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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.50】静岡工業(現・科学技術高)が「赤の静岡工」に変わった理由

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【静岡工業④】黄から赤 イメージ一新

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。

イメージを一新した赤のユニホーム(1975年度全国総体開会式から)


1972年(昭和47年)度の東海総体で、静岡工は赤いユニホームで登場した。慣れ親しんできた黄色のユニホームではなく。新ユニホームは「静工じゃない」との指摘を受けた―と、GKだった清水佐平(静岡ガス)はサッカー部記念誌『60年の足跡』に記している。だが、3年後の75年度全国選手権で準優勝し、「赤の静岡工」はすっかり定着する。

ジョージ・ベスト、赤き血のイレブン

黄色からの変身の裏には、主将を務めた高橋俊光(アカツキコーポレーション)の赤への強い思い入れがあった。あこがれのジョージ・ベストが所属したマンチェスター・ユナイテッドのチームカラーは赤であり、サッカー漫画の「赤き血のイレブン」が一世を風靡(ふうび)していたこともあって、赤にひかれ、イメージ一新を申し出た。「心機一転を図りたかった」と、高橋は当時の思いを語る。

「赤の静岡工」がなじみ始めた74年度、15年間にわたり指揮を執った松永弘道(焼津市在住)が静岡高に転出、その静岡高を率いていた松本博之(焼津市在住)が新監督の座に就いた。

4−4−2布陣の採用

松本には温めていたフォーメーションがあった。トップ2枚の4−4−2である。古典的なWMから4−2−4、さらに4−3−3と変遷する中で、前線に2人を据えるフォーメーションを模索してきた。新任地に赴いた松本は、4−4−2の採用に踏み切った。選手の個性を見極め、いける―との手応えを感じ取ったからだ。

選手たちは、どう受け止めたか。「別に違和感は感じなかった」(吉田弘=日本サッカー協会)といい、新たなシステムを抵抗感なく受け入れた。といっても、6月の全国総体県予選はよもやの1回戦敗退に終わった。

1974年度の選手権県予選、清水東と決勝で激突

だが、秋の全国選手権県予選は成長した姿を見せた。1次トーナメント、リーグ戦を勝ち抜き、ベスト4による決勝トーナメントに駒を進めた。4強対決はまず藤枝東と対戦、1−0で競り勝って決勝に進んだ。

決勝は全国選手権初出場が懸かっていた。相手は清水東。前半3分に先手を取られた。だが17分、右からチャンスをつくり、攻め上がった渡仲敏美(現・鈴木、茶業)が、20メートルのシュートをゴール右隅に決めて追い付いた。しかし、38分に決勝点を奪われ、1−2で涙をのんだ。

念願の選手権初出場を目前にしながらの敗退だったが、布陣の大半を占めた2年生が中心になって、翌75年度に夢を実現する。(敬称略)
 

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