10枚のシングルから考察!村下孝蔵のラブソングが世代や時代を超えて愛されている理由
1999年6月24日、シンガーソングライターの村下孝蔵が46歳でこの世を去った。けっして二枚目キャラではなく、どちらかといえば地味なタイプ。つくる曲もけっしてハデではなかったけれど、なぜか心に残るラブソングが多かった印象がある。そこで、改めて村下孝蔵がどんなラブソングを発表してきたのかを見てみたい。村下孝蔵は生涯にシングル盤21枚とオリジナルアルバム14枚を発表しているけれど、デビュー曲から10作目までのシングル曲をサンプルとして、そのテーマを振り返ってみる。
大人の匂いがするデビュー曲「月あかり」
村下孝蔵のデビュー曲は1980年5月に発表された「月あかり」だ。広島でピアノ調律師として働きながらアマチュア活動を行っていた彼は、1979年にアルバム『それぞれの風』を自主制作している。そして同じく1979年に行われたCBS・ソニーのSDオーディションに合格してプロデビュー。「月あかり」は自主制作アルバム『それぞれの風』に収録されていた曲で、そのせいだろうか村下孝蔵と聞いてイメージする “青春” “純情” といったニュアンスとは違う大人の匂いがある。
「月あかり」で描かれるのは、別れた女性のことを思い浮かべる男の姿だ。もしかしたら一緒に住んでいたのかもしれない。歌詞では、彼女から誘われた旅の宿でも2人の想いがすれ違っていたことを回想している。いわば別れの歌というか、男の未練の歌と言っていいだろう。
こうしたテーマは演歌にもありがちだけれど、むしろ吉田拓郎の「旅の宿」(1972年)を意識した曲にも感じられる。そして、「旅の宿」が恋人同士の初めての旅を描いていたのに対して、その8年後に発表された「月あかり」がそのカップルの最後の旅を描いていると解釈して、彼らが過ごした年月を想像してみたくなる誘惑にもかられる。
さらに言えば、「旅の宿」や「襟裳岬」で吉田拓郎が演歌のニュアンスに近づきながらも、はっきりと演歌とは違う空気感を表現していたように、村下孝蔵も演歌に近づきながらも
やはり質感の違う世界を描いている。
この “演歌にもどこか通じているように見える" という要素も村下孝蔵の曲が世代や時代を超えて愛されている理由のひとつなのだと思う。
男女両方の視点から “恋” を描いていく「春雨」
「月あかり」が大人の別れを歌っていたのに対して、セカンドシングル「春雨」(1981年)はやはり別れを描いているけれど、登場人物は「月あかり」よりも若くて青春の匂いがする曲になっている。「月あかり」の主人公が男性だったのに対して「春雨」の主人公が女性であることも注目ポイントのひとつで、その後も村下孝蔵は男女両方の視点から “恋” を描いていく。
けれど、そのどちらも聴き手が受ける印象はあまり変わらないのかもしれない。それは村下孝蔵が “女は弱い性” “男は強い性” といった固定的な概念を持たずに曲を作っていたからではないか。それは、村下孝蔵のデビューが27歳と当時の基準では遅く、デビュー前(1979年)に結婚して子供もいたこともあって、男女の関係も単に “男の夢” や “願望” で描くのではなく、現実を踏まえたうえでのロマンとして描いていたからではないだろうか。
「春雨」の主人公は、自分の夢をかなえようと都会に出ていった恋人と気持ちが遠ざかってしまった女性だ。彼女は最後まで相手を想ってセーターを編んでいたが、彼から別れを告げられてそのセーターの毛糸をほどいていく。都会に出ていった恋人の心変わりというテーマは太田裕美の「木綿のハンカチーフ」にも通じるけれど、遠距離恋愛の破綻を受け止める女性の気持ちの描写は「木綿のハンカチーフ」より具体的で、その分相手への想いを断ち切ろうとする女性の意思が強く感じられる。
そんな片思いの切なさと、それでも想い続けようとする健気さが染みる「ゆうこ」
同じ1981年にリリースされたサードシングルの「帰郷」も女性を主人公にした別れの歌だ。けれど「春雨」の主人公とは違って彼女は自分も都会に出てきている。歌詞の行間からは、おそらくこの街で出会った相手に求婚されたけれど、自分の人生をそこで決めてしまう決心がつかずに、恋人と別れて故郷に帰ろうとしている女性が見えてくる。
これも別れの歌ではあるのだけれど、無条件に男に自分の人生を委ねるのではなく、後悔することがあっても自分の生き方を自分で決めようとする女性の意思が感じられる。村下孝蔵は、この曲を都はるみの「北の宿から」にインスパイアされて作ったそうだ。
4枚目のシングル曲「ゆうこ」(1982年)の主人公は男性だ。そして彼は、ひとりの女性に惹かれている。その女性は主人公よりもだいぶ大人なのだろう。ピアノでショパンの悲しい曲を弾く彼女は人に対して心を閉ざし、恋愛とも無縁な生き方をしている。主人公はそんな女性に憧れにも似た恋心を抱くけれど、もちろん相手にもされない。そんな片思いの切なさと、それでも想い続けようとする健気さが染みる曲だ。「ゆうこ」というタイトルは当時の奥さんの名前からとられたという。
「初恋」に続くヒット曲となった「踊り子」
ある程度のヒット曲となった「ゆうこ」に続くシングル曲として1983年に発表されたのが村下孝蔵にとって最も有名な曲となった「初恋」である。主人公の男性は自分の思春期を思い出している。当時の彼には学校に好きな女の子がいたけれど言い出せないまま初恋は片思いで終わってしまった。そんな淡い体験が、彼の中では甘酸っぱい思い出として生き続けている。
この曲が多くの人に愛されている理由は、誰もが似たような体験を思春期に経験しているからこそのストレートな共感を得られたということだろう。さらには、ノスタルジックな歌詞の切なさと曲のダイナミズムとの相乗効果も、普遍的なテーマである「初恋」が新鮮なインパクトと魅力を持った曲になった要因と言えるだろう。
「初恋」に続くヒット曲となった「踊り子」の主人公も男性だ。けれど「初恋」のような少年ではない。彼は、一緒に暮らしているパートナーも自分自身もどこかで無理をしながら関係を維持しようとしていることに危機感を感じ、これからの2人の関係になんらかの答えを出そうと苦悩している。
その意味では「初恋」と比べると、きわめて現実的な男女関係を描いた歌である。こんなふうに、同じ男女の愛をテーマにしながらも、きわめて幅広い視点から書かれているのが村下孝蔵の楽曲の特徴なのである。
「少女」のさわやかでスケール感のあるメロディとサウンド
7枚目のシングル曲「少女」(1984年)は “郷愁” をテーマにした曲で、ラブソングとは言えない気もする。けれど、ノスタルジックな甘さのある歌詞に対してさわやかでスケール感のあるメロディとサウンドが、この曲をべったりとした懐古趣味とは違う情感を伝える曲にしている。
同じ年に発表された8枚目のシングル曲「夢のつづき」も別れの曲だ。シチュエーションは「踊り子」と似ているけれど、こちらのカップルは一緒にいる幸せを感じながら、いつのまにか破綻してしまったことへの戸惑いが感じられる。その意味で「踊り子」のカップルよりも状況は深刻かもしれないとも思う。
体調を崩したため、村下孝蔵は1985年には作品を発表しておらず、9・10枚目のシングル曲「かざぐるま」「ねがい」が発表されたのは1986年だった。「かざぐるま」はどうにもならないとわかっていても抑えられない恋心を描いた曲。これまで男女関係の機微を情感を込めながらも、どこか冷静で客観的な視点を貫いてきた村下孝蔵が、これほど衝動的な想いを込めたシングル曲は初めてではないか。
続く「ねがい」はラブソングとして聴くこともできるけれど、むしろ子供など次世代に向けたエールのようにも聴こえる曲だ。それまでの曲が “男歌” “女歌” としてはっきり区別できていたのに対して、これらの2曲では主人公が男女どちらとも解釈できる曲になっているという違いが感じられる。
村下孝蔵のラブソングが今も愛される理由
こうして振り返ってみると、村下孝蔵のラブソングには別れをテーマとしたものが多く、ハッピーエンドの曲がきわめて少ないことに気づく。けれど、別れの歌であっても、そこには大きな困難があってもなんとか乗り越えて次に向かおうとするポジティブさが感じられる。そんな歌詞と、抒情的だけれどどこか風通しの良いさわやかを持った曲との出会いから生まれる “押しつけがましくない情感” に、村下孝蔵のラブソングが今も愛される理由があるのだ。