芭蕉のミステリアスな弟子。終焉の地・壱岐島で愛され続ける河合曽良【長崎県壱岐市】
松尾芭蕉の弟子であり、「奥の細道」の旅にも同行した俳人、河合曽良(かわい・そら)をご存じですか?長崎県の離島、壱岐島には彼の墓があり、市指定の記念物に選定されています。またそのお墓は世話人によって守られ、愛され続けています。
河合曽良は長野県諏訪(すわ)市で生まれ、俳人・松尾芭蕉と出会い、「奥の細道」に同行し多くの俳歌を残しています。その後、江戸幕府の巡見使(地方へ派遣された臨時職の役人)に抜てきされ、九州地方を担当することになります。江戸を出発し、佐賀の呼子から壱岐勝本浦へ入港。壱岐島を巡見後、対馬に向かう予定でしたが、体調を崩し、この町が終焉(えん)の地となりました。
諏訪市教育委員会の教育長らが河合曽良の墓を訪れた際に案内をした蓑田さん(写真右)
曽良の墓の近所に住んでいて、所属していた婦人会で代々墓を世話をしていたことがきっかけで河合曽良墓守世話人会代表として活動する蓑田(みのだ)さんは「10年以上、世話人として墓の掃除やだんごやお花の供えをしている」と話します。蓑田さんに曽良の魅力を尋ねると「芭蕉のそばについて身の回りの世話をしながら、旅に随行していた。そして占いの能力もあり、剣術にも長けていたなどといわれるミステリアスな男性。曽良の大ファン!」と興奮気味に話してくれました。
河合曽良墓守世話人会では普段から墓の掃除をする他、毎年5月22日の命日には壱岐市内の文芸団体が集まり曽良にちなんだ句を捧げる活動をしています。また曽良の生誕の地である諏訪市から要人が来た際にも案内をしています。今後は句碑の横に俳句ポストを置くなどの取り組みをしていきたいと、曽良に関連する活動を続けます。
写真はすべて2024年10月15日に筆者が撮影したもの