ネットのアンケートに答えるのが好きな人間ってなに?
ネットのアンケート
インターネットにはアンケートのサービスがある。企業やなにかのアンケートに答えると、ポイントがもらえるというものだ。ポイントといっても、一つのアンケートに答えて10円分になることすら稀だ。3円とか5円もらえる。
なんだそんなもの、ばかばかしい。時給で考えたら、ほんとうにしょうもない。それに、個人情報がどこかに漏れてしまう可能性だってある。自分の情報をどこかのだれかに渡すなんて危険じゃないか。ネットでもリテラシーのない人間のやることだ。
……などと、いろいろ言われるに違いない。
しかし、おれはネットでアンケート調査に答えることが、好き。かなり好き。アンケートに答えていると、楽しくなる。
なぜか? 自分のなかでもそれがなんなのか、今まで考えてこなかった。考えてみよう。
どんなアンケートに答えるのか
そのまえに、そんなアンケートやったこともない、という人のほうが多いだろうから、どんなことをきかれるのか紹介しておこう。
まず、サービス(楽天インサイトとか)による事前調査のようなものがある。たまにある。
「おまえは何歳なのか? 男か女かそのどちらでもないのか? 未婚か既婚か? どこに住んでいるのか? 住んでいるのは持ち家か賃貸か? どんな業種だ? 年収はいくらだ?」……。
これによって、アンケートサービスを利用する企業なりなんなりの、「30代~40代の男性会社員を対象にしたアンケートを取りたい」というような要求に応えるのだろう。たぶん。
やはり多いのは、商品やサービスについての調査だ。
「おまえは男性用整髪料を自分で買うか?」という質問があり、「買う」と答える(「買わない」と答えるとそこでアンケート終了になり1ポイントだけもらえる、ということになる)。
すると、「だいたいいくらくらいのものを買うのか? コンビニで買うのか、ドラッグストアで買うのか、それとも通販か?」とかきかれることになる。
場合によっては、具体的に商品が列挙されて、「過去一年以内に買ったやつを選べ」とか出てくる。
あるいは、「それぞれのブランドについて持っているイメージに当てはまる言葉をそれぞれ五段階評価で答えろ」とか言ってくる。
イメージ調査、というのだろうか。これが衣料や食品のブランドであったり、同じ業種の企業であったりする。
あるいは、Webサービス、みたいな場合もある。「X」について当てはまるのはどれか? 「信頼できる、やや信頼できる、どちらともいえない、やや信頼できない、信頼できない」……。
たまに「これは調査というより宣伝ではないか?」というケースもある。「次の動画を見て答えてください」と、短いCMが流れる。
「これを見たことがあるか? 見た印象はどうだ? この商品を買いたくなったか?」……、あまりそう思わない。などなど。
だいたいこんなところだろうか。政治の意識調査というのはほとんどない。事前調査によってわかっている、地元行政のアンケート兼アピールというのはまれにある。そんなところだ。
で、これに答えることのなにがおもしろいのか?
自分の知らない商売の世界を覗けるということ
一つには、自分の知らない商売の世界を覗けるという点はある。
世間でよく知られている大企業、有名なブランドがなにを意識しているのか。おれは世間の末端の零細企業勤めなので、そのあたりはぜんぜん知らないのだ。
なので、「へえ、こことこことここはライバルとして意識しているのか」とか、「この新しいブランドは、既存のこれとこれに割って入りたいのか」とか、それが少し楽しい。
カード会社が自社やライバル会社について、顧客になにをどう思われているのを重視しているのか。自分のブランドは高く見られたいのか、コスパがよいと思われたいのか、あるいは客はどう思っているのか知りたいのか。
そんなことを知って、なにがおもしろいのか? いや、ちょっとおもしろいだろ。自信はない。ただ、なにか知るというのは基本的におもしろいことだ。いや、べつに知りたくない分野も山ほどあるが、おれにとって見知った企業やブランドのことをちょっと知れるのはおもしろい。
だが、これはあまり大きな要素ではない。
アンケートに答えるのは自己を再認識するということ
アンケートに答えていてなにがおもしろいのか、その大きな部分について。それはやはり、自己を再認識することにあると思う。
おれという人間が、この社会の中で、働いているのか、働いていないのか、どのような形態で働いているのか、どれだけ休みがあって、いくら給料をもらっているのか。ふだんはいちいち意識していないことだ。それを、あらためて確認できる。
「自動車を所有していますか?」ときかれる。「所有していないと答える」。
そうだ、おれは自動車を所有していなかった。
「購入予定はありますか? 半年以内、一年以内、二~三年以内、時期は考えていない、購入予定はない」。
うむ、おれには自動車を買う金も維持する金もないので、購入予定はない。
おれは自動車を持っていないので、自動車の所有を意識することはあまりない。アンケートに答えることによって、「自動車があればそりゃ便利だろうけど、今の生活では買えないな」と再確認できる。
たとえば、食パンのブランドを並べられて、自分はどれが好きだとか(実際に食パンを食べる生活は送っていないが)、「ああ、このビールメーカーにはわりといい印象があるな」とか、そんなことも確認できる。
もうちょっと漠然とした問いかけもあるだろう。
ある商品のパッケージがあったとして、ポップな色合いが好きなのか、シックな色合いが好きなのか。
どんなキャッチコピーに惹かれるのか。それを確認できる。
確認してどうだというのか。いや、確認できるのはおもしろいじゃないか。自分の生活の、人生の輪郭を浮き彫りにする。自己認識できている状態と、できていない状態では、できている状態のほうが望ましい。
自己を意識することは、自由の前提条件だと、いろいろな思想家も言っているではないか、たぶん。
むろん、ネットのアンケートで問いかけられる自己というものは、自分の核となる部分とは程遠いことがら、些事ばかりだ。
とはいえ、なかなか自分で「自分とはどういう人間か?」と問いを立てるのはむずかしい。
「問う自分」と「問われる自分」は同時に成立しうるのか。
問いを始めた瞬間に、「問うた自分」というものに変化してしまって、問う前の自分とは別ものになってはいないか。
それに比べて、投げつけられるアンケートの問いは、あくまで他者が投げつけてくる。いちいち自分で問いを立てる必要はない。
そして、自分が考えたいことに偏らない。興味がないことについても頭を使う。そして、自分の輪郭が出てくる。自分が何者なのか、ちょっぴりわかる。アンケートに答える価値はある……ような気がする。
みんなもアンケートに答えよう
というわけで、おれはこんな理由でアンケートに答えるのが好きだ。
ポイントを貰うどころか、払ってでもやりたい、とまでは言わないが。
「趣味:ネットのアンケートに答えること」となると変人の域だが、まあ仕事中にサボってポチポチやるくらいにはいいんじゃないの。え、サボるな? ごもっとも。
いや、あとなんだろう、確信しているわけではないが、アンケートに答えるのは、一種の自己表現のような気がする。
表現したさきにあるのは、どこかのサーバの処理されたデータにすぎない。それでも、「おれはこういう人間ですよ」と世界に向かって言っているような気になるのだ。
そもそも、おれは、だれに頼まれたわけでもないのに、世界に向かって「おれはこういう人間ですよ」と言うことが好きだ。
そうでなければ20年もブログを書けるわけがない。だれに読まれるわけでもないアンケートに答えているのも、その一環である可能性はある。
ブログといえば、むかし「バトン」というものがあったのを覚えているだろうか。簡単なお題や質問があって、それを自分のブログに書く。そして、それをだれか他のブログ主にわたす。これによって、そのお題に興味のある人は、ほかのブログを見に行くだろうし、ブログの輪も広がる、閲覧数も増える。
思うにあれは、おれの考えるアンケートに答える楽しさと、自己表現が合わさったものではなかったろうか。
自分で問いを立てるのはむずかしいと書いたが、バトンであれば自分でお題を考える必要もない。なおかつ、自己表現もできる。なかなかに面白い文化であったと思う。いまでもハッシュタグという形で存在しているかもしれない。
(ちなみに自分は自分のブログに引きこもっていたので、バトンが回ってくることもなければ、だれかにバトンを回すこともなかったと思う。トラックバックというものもろくに使ったこともない)
で、どうだろうか。アンケートに答えたくなったか。ならないか。そうだろう。でも、どうだろう、もし自分で自分に問いを立てられるならば、それに自問自答したほうがいい。
おれには学がないので、そういうのを「メタ認知」といっていいのかどうかはわからない。わからないが、自分がなにを知っているのか知ること、あるいはなにを知らないのか知ること。生きるにあたって大切なことのように思える。
それにたとえば、社会から市民に大規模なアンケートを求められることがある。選挙がそれだ。選挙というアンケートに答えるためには、あるいは答えないという決断をするためには、できるだけ確固とした自分があったほうがいい。
今の社会はどうなっているのか、自分の立場はどのようなものか、自分の理想はなんなのか、あるいは絶対に嫌なものはなんなのか。それを複雑にこねくり回して、なにやら一つの決断をしなくてはならない。そのためにも、やはり答える練習は必要だろう。
(自分は「一つに決める」ことが民意の反映として万全なのか疑問に思っている。たとえば各自100ポイント投票の権利があり、一人の候補に100%の信頼をしているなら100ポイント投じればいい。五分五分で迷っているなら50ポイントずつ二人に、「ちょっとだけどうしても気になる」候補にちょっとだけ入れたいなら、ちょっとだけ入れる。そちらのほうが、無理矢理に一人の候補に絞らなければならない現状より、民意をより汲み取ることができるのではないか。これはまたべつに考えてみたい)
あるいは、自己表現というものをしたいが、なにをしていいかわからないのならば、まずネットのアンケートに答えるのがいい。自分の趣味嗜好も、あんがい自分自身ではわかっていないこともある。
脚下照顧、自己省察、自分を知るために使えるものならなんでも使ったほうがいい。その上、ポイントまでもらえるなら上々じゃないか?
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【著者プロフィール】
黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
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