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登山家・三浦雄一郎氏と息子の豪太氏が語る"年齢を重ねても挑戦し続ける人生"

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90歳を越えた今もなお挑戦を続ける冒険スキーヤー三浦雄一郎氏と、その息子で医学博士の豪太氏にインタビュー。70歳を過ぎてからエベレストに3度登頂するなど、夢を追い続ける雄一郎氏の挑戦の裏には、家族のサポートがあった。二人が語る「挑戦」と「家族の絆」から、人生100年時代を豊かに生きるヒントを探る。

70歳を過ぎてからもエベレストに3回登頂

―― 最初に、お二人の活動についてお聞かせください。雄一郎さんはスキーヤー、登山家として活動されていますね。

雄一郎 はい、私はこれまで世界の山々を滑る冒険スキーヤーとして活動してきました。特に70歳を過ぎてからは、70、75、80歳の時にエベレストに3回登頂しています。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

―― ニュースで拝見しておりました。ちなみに、富士山の登頂回数はどのくらいになるのでしょうか?

雄一郎 富士山は30回以上は登っていますね。

豪太 いや、お父さん、もっと登っているはずだよ。50回以上は登っているんじゃないかな。練習のたびに1ヵ月に2、3回は登っていましたからね。

―― 富士山登頂も練習の一環なのですね。豪太さんのこれまでのご活躍についても教えていただけますか?

豪太 私はスキーヤーとして、フリースタイル競技のモーグルで2度のオリンピックに出場しました。また、父と一緒にエベレストに2度登頂しています。

現在は、インクルーシブ野外教育に力を入れており、どんな人でも野外を楽しめるような技術と関係づくりに重点を置いています。さらに、アンチエイジング医学の分野でも活動しており、医学博士の資格も持っています。

―― 大学院で医学の博士課程を修了されているのですね。

豪太 はい、そうなんです。実は父も獣医学部出身なんですよ。

雄一郎 そうだね。私が獣医学部に入ったのは、単純に空きがあったからだったんだけど(笑)。

豪太 父が獣医学部に入った理由は、面白い話があります。当時、実験で使用した動物を無駄にしないために焼肉にする習慣があったらしくて、その焼肉を食べるために獣医になったという話を聞いたことがあります(笑)。

―― 面白いエピソードですね(笑)。2023年の富士山登頂が話題になりましたが、車椅子を使用されていましたね。

雄一郎 現在、私は両足が脊髄損傷で麻痺しており、歩くのもやっとの状態です。なので、豪太が取り組んでいるインクルーシブ野外教育の一環で開発された、HIPPO campe(以下、HIPPO)という登山用車椅子を使用しました。

これを、ミウラ・ドルフィンズのチームのメンバーたち約30人が集まって引っ張ってくれました。まるでお祭りのような雰囲気で、みんなで「わっしょい、わっしょい」と声を掛け合いながら登りました。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

―― 頂上に到達した時はどんなお気持ちでしたか?

雄一郎 先ほどお伝えしたように、これまで50回以上富士山に登っていますが、これまでとは違って今回は初めて自分の足で登れない状況でした。

しかし、HIPPOを使い、仲間たちに引っ張ってもらいながら登ることができました。みんなが楽しそうにワイワイ言いながら登ってくれたことが、とても印象的で、まるで富士山でお祭りをしているような感覚でしたね。

豪太 私から見ても、今回の登山は特別なものでした。これまで父を支持してきた人たちが一堂に会し、まるで大きな同窓会のように一体となって登るというところが、とても面白かったですね。

あとは、父が自ら車椅子に乗ることを選択したことには大きな意義があると思います。これまで自分の足で50回以上も登ってきた富士山、そしてエベレストまで登頂できた人物が、あえて支援を受けて登ることを選んだのです。

それも一つの大きなステップであり、 勇気だったなと思います。介護が必要な方たちにも、新たな挑戦の選択肢を示せたのではないでしょうか。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

―― 確かに大きな意義がありますね。メンバーの方々の反応はいかがでしたか?

豪太 みんな満足している様子でしたね。誰一人として「引っ張らされている」とか「働かされている」という感覚はなく、全員で楽しみながら登れました。

2泊3日での登山でしたが、下山後も打ち上げをしようと、みんなで事務所に集まって一晩中飲み明かしまして(笑)。

父が50年以上にわたって冒険を続けてきた中で、それを見守り、支えてきた仲間たちが集まったのです。普段はなかなか会う機会のない人たちも来てくれて、本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。

インクルーシブ野外教育の実践と支援技術の開発

―― 豪太さんが行っているインクルーシブ野外教育について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?

豪太 私が力を入れているインクルーシブ野外教育では、どんな人でも野外活動を楽しめるようにするための技術や環境づくりを行っています。具体的には、野外適応機材の開発に取り組んでいます。

例えば、スキーではデュアルスキー、登山では父も使用したHIPPOという山岳用車椅子ですね。

―― それぞれどのような特徴があるものなのでしょうか?

豪太 HIPPOは非常に多様性がありまして、山だけでなく海辺でも使用できます。つまり、アウトドア全般で活用できるんです。デュアルスキーは、いわば雪の上を走る車椅子のようなものです。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

父はデュアルスキーも使ったことがあるのですが、「自分の足でスキーをしたい」という強い意志があったので早々に卒業しました。現在では完全に自力でスキーができるようになっています。

―― デュアルスキーを使用したことによって、良い影響があったのかもしれませんね。

豪太 父にデュアルスキーを使ってもらったのは、必ずしも父自身が使う必要があったからではありません。父が使うことによって、他の人々に「雪山ではこういったものがあるんだ」ということを知ってもらいたかったんです。

私は自分を技術家だと思っています。父が無理難題を言い出すたびに、それを実現するための方法を家族で相談しながら考えるのが私の役割だと感じていて。

何か新しいことに挑戦するとき、達成するためのアプローチ法を考えるのが私の楽しみでもあるんです。

―― 事業を通じて実現したいことを教えてください。

豪太 現在はインクルーシブな理念を取り入れたリゾート開発を始めています。これは、これまでの活動の集大成とも言えるプロジェクトです。

具体的には、自分の玄関の前からデュアルスキーで出て、家族全員でスキーを楽しめるような、完全にスキーイン・スキーアウトができる施設を目指しています。そしてデュアルスキーやHIPPOでも使える場所にしようと考えています。

今は土地だけ所有している段階ですが、関係各社と夢を共有しながら進めているところです。

―― 面白そうなプロジェクトですね。そのようなリゾート施設ができれば、多くの人々に新たな可能性を提供できそうです。

豪太 はい、そう考えています。このリゾート開発は、単なる観光施設ではなく、インクルーシブ社会を実現するための一つのモデルケースになればと思っています。

アスリートとなる子どもを育てることも考えていて、今はとても面白い段階ですね。

「富士山を登りたい」という目標を掲げて病気に立ち向かう

―― 雄一郎さんは歳を重ねてもチャレンジを続けていらっしゃいますが、何が原動力となっているのでしょうか。

雄一郎 目標を掲げていることですね。私の経験から言えることは、高齢になっても目標を持ち続けることが非常に重要で、目標があることで日々の生活に意味が生まれ、前向きな気持ちを維持できます。

今もリハビリをしていますが、夢や目標を叶えるために取り組んでいます。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

―― 雄一郎さんほど大きな目標を立てるのは難しい方が多いと思いますが、具体的にどのような目標設定をすべきでしょうか?

雄一郎 必ずしも大きな目標である必要はありません。目標と言うと難しく感じるかもしれませんが、「これやってみたいな」「あそこに行ってみたいな」ということは誰しも持っていると思います。

これをスケジュールを立ててやり遂げるということですから、例えば「旅行に行く」「ハイキングに出かける」といった小さな目標でも十分です。

重要なのは、自分にとって意味のある、達成可能な目標を設定することです。それを一つずつ達成していくことで、自信がつき、さらに大きな目標に挑戦する勇気が生まれます。

―― 目標を達成するまでモチベーションを維持するコツを教えてください。

雄一郎 私の場合は、常に次の冒険を想像することでモチベーションを保っています。脊椎損傷した当初は要介護4となり、最初は3ヵ月間寝たきりの状態でした。

その後少しずつリハビリをして、伝い歩きができるようになり、車椅子の移動までできるようになりました。

今では、ふらつきながらも自分の足で歩くことができます。

ここまで頑張れたのは、将来もう一度スキーをするという目標や富士山を登りたいという気持ちがあったからこそです。そこに向かって行動ができたということですね。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

―― 一歩一歩着実に目標に向かうことが大切になりますね。体を動かす登山は健康にも良い影響があると思いますが、これから始めようとする方は、どのような場所から始めると良いでしょうか。

雄一郎 想像に難くないと思いますが、まずは難易度の低く、小学生でも登れるような山からスタートすると良いと思います。東京付近だったら高尾山とかね。

いきなり大きな山に登ることは無理ですから、一番易しい目標からクリアして、少しずつステップアップしてみてください。

―― 高齢者の山登りで注意すべき点を教えてください。

雄一郎 まずは無理をしないことが第一です。登山においては、転倒や事故が一番怖いわけです。どんなに小さな山であっても「怪我をしないこと」を心がけることは忘れないでください。

怪我のリスクはゼロではありませんが、登山は足を中心に全身を動かすものですから、脳の活性化によって認知機能維持にもつながるのではないでしょうか。

登山道の景色や花の美しさを感じながら、少しずつ登り続け、頂上からの展望を見ることは本当に気持ちがいいですよ。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

家族で挑む冒険と絆の深め方

―― 三浦家は、家族の絆が深いなと感じるのですが、何か秘訣があるのでしょうか?

雄一郎 三浦家は、家族全員で自然の中で遊ぶことを大切にしてきました。山登りや雪の世界、さらには海外でのさまざまなチャレンジなど、家族揃って挑戦してきた経験が、絆を深めることになったのだと思います。

豪太 父が突然「キリマンジャロに行こう」と言えば家族全員でキリマンジャロに行くし、ロシアに行こうと言えば全員で行く。ヒマラヤもそうですね。家族で何かにチャレンジすることには、本当に慣れていました。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

最近は、ジャクソンファミリーのように音楽ができたら良かったなとも考えるんですけど、残念ながらみんな音痴で(笑)。

―― 家族で冒険に挑むことで、どのような変化があったと感じますか?

雄一郎 家族で一つの目標に向かって努力することで、お互いを理解し、支え合う力が自然と身についたと思います。また、困難を乗り越える経験を共有することで、絆がより深くなりましたね。

豪太 幼い頃は両親に支えられていましたが、成長するにつれて、それぞれが役割を持って家族の冒険をサポートするようになりました。

例えば、父がエベレストに登る際には、姉がマネジメント、兄がベースキャンプのマネージャー、私は父と一緒に登山をするなど、家族全員で父の挑戦を支えました。

―― そのような経験は、日常生活への影響もありましたか?

豪太 父の介護が必要になった時も、これまでの遠征と変わらない「家族の遠征」として捉えることができました。それぞれが自然と役割を分担し、協力し合える関係性ができていたのは、これまでの経験があったからこそだと思います。

―― 介護も延長線にあったのですね。ただ、全員で何かに取り組んでいる家族って、少ないのかもしれません。

豪太 そうかもしれないですね。頻繁にできることではないとは思いますが、例えば、週末に家族でキャンプに行くということをおすすめしたいです。アウトドアに抵抗がある方もいるかもしれませんが、キャンプはテントを張ったり火をおこしたりとやることはたくさんあります。

そのときは父親のリーダーシップも大切ですが、家族全員が役割を分担しようという雰囲気が大事なのかなと思います。

役割を持つことで家族全員が主体的に行動できますし、きっと楽しみ方も変わると思いますよ。家族の絆もそういうところから深まっていくのではないでしょうか。

介護生活における家族連携の重要性

―― 雄一郎さんの介護は役割分担をしていたとのことですが、どのように連携されていたのですか?

豪太 父の介護が必要になる前に、母の両足が悪くなっていたためサポートが必要な状況になりました。冬の札幌はいろいろと苦労するだろうと、私と姉、兄の3人は全員東京にいたのですが、ローテーションを組んで札幌へ行くということを決めたんです。

コロナ禍もあって頻繁に行き来が難しくなってきたこともあり、最終的には私が札幌に引っ越すことにしました。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

札幌に戻ってから事業を起こしたのですが、忙しいときは兄や姉が来て介護のサポートをしてくれていますし、姉は介護保険制度をうまく使っていますね。

―― 家族で介護を分担する上で、難しさや課題はありましたか?

豪太 もちろん、課題はありました。例えば、私が新しい仕事を始めたことで以前ほど介護に時間を割けなくなりまして……。しかし、そういった状況でも、姉や兄がカバーしてくれていますし、家族全体でバランスを取るようにしています。

あとは、認知症の進行した母の対応に難しさを感じることもありました。在宅介護をされているみなさんと同じような苦労はしていると思います。

―― お母さまのサポートもきょうだい間で協力されていますか?

雄一郎 していますよ。一人じゃないというのは心強いですね。「今日お母さんがこんなことを言っていたよ」と、笑い話をしながら会話できるのは、精神的な面から考えても、とても大きなことだと思います。

介護施設での生活と環境による精神的影響

―― 現在、雄一郎さんはサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で生活されていると思います。施設での生活はいかがですか?

雄一郎 とても快適に過ごしています。ここでの生活は、安心感が違いますし、日々の暮らしも楽になりました。週5回以上のリハビリをするとともに、時間ができればアウトドアでのトレーニングをしながら生活しています。一人で寂しく暮らすよりも、ずっと良い環境だと感じていますよ。

―― 具体的にどのような点が良いと感じていますか?

雄一郎 まず、専門的なケアを受けられることが大きいですね。リハビリや健康管理など、専門家のサポートを日常的に受けられるのは心強いです。一人暮らしだと孤独を感じることもありますが、ここではいつも誰かがいるので安心感があります。

豪太 息子から見ても、専門的なケアと安全な環境が整っているので、家族としても安心できます。また、父の状態をしっかり見てくれているのも、ありがたいですね。

―― 奥様も一緒に入居されているそうですね。

雄一郎 はい、妻も一緒です。妻も同い年で自然な老化が進んでいるため、基本的には車椅子で移動しています。二人で支え合いながら生活していますよ。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

豪太 母は両膝に人工関節が入っていて、大腿骨には補強金属が入っています。足が弱くなってしまったので、車椅子での生活が中心になっています。

―― 以前は別の老人ホームに入居されていたそうですが、現在の環境との違いはありましたか?

豪太 きょうだいのローテーションが上手くいかなかったとき、ショートステイで老人ホームに入ったのですが、そこの環境は母には合わなかったようで……。でも、今のサ高住では父と一緒に暮らせることもあり、母はとても安心しているようです。

夫婦で過ごせる環境というのは、両親にとって非常に重要なことなのだと実感しました。

父と息子、互いにとってかけがえのない存在

―― 最後に、お二人にとってお互いがどのような存在なのかお聞かせください。まず、雄一郎さんから見た豪太さんについて、いかがでしょうか。

雄一郎 豪太は私にとって、かけがえのない存在です。現在の私の状況を考えると、豪太が身近にいてくれることが、本当に大きな助けになっています。

単なる介護者としてだけでなく、私の夢や挑戦を理解し、それを実現するためのサポートをしてくれる、まさにパートナーのような存在です。

豪太の存在があるからこそ、私はまだまだ新しいことにチャレンジしようという気持ちを持ち続けられるんです。

写真提供:ミウラ・ドルフィンズ

―― 豪太さん、父である雄一郎さんはどのような存在でしょうか?

豪太 父は、私にとって憧れであり、目標であり続けています。今でも父のことを登山パートナーだと思っていますし、父の目標を実現するための方法を一緒に考えることが、私の大きなやりがいになっています。

父の後ろ姿を見ることは、私自身の未来を想像することにもつながっています。年齢を重ねても挑戦し続ける父の姿は、私にとって大きな希望です。

父が「まだこんなことができる」と示してくれることで、私も「将来、こんな生き方ができるんだ」と勇気づけられるんです。

―― 最後に、これからのお二人の目標や夢をお聞かせください。

雄一郎 私の冒険は、まだまだ続いています。次は、自力でスキーを滑ることを目指しています。そして、いつかはヨーロッパのモンブランの氷河を滑るという夢も持っています。豪太たち家族のサポートを受けながら、一歩一歩前進していきたいですね。

豪太 私は、父から学んだことを活かして、インクルーシブ野外教育の発展に尽力していきたいと考えています。特に、現在取り組んでいるインクルーシブなリゾート開発を成功させ、誰もが自然を楽しめる環境を作り出したいですね。

そして、父のように年齢を重ねても挑戦し続ける姿勢を、私自身も持ち続けていきたいと思います。

―― お二人の今後の挑戦が、多くの人々に勇気と希望を与えることと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

取材:谷口友妃

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