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旧ジャニーズ事務所から、医薬品の米大手J&J広報に。元アイドルのセカンドキャリア紹介・櫻井龍之介

スタジオパーソル

「元アイドル」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべますか?華々しいステージを離れたその後のキャリアについて、気になる方も多いのではないでしょうか。

今回お話を伺った櫻井龍之介さんは、2010〜2015年までジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.。以下、事務所)でジュニアとして活動されていました。アイドル引退後は大学生活を送りながらSNSでファンマーケティングの才能を開花させ、現在はマーケティング企業やアイドル事務所を運営されています。

過去の経験をすべて力に変え、自分が輝けるステージを求め続けて。櫻井さんが歩んできた道のりをたどります。

競争の激しいアイドル時代。自分だけの武器を見つけ、弛まぬ努力を続けた

アイドル時代の友人たちと

──もともと芸能活動をされていた櫻井さん。当時、アイドルとしてどんな目標を掲げていたのでしょうか?

櫻井翔さんのようなアイドルになるのを夢見ていました。事務所に履歴書を送ったのも、「嵐に会いたいから」というのが率直な理由で……(笑)。小学校のころから嵐ファンで、誕生日には両親に嵐のコンサートのチケットをお願いして、毎年のようにツアーに参加していました。

ファンとして好きだったのはもちろん、歌やダンス以外にも、ラップや演技、作詞に取り組んだり、ニュースキャスターとしてもマルチに活躍する櫻井さんは、まさにぼくのロールモデルでした。

──実際にあこがれの人と同じ事務所に所属してみてどうでしたか?

思っていた以上に熾烈な環境でした。

オーディション一次通過者約350名のうち、合格したのは25名ほど。同期には今も活躍されているtimelesz(旧Sexy Zone)・佐藤勝利くんやSnow Man・目黒蓮くんがいました。何かで飛び抜けないと埋もれてしまうと思って、当時は必死でしたね。

ジャニーズJr.では、本番ギリギリまでポジションの入れ替えがあるので、最後まであきらめなければより目立つ場所に立てるチャンスがある。反対に、センターに抜擢されても油断は許されないので、常に努力し続けるクセがつきました。

──同期の中でも抜きん出た存在になるため、どんなことに力を入れていたのでしょうか?

実はぼく、それまではただの野球少年だったので、事務所に合格した当初は歌もダンスもまったくの初心者だったんです。だから、そこで抜きん出るのは難しいと考えて、違う武器を持とうと勉学に力を入れました。受験期は、学校が終わったらすぐに帝国劇場での舞台稽古に参加して、休憩時間には参考書をめくる毎日を過ごしました。アイドル活動と睡眠時間以外、ほとんど勉強にあてていましたね。

高校に入学してすぐのころ、三者面談の際に学年主任の先生から、「うちは進学校だけど、勉強についていけそうですか?」と言われて。アイドルだから心配してくださったんだと思いますが、その言葉でより一層やる気になって勉強に打ち込みました(笑)。

当時のマネージャーからも「龍之介は勉強キャラ」と言われていたので、自分の強みを確立して周りとの差別化にはつなげられたと思っています。

ダンスを極めた大学生活。ミスターコンをきっかけに始めたSNSがバズる

──アイドル活動はいつまで続けられたのでしょうか?

大学進学が決まったタイミングで、マネージャーに辞める意志を伝えました。高校2年生くらいの時期から、同期の中からデビューする人や退所していく人が出てき始めていて、自分はどんな道に進もうかずっと考えていました。

そこで、勉強を続けて念願の慶應義塾大学に合格をしたことを機に、意思が決まりました。デビューする夢は叶わなかったけど、自分には、もっと自分の強みが活かせる場所があるはずだと思えたのは、個性あふれる面々の中で強みを磨いたジュニア時代があったからこそだと思っています。

──進学を機に心機一転されたのですね。大学では、どんな生活を送られていたのでしょうか?

大学では経営やマーケティングに関して学びながら、30年以上の歴史を持つダンスサークルに入り、アイドルダンス以外のジャンルにも幅広く挑戦しました。

ダンスに関しては、実は高校2年生から事務所のレッスンのほかにダンススクールにも通っていたほど、のめり込んでいたことのひとつで。当時レッスンで誰よりも前に出て練習を続けていたら、先生からダンスの仕事のお誘いをいただくようになり、大学に入ってからもダンサーや振付アシスタント、舞台演出のお手伝いなどもしていました。

そして、転機となったのが大学3年生の時に出場したミスター慶應コンテストです。

コンテスト期間中にXのアカウントを開設し、半年間地道に発信を続けたところ、最終的にはフォロワーが1.5万人まで増えたんです。

──半年でフォロワー1.5万人。何か伸ばすための攻略法を見つけたのでしょうか?

とにかくいろいろなコンテンツを投稿してみて、その結果を分析して次につなげる。それだけを地道にコツコツと積み上げていきました。たとえば、1時間限定で全てのリプライにコメントを返す「リプ返企画」をしたり、ストイックにダンスの練習に打ち込んでいる「ダンプラ動画」を上げたり。

そもそもミスターコンテスト出場の動機として、「所属するダンスサークルやストリートダンスの知名度アップに寄与したい」という想いがあったので、その軸だけはブラさずに。企画内容だけでなく、反応が良い発信頻度や曜日、時間帯なども知見として蓄えていき、少しずつ運用スタイルを確立していきました。

最初の1〜2カ月は全然反応がありませんでしたが、自分の発信を見てくださる方の層や求められていることを理解してからは、どんどん伸びていきました。

結果としては準グランプリを受賞。さらにSNSを伸ばした実績を評価され、ジョンソン・エンド・ジョンソンから新卒入社のSNS運用担当としてオファーをいただきました。

──そんなドラマチックなことが……!

そうなんです。体当たりで挑んだSNSが思わぬキャリアを運んでくれて。仕事でも続けられるなら、と喜んで入社を決めました。

勉強もダンスもSNSも。最初はうまくいかなくても努力の量でカバーして、道を切り拓いていくマインドは、間違いなくアイドル時代に培った素養ですね。

肌で感じる企業規模のSNS運用の面白さと学び

──新卒で入社されたジョンソン・エンド・ジョンソンでは、どのような仕事に従事されたのでしょうか。

マーケティング部広報グループに所属し、ジョンソン・エンド・ジョンソンの子会社であるドクターシーラボでSNS運用に軸足を置きながら、広報も兼任していました。毎月の投稿プランを組み立てて、スケジュールに合わせて撮影や投稿作成を進めつつ、メディアへ向けてPR活動を並行して……。忙しくはありましたが、その分やりがいもありましたね。

入社3年目には、企画から分析、施策までをすべて担当し、部署を横断した一大企画として力を入れたプロジェクトが、晴れてXの国内トレンド1位獲得と1週間でフォロワー3.5万人増を達成したこともありました。

──個人と企業の一員としてでは、SNS運用の方法に違いはありましたか?

ありましたね。当然ですが、世の中に与えるインパクトの大きさやできることの幅も個人と企業では圧倒的に異なりますし、運用への取り組み方も変わりました。

アイドル時代を含め、これまではずっと、自分自身をどう魅せるのかを考えて活動してきました。でも企業でSNS運用を経験し、商品などの「自分ではない何か」に対してブランディングやプロデュースを仕掛けていく面白さを実感したんです。SNSでのコミュニケーションの量や投稿頻度など、企業アカウントにおいて留意すべき点をいくつも学びましたね。

初めてできたファンからの教えを胸に。過去を力に変え、輝ける場所を探し続ける

──2021年にはジョンソン・エンド・ジョンソンを退職し、独立されました。現在は、どのようなキャリアを歩まれているのでしょうか?

Z世代50人の斬新かつクリティカルな思考を束ねてマーケティング支援を行う株式会社SHIKI JAPANと、アイドルのマネジメントや育成、イベント企画などを行う株式会社EIENを立ち上げました。

SHIKI JAPANでは副代表取締役兼CMO(最高マーケティング責任者)として組織の統括を担いながら、日々クライアントと対峙するプレイングマネージャー的な立ち回りをしています。EIENのほうは、主にステージ演出やディレクター、振り付けを担当していて、所属タレントのセルフプロデュース面について相談に乗ることも増えました。

──どちらも過去のご自身の経験が発揮できるフィールドですね。

そうですね。どちらも経験している自分だからこそできることだと思っています。それに、それぞれの事業の強みや特徴を活かした相乗効果もあるんです。

たとえばSHIKI JAPANにおいて、クライアントから特定の商品のプロモーションの相談をいただいたときには、EIENに所属するアイドルとのコラボイベントを提案したり、フェスなどの大規模な企画へ昇華させたりできるので、提案の幅が広がります。

マーケティング支援で心がけているのは、企業側・演者側の双方が主役になる施策を目指すこと。そのためには、企業側に自身の魅力について再認識していただき、ファンとなる方が何を期待しているのかを把握した上でぴったりな演者をマッチングする必要があります。どちらかを売るために片方の魅力を打ち消したり、何かのついでで売れる構図を描いたりするのは、本末転倒。コラボするならば、企業も演者も輝ける施策がベストです。

アイドルのように、ファンに向けて商品やサービスの魅力をうまく発信して、クライアントを「モテてモテてしょうがない!」くらいのトップアイドル状態に導けるよう努めています。

──櫻井さんの中にはずっと、ファンに向けた目線があるんですね。

そうですね。アイドル時代に初めてファンになってくださった方のことは今でも思い出します。

応援していただく中で何度かファンレターもいただいたんですが、最初のうちは自分のアイドル活動についてほとんど褒めてもらったことがなくて(笑)。何カ月か経って自分自身のパフォーマンススタイルが確立できてきたころに、「やっと上手になってきたね。待っていたよ」と初めて褒めてもらえたんですよ。そのとき、ファンの方それぞれに好きになってくれる理由がちゃんとあるんだと気付かされました。

売れそうだからといって、それまでのイメージと異なる行動をしてしまっては、せっかく応援してきてくれたファンが離れていってしまう。どんな人が自分を好きになってくれるのか、好きでいてもらうためにはどんな自分であるべきなのか。そんなことを、ファンの方から教えていただいた気がします。

振り返ると、過去の経験はすべて自分の糧になっていると感じます。

メインの演者と違い、ジュニア時代のぼくたちはバックダンサー以外にも演者のサポート的な動きも兼任していました。舞台裏で小道具を用意したり、舞台上で脱がれた衣装をさりげなく回収したり。演者の方がスムーズに動けるように自分たちの動線を考え、スタッフとも綿密に事前確認をしていたんです。“演者兼スタッフ”の感覚で舞台づくりに携わった経験は、舞台演出も務めるようになった今、ものすごく活きていると思います。

目標値を高く設定できるようになったのも、あのころの経験があったからこそ。最初に経験できたのが大きな事務所での舞台だったので、「あれくらいを目指さなければプロじゃない」という意識が自分の中に根付いています。

──過去の経験を糧にするために、櫻井さんが意識されていることを教えてください。

ジュニア時代に勉強、大学ではSNSという武器を見つけたように、自分がいるフィールドで抜きん出て輝くためのツールをつねに求め続けてきたなと思います。どうすれば自分の努力が報われやすいのかをずっと考えているんです。

最初は何もできなくても、あえて幅を狭めずに、「自分はここで何ができるんだろう」と考えて動いてみることが、自分の経験値になっていくんだと思います。そして、経験値が溜まると自ずと道は拓けます。

アイドルから、まさかマーケティング事業を起こすことになるとは思わなかったけど(笑)。幼いころに思い描いていたアイドルとしてデビューする夢は叶わなかったけれど、ぼくは今、ぼくにとって1番輝くステージに立てていると信じています。

(文・写真:神田佳恵 編集:おのまり 写真提供:櫻井龍之介)

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