【文月悠光さんの新刊「大人をお休みする日」】 「あたらしい火を放て。」
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は2月18日に発行(奥付)された詩人文月悠光さんの新刊「大人をお休みする日」(角川春樹事務所)を題材に。
毎秋静岡県内で開かれる現代詩のイベント「しずおか連詩の会」に2013年以降、3回参加している文月さんの第5詩集。2010年、第1詩集「適切な世界の適切ならざる私」が最年少18歳で中原中也賞に選出された。「連詩の会」に初参加した時は、早稲田大の学生だった。たゆまぬ活動の結果、今や日本の現代詩の「顔」の一人である。
文月さんの作品の多くは「わたしの関心」「わたしへの関心」が題材になっていると思う。詩人とは多かれ少なかれそうした創作態度だろう、と言われてしまうかもしれないが、文月さんは飛び抜けてその傾向が強い。ものごとを客観視することをいさぎよしとしない。逆に言えば、全てを自分に帰結させ、全ての責任を自分が負う、という「覚悟」のようなものが感じられる。
美しいものを見つけた喜びや優しさに触れた際の快さの一方で、ままならない他者との関係、自分はここにいていいのだろうかという逡巡も文月さんの重要なモチーフだろう。
ところが今作はこれまでの文月さんの顔つきとは少し違う。冒頭から他者への信頼が満ちあふれている。「孤独のかたち」では「わたしはあなたの前で/緊張する ただひとつの/うつわなのだ。」とまで言っている。「夜の海へ」の「あなたのとがった髪が/わたしの肌をかすかに突いた。」を読むと、物理的な距離の近さが伝わってくる。親密なニュアンスに文月さんの新章を感じる。
この詩集がユニークなのは、親密さや開放感がシームレスに減衰していくような構成にしている点だ。ピアノ演奏の楽譜に書かれたデクレシェンド記号のように。作品が少しずつ少しずつ閉じていき、最終章は自問自答のような形式に達する。言葉で「武装」しているかのようなキリッとした表情。これも間違いなく、文月さんの魅力の一つである。
最後から二つ目の「あたらしい火」の結びに背筋が伸びた。「まだ濡れたつま先を/赤いヒールに詰め込んで/地を愛するように、かかとを鳴らした。/わたしは、枯れないわたしを誇る。/あたらしい火を放て。」。これは凱歌であり、賛歌であり、マニフェストである。鼓舞される人が多いのではないか。もちろん、男女を問わず。
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