分に存在し得る。ホワイトホールを観察するために、ホーキング放射が始まってどんどん質量を失い始めている多数の小さなブラックホールを探すことが検討されている。そのようなブラックホールは原始ブラックホールであるはずだから、現在天文学者たちは、これらの――これまで観察されたことがない――原始ブラックホールに注目して、ホワイトホールへの遷移の証拠を摑もうとしている。ではどのようにして探すのかというと、ブラックホールからホワイトホールへの遷移は暴力的であり得るから、その際に発せられるであろう強烈なガンマ線バーストを探す……云々。

 このように、本作品で紹介されていることはまさに物理学の先端の一つであり、物理学はそれを真剣に受け止めている。

※『ブラックホールは白くなる』訳者あとがきより、本記事用に一部を編集して公開。

著者

カルロ・ロヴェッリ Carlo Rovelli
理論物理学者。1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学卒業後、パドヴァ大学大学院で博士号取得。イタリアやアメリカの大学勤務を経て、現在はフランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いる。「ループ量子重力理論」の提唱者の一人。
『すごい物理学講義』(河出書房新社)で「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。『すごい物理学入門』(同)は世界で150万部超を売り上げ、『時間は存在しない』(NHK出版)はタイム誌の「ベスト10ノンフィクション(2018年)」に選出、『世界は「関係」でできている』(同)は世界23か国で刊行決定など著作はいずれも好評を博す。本書はイタリアで10万部以上を売り上げ、世界27か国で刊行予定の話題作。

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