『グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ』レポート 華やかさの中に確かに残る、学びの手ごたえ
チェコの誇る巨匠アルフォンス・ミュシャの魅力に迫る『グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ』が、2025年1月19日(日)まで、東京・渋谷のヒカリエホールにて開催されている。名画と戯れる全く新しいメソッドが生まれたと、12月某日に訪れた内覧会で感じた。本記事はその内覧会レポートである。
没入、それだけじゃない
本展は2023年にパリで開催された『Eternel Mucha』(※「E」はアクサン・テギュ付きが正式表記)を輸入して、日本のためにアレンジしたものだ。タイトルにイマーシブと入っていると、近年流行りの「名画の高精細画像を大スクリーンで楽しめるイベント」かな? と思いたくなるが、ちょっと違う。
本展は作品そのものこそ無いけれど、れっきとしたミュシャの展覧会であり、「おそらく普通の美術館での展覧会よりも深い理解と満足感を得られるのではないか」と、開幕挨拶に立った本展キュレーターの佐藤智子氏は語る。いったい何が、この『グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ』を特別にしているのか……。そのカギとなるのは、“学び”の存在である。
みんな大好きアール・ヌーヴォーの華
アルフォンス・ミュシャは19世紀末から20世紀前半期に活躍した画家。パリでポスター画家として大ブレイクし、晩年にかけては故郷チェコに戻り、信念に基づく大型の絵画作品を制作した。彼の得意とした「長い髪をなびかせた美しい女性像と、植物や複雑な文様表現」スタイルはアール・ヌーヴォーを代表する表現となり、自身の名を冠した「ミュシャ様式」として現代でも愛され続けている。
展覧会のハイライトをチラ見せ
ホールの扉が開くと、6m×11mの大スクリーンに囲まれた6角形の室内に、ミュシャのアトリエをイメージした空間が広がっている。鑑賞者は床のクッションに自由に腰を下ろして、ここからおよそ30分間のイマーシブ映像に身を浸すことになる。差し込む光の揺らめきや、かすかに聞こえるピアノの音色に、もうこの時点でうっとりである。
正面のスクリーンを挟んで、左右に配された「鏡」の部分に解説テキストが浮かび上がる趣向だ。鑑賞者から見て左が日本語で、右が英語である。没入し出したら文字を追うどころではないかもしれないが、テキストをしっかり読みたい場合は左側の鏡が視界に入る位置をキープするのがおすすめだ。
ミュシャ様式を徹底分析
さて、本展の映像はただ名画を大写しにしただけのものではない。敢えて言葉を使わず、ミュシャ作品に共通する構図の特徴を視覚的に伝えたり、複雑な装飾モチーフをパーツに分解して見せたりしてくれるのだ。
また主役の女性がシルエットになると、そのたびに背景装飾の艶やかさに驚かされる。華やかでありつつ主役を食わないように、そこには常に色彩とフォルムの絶妙な駆け引きがあるのだと初めて理解できた。「ミュシャ様式」とはどんなふうにできているのか、その秘伝のレシピを見たような新鮮な感覚だ。
愛国主義そしてヒューマニズム
ミュシャが18年かけて制作した、大型作品20枚からなる連作〈スラヴ叙事詩〉は、スラヴ民族の苦難の歴史や民族統合の喜びを描いた作品だ。イマーシブ映像終盤では、その迫力ある全体像と繊細な細部の両方を味わうことができる。とても丁寧なモチーフの解説も付いているが、正直なところ、もともとのチェコ周辺の歴史が複雑なため、この会場だけでは「なるほど!」とはなりづらいかもしれない。
ミュシャの魂を込めた作品を理解するチャンスなので、〈スラヴ叙事詩〉を軽く検索しておくのがおすすめだ。大国に挟まれ苦しんできたチェコの歴史を踏まえると、最後の祝祭感あふれる画面の感動もひとしおのはずである。
映像クライマックスでは、ミュシャが最後に手がけた作品であり、残念ながら未完に終わった《三つの時代》も登場。本作は「理性の時代」「英知の時代」「愛の時代」という3つのテーマから成る連作として構想され、全人類の平和の記念碑となるべく制作されていたそう。秘密結社フリーメイソンのメンバーでもあったミュシャの、人種を超えた博愛や平和を望む信念がうかがえる。
なおラストには、フォトタイムもしっかり用意されているのでカメラの用意をお忘れなく!
ミュシャの世界をさらに深掘り
第1章のめくるめく映像コンテンツのあとには、会場を変えてさらにミュシャを知るための展示が続いていく。第2章「ヒストリー」にある写真入りの細やかな年表は、まさに美術展といった趣で見応えたっぷりだ。
また注目は、ミュシャのその後の創作活動を方向づけることとなった装飾祈祷書《主の祈り》の展示だ。2台のモニターを使って、実際に本をめくるようなスライドショーで全ページを鑑賞することができる。画集や美術サイトで単体として挿画を見ることはあっても、こうして本のリズムで《主の祈り》を鑑賞できるのは貴重な機会なのではないだろうか。
アトリエのウッディな香り
アトリエの写真に囲まれて、当時の創造の現場を追体験する第3章「ミュシャのアトリエ」。右手に写っている装置は、なんとアロマディフューザーである。本展のちょっと面白い趣向で、フランスの香水会社「テクニコフロール」がこのために特別に調合した“ミュシャに浸るための香り”を、会場内の4箇所で楽しむことができるのだ。ミュシャのアトリエをイメージしたこの展示室は、ウッディでほのかにスパイシーな香りが満ちている。ちなみにこの香りは市販されていないため、会場を訪れた人だけのお楽しみである。
ミュシャの死後、ミュシャが作品制作のため撮影した写真が2000枚以上残っていたという。画家はそれらをパズルのように組み合わせ、作品の構図を探っていたそうだ。第3章の映像では、劇的なポーズを取るモデルたちの写真と、それがどう作品に反映されたかを併せて見ることができる。
受肉するミュシャ美人
続く第4章「ミュシャのインスピレーション」もまた、本展ならではのユニークな試みだ。このセクションのイマージブ映像では、ミュシャ作品の女性像を実際の俳優が演じて同じポーズをとっている。コスチュームの再現も気合いが入っており、絵の中の理想化された女性像が生身の人間として目の前に受肉したような、2次元と3次元が溶け合うような不思議な感覚である。
AI技術を使えばおそらくもっと簡単に女性像のリアルな3D化は可能だったと思うが、敢えて生身の俳優を起用したところに、この超ハイレベルコスプレショーの意義があると思う。俳優さんはとても美しい。でも比較することで改めて、ミュシャ作品の髪のライン一本、服の皺のライン一本が、いかに装飾効果を狙って研ぎ澄まされたものであるかを実感するのだ。それにしても、舞台好きだったというミュシャ本人がこの企画を見たら、きっと狂喜するのではないだろうか。
気がつけばミュシャがいっぱい
最後の第5章「インフルエンサー、ミュシャ」では、ミュシャの作品と、それにインスピレーションを得て現代の作家が制作した作品が並べて展示されている。サイケデリック・アートや日本の少女漫画、近年のNetflixアニメ『アーケイン』に至るまで、ミュシャの作品が数えきれないほどのアートに影響を与え続けていることが分かるセクションだ。
ゲーム『ファイナルファンタジー』シリーズのキャラクターデザイン・イメージイラストで知られる天野喜孝も、ミュシャ作品に大きな影響を受けたアーティストのひとり。会場モニターでは、天野喜孝をはじめとする国内外のアーティストがミュシャの魅力を語るインタビュー映像も上映されているので、ぜひゆっくり時間をとって鑑賞したい。
学びのないところに、真の没入感はない
会場併設のミュージアムショップ付近には、好きなミュシャ作品のモチーフを選んで色塗りが体験できる「ミュシャ風塗り絵」のコーナーも。ミュシャ風のくすんだ色ばかりが揃ったカラーパレットが、絵具ではなくメイクのパレットのようで面白い。ちなみに、出来上がった画像は自分宛にメールで送信できる仕組みだ。
『グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ』は、ヒカリエホール(渋谷ヒカリエ9階)にて2025年1月19日(日)まで開催。美しい映像に飲み込まれる圧倒的な体験にとどまらず、画家の個性やその制作背景にも斬り込んでいく、深みのある展覧会だった。この冬、本展は新しいタイプの美術展として、アートファンにとって見逃せない場所になりそうだ。なお、会場内は、写真や動画撮影もOK。平日・夕方以降が来場がおすすめだ。
文=小杉美香 写真=小杉美香、SPICE編集部