【特集記事】歴史の里・清川歴史公園 (山形県庄内町)|千年の時を見て聴いて感じて
清川歴史公園は2019年4月に庄内町清川にオープンした歴史公園です。
古文書をはじめとする文献をもとに、関所の門や建物を復元した情緒あふれる新しい観光スポットです。
かつて、内陸から庄内に入る主要な交通網は最上川での舟運。清川には、多くの人・もの・文化が上陸しました。
さまざまな人・ものが往来する中で必須となるのは、関所です。
清川にも関所(※1)が設置され、最上川を下る人々が許可を得て通行しているかを管理していました。
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(※1)正式には徴税や検問のために設置されたものを関所、監視のために設置されたものを番所と呼びます。清川は舟運の監視をしていたため「川口番所」と呼ばれました。とはいえ「関所」と「番所」の言い分けは当時の人々でも曖昧だったこともあり、耳馴染みのある「関所」という言葉を用いています。本記事中でも「清川関所」としてご紹介します。
清川歴史公園・清川関所に復元された観光スポットを一緒に巡って行きましょう。
① 川口番所
川口番所は庄内藩から派遣された役人が、清川を通る人々の手形を改めた施設で、清川歴史公園のなかでメインの建物です。建物のなかに入って歴史的な資料を見たり、食事や休憩ができたりします。
館内には清川の歴史には欠かせない資料が数多く展示されています。
この大庄屋(おおじょうや)齋藤家を再現したものもその1つ。
地方行政を取り仕切る身分・大庄屋だった齋藤家には、参勤交代の際に藩主や家臣などが寝泊まりしたのだそうです。
齋藤家は藩主や家臣などが宿泊できるように増築されています。増築された部分も再現されているので、ぜひ探してみてください。
正解は清川歴史公園のスタッフの方に尋ねると教えてくれるはずですよ。
② 冠木門と高麗問
歴史的資料を解読し復元したのが、冠木門 (かぶきもん)と高麗門 (こうらいもん)。
門の前に立つとタイムスリップした気持ちになれます。
当時、この場所に立っていた冠木門や高麗門の本当の姿は知らないものの、復元された門を目の前にすると感動せずにはいられません。
③ 船見番所
船見番所では、最上川を往来する荷物を監視していました。当時と同じ場所に建てられたのが、現在の船見番所です。
陸路の発達とともに国道47号線が今の場所を走るようになりましたが、当時は船見番所の目の前を最上川が流れていたそうです。
清川歴史公園の建物を見るだけでも趣を感じられますが、川口番所のなかに入ったり、少し足を伸ばして散策してみたりするとよりいっそう清川が歴史の里といわれる所以を実感できます。
清川にまつわる著名な歴史上の人物とともに、清川の歴史を感じてみましょう。
① 鎌倉時代|清川の名が残る最も古い時代
歴史的文書に清川の名前が初めて登場したと言われているのが、鎌倉時代。源義経とその中心人物について書かれた軍記物語「義経記」に清川の名前が登場します。
源義経一行が奥州平泉に逃れる際に清川に立ち寄り、御諸皇子(ごしょのおうじ)神社で一夜を明かしたとされています。
その際に神社に奉納したと言われている「青葉の笛」や「写経」などの写真が川口番所内に展示されています。
千年も前の品々は、日本史好きの歴史ロマンをくすぐるにはぴったりです。
② 江戸時代|年間10万人が訪れた人気観光地
清川関所は日本遺産「自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』〜樹齢300年を超える杉並木につつまれた2446段の石段から始まる出羽三山〜」の構成文化財の一つです。
当時は「西の伊勢参り、東の奥参り(※2)」と呼ばれ、年間10万人もの人が出羽三山詣でに訪れました。登拝口の清川もとても活気があふれていたのだそうです。
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(※2)出羽三山の一つ、湯殿山が「奥の院」と言われたことが由来とされています。
そして出羽三山詣でに訪れたとされる著名人のうち、絶対に押さえたいのは「松尾芭蕉」。
川口番所には松尾芭蕉がたどった出羽路と各所で詠んだ句を紹介するパネルが展示されています。
「おくの細道」に掲載されている有名な句だけでなく、山形で詠んださまざまな句が紹介されています。
当時の芭蕉に想いを寄せることができるのも芭蕉上陸の地・清川歴史公園ならではの魅力といえるでしょう。
③ 江戸時代前期|米どころ庄内と呼ばれる原点
江戸時代の前期には、清川周辺がのちに庄内の米どころとなる兆しが見え始めます。
この地は最上川という水源がすぐそばにあるにもかかわらず、土地よりも低い場所を流れているため水を引くことができず、稲作を行うには難しい状況でした。
当時、庄内を含む出羽山形藩を治めていたのは最上義光。大名としては、より多くの米が取れた方が都合がよいものです。
最上義光は家臣の北館大学利長にこの地に堰を作るよう命じます。
庄内町観光ライブラリーより引用
そして、土地よりも高い場所にある立谷沢川から水を引いて完成させたのが、北楯大堰です。
庄内町観光ライブラリーより引用
北楯大堰は立谷沢川から陸羽西線沿いに流れています。清川歴史公園からは徒歩10分ほどの距離にあるので、足を伸ばしてみるのもいいですね。
④ 江戸時代末期|明治維新の魁の漢
清川歴史公園からほど近い場所には、清河八郎を祀った「清河神社」があります。
清河八郎は、清川そして明治維新の歴史を語るうえで外せない人物。
彼の生き様を一言で表すなら「目的のためならば、身分や藩、幕府といった立場にとらわれず同志を募る、聡明で強固な意志の持ち主」と、玉越さんは語ります。
八郎が明治維新の魁と呼ばれるようになった出来事は、1863年に起こります。
八郎は尊王攘夷派(※3)であるにも関わらず、京都に上る将軍の護衛を申し出ます。集められたのはさまざまな藩の浪士、藩の経済状況の悪化でリストラされた武士たちです。
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(※3)天皇を尊び、外国勢力を追い払う政治を支持する政治運動
2月23日に八郎は234名の浪士たちとともに京都に上ったあと、本当の目的は尊王攘夷なのだと高らかに宣言します。
これこそ、八郎が明治維新の魁といわれるきっかけとなった出来事です。
このエピソードを聞いたとき、人それぞれ思うことは異なるでしょう。
それでも「尊王攘夷を絶対に成し遂げたい」という八郎の熱い思いに寄り添うことで、歴史の里・清川のディープな魅力に触れられるのではないでしょうか。
清河八郎にゆかりのある遺品を展示している清河八郎記念館も見どころにあふれているので、チェックをしたいスポットです。
⑤ 明治時代|戊辰戦争の舞台、庄内にあり
誰もが歴史の授業で耳にしたことがある「戊辰戦争」。会津藩の白虎隊や五稜郭の戦いをイメージする方も多いのではないでしょうか。
実は清川でも、荘内藩と新政府軍による戦いが行われていました。戦いの舞台は清川歴史公園そばにある、御殿林。
御殿林の中を散策するのはとても心地がよく、約400年前に戦いがあったとは到底信じられません。
しかし、どこか神妙な雰囲気も漂っていて歴史の深さを肌で感じられる、そんな空間です。
「国道47号線沿いのドライブがてら、御殿林を散策するのもちょうどよい気分転換になるのでおすすめ」と玉越さんのお墨付きスポットです。
清川歴史公園に来たら、歴史と一緒に楽しみたいのが「お食事処御殿茶屋」。
手打ちそばやうどん、和スイーツなどがいただけます。
ドライブの道すがら、お食事処御殿茶屋で休憩をするのもいいですね。
平日には濃厚な豆乳で作った台湾スイーツ「庄内豆花(トウファ)」がいただけます。
山形県産フルーツやきび砂糖が使われいるシロップの優しい味わいに、スプーンが止まらなくなる一品です。
清川歴史公園を紹介してくれた庄内町地域おこし協力隊ヒストリアキュレーターの玉越さんからメッセージをいただきました。
「清川歴史公園は歴史上有名な人物がたくさん来ている場所なので、歴史を感じてもらいたいです。
清川の歴史にまつわるストーリーもご案内しているので、ぜひスタッフに気軽に話しかけてください。
一人の歴史上の人物にスポットを当てたり、清川全体を散策してみたりと楽しみ方はたくさんあります。ぜひお立ち寄りください。」
「これまで耳にしたことのある歴史上の出来事でも『誰の立場でものごとを見るのか?』『誰に心を寄せるのか?』によって、歴史の見え方や感じ方が違ってくる」と、玉越さんはヒストリアキュレーターならではの視点で深いお話をしてくれました。
今日の庄内を語るうえで絶対に外せない清川で、ディープな歴史体験をしてみてはいかがでしょうか。
<開館時間>
10:00~17:00
<開館期間>
3月~11月
<定休日>
毎週月曜日
(祝日の場合は翌平日)
<入場料>
無料
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● お食事処 御殿茶屋
営業日:土日祝日のみ
営業時間:11:00~14:00
座席:24席
相席大型テーブル:10席
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● レンタサイクルのご案内
<利用できる時間>
10:00~17:00
<利用料金>
無料(2024年より)
<ご利用について>
・清川関所受付でお申込みください
・本人確認のため身分証明書をご提示ください
・定休日および冬期間(12月~2月)は利用できません
清川歴史公園 (荘内藩清川関所・川口番所・船見番所)
〒999-6606
山形県東田川郡庄内町清川字花崎1-1
0234-25-5885