【静岡の高校サッカー戦後史Vol.81】浜名が出場した1977年度の全国選手権、11人目までもつれた北陽(大阪)とのPK戦は大雪の中で…
【浜名⑧】1回戦敗退 無念の思い
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
総体予選は自動車工業に…
全国選手権が関西から関東開催に移って2年目の1977年(昭和52年)度、浜名は7年ぶり2度目の選手権本番のピッチに立った。
望月哲也(栃木県在住)森谷勤(浜松江西中教)柳下正明(J磐田監督)の国体県選抜トリオ以下、実力派を擁したこの年度は「力があった」と監督・美和利幸(浜松市南区在住)。指揮官の高評価を裏付けるように、まず、県新人大会を制した。ところが、全国総体は県予選準々決勝で、優勝した自動車工(現・静岡北)に1-2で敗れ、3年連続の本大会出場を逃した。
7年ぶりの全国選手権
全国選手権県予選は、巻き返しを期して臨んだ。1次トーナメント、リーグ戦を順調にクリア、4校による決勝トーナメントも東海大一を3-1、藤枝東を2-0で退けて、全国行きの切符を手にした。
初出場でいきなり準優勝して以来の全国舞台だったが、評価は高く、帝京(東京)浦和南(埼玉)などとともにV候補に挙げられた。
1回戦は北陽(大阪、現・関大北陽)と顔を合わせた。選手権歴代優勝校だったが、浜名優位と目されていた。試合も押し気味の展開だった。前線の望月、森谷らだけでなく、後方の石津明次(マルツ工業社長)らも果敢に攻め上がった。
試合当日は正月3日。前夜来の大雪で西が丘サッカー場のピッチの周りは、かき集められた雪の山。ピッチ状態は、パワーを売りにしていたころなら得意の重馬場だった。ところが、この年度はつなぎが身上だったことから、重馬場はプレーに影響。「いつものようにつなげなかった」(森谷)といい、0-0でPK戦に突入した。
PK練習「必要ないと思っていた」
PK戦も互いに譲らず、サドンデスの11人目までもつれ込んだ。先蹴りの北陽はGK中村和哉が確実に蹴り込んだ。浜名の11人目もGKの宮司佳則(磐田東教)だった。「悔いのないように」と念じ、左上隅を狙った宮司の一撃は無情にもバーを越えた。今でこそ「会心のキック」と冗談めかす宮司だが、試合後は声がなかった。
「県予選から苦しまなかったので、(全国選手権も)大丈夫と思っていたのかもしれない」と、柳下はまさかの初戦敗退を思い起こす。宮司の記憶では「PK戦の練習は1回だけ」だったといい、「必要ないと思っていた。甘さがあった」と美和。そこからは目標の選手権制覇を達成できなかった、無念の思いが伝わってくる。(敬称略)
1977年度全国選手権先発メンバー
GK
宮司佳則
FB
横山基晴
柳下正明
今田慶生
石津明次
HB
山内充
村松利浩
望月哲也
FW
森谷勤
古橋孝晃
池谷守之