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#5 『おくのほそ道』は「構造」がわかるとおもしろい――長谷川 櫂さんが読む『おくのほそ道』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#5 『おくのほそ道』は「構造」がわかるとおもしろい――長谷川 櫂さんが読む『おくのほそ道』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

長谷川櫂さんによる、松尾芭蕉『おくのほそ道』読み解き

大震災後に歩む、芭蕉の「みちのく」。

松尾芭蕉の『おくのほそ道』は単なる紀行文ではなく、周到に構成され、虚実が入り交じる文学作品です。

『NHK「100分de名著」ブックス 松尾芭蕉 おくのほそ道』では、長谷川櫂さんが、東日本大震災の被災地とも重なる芭蕉の旅の道行きをたどり、「かるみ」を獲得するに至るまでの思考の痕跡を探ります。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第5回/全5回)

白河の関までは旅のみそぎ

 さらに読み進むまえに『おくのほそ道』全体の構造を明らかにしておきたい。結論を先にいうと、『おくのほそ道』は歌仙(かせん)を面影にしています。

 歌仙は連句の一形式です。連句とは連衆(れんじゅ)(参加者)が長句(五七五)と短句(七七)を交互に詠みあうものですが、全部で三十六句つづける連句が歌仙です。歌仙の構造をみると、初折(しょおり)の表と裏、名残の折の表と裏という四つの部分から成り立っています。歌仙では一巻のなかで春夏秋冬すべての季節を詠むことになっていて、月や花を出すところもあります。必ず恋の句も詠みます。歌仙の構造を表にすると次のようになります。

 芭蕉は歌仙の名手でした。俳句は自分よりうまい弟子がいくらもいるが、歌仙こそは「老翁が骨髄」(『宇陀法師(うだのほうし)』)と豪語するくらい、歌仙に打ちこみ、腕前に自信と誇りをもっていました。

『おくのほそ道』を読むと、歌仙の構造が面影のように浮かんできます。月の座、花の座など細かなところまで完全に一致するはずはありませんが、歌仙が四部に分かれるように『おくのほそ道』も四つに分かれています。

 まず『おくのほそ道』全体が太平洋側と日本海側の二つに分かれている。境は東北山中の尿前(しとまえ)の関です。このふたつは歌仙の初折と名残の折にあたります。このうち太平洋側はみちのくの入口である白河の関までとみちのくに分かれます。これが初折の表と裏です。一方、日本海側は越後の市振の関までとその先に分かれます。旅する順にいうと、白河、尿前、市振という昔の関で四つに分かれる。

 おもしろいことに四つの部分ごとに芭蕉の関心が変わる。まず江戸をたって白河の関までは長旅のための禊(みそぎ)です。次に白河の関を越えて尿前の関までは歌枕を訪ねる旅です。ここがいわゆるみちのくです。『おくのほそ道』の冒頭に「白川の関こえんと」「松島の月先心にかゝりて」とあったのを思い出してください。松島をはじめとするみちのくの歌枕を訪ねることが『おくのほそ道』の旅の第一の目的でした。

 さらに尿前の関から市振の関までは太陽や月や天の川といった宇宙の旅です。最後に市振の関から大垣までは人間界の旅です。これも表にしてみます。


   第一部(江戸 ―― 白河)旅の襖 ── 初折の表
   第二部(白河 ―― 尿前)みちのくの歌枕の旅 ── 裏
   第三部(尿前 ―― 市振)宇宙の旅 ── 名残の表
   第四部(一振 ―― 大垣)人間界の旅 ── 裏

 この構造が頭に入っていると、『おくのほそ道』はわかりやすく、かつおもしろい。表を見ながらいうと、私たちは現在、第一部の旅の禊の部分にいることがわかります。芭蕉と曾良(一六四九─一七一〇)を追って千住から北へ歩いています。ここから白河の関までの間にいくつもの神社や寺を訪ねます。草加を過ぎて、まず八島明神(室(むろ)の八島)、日光では東照宮、裏見(うらみ)の滝、那須では八幡宮(那須神社)、光明寺(こうみょうじ)、雲巌寺(うんがんじ)とつづきます。そこで詠んだ芭蕉と曾良の句をあげると、

 あらたうと青葉若葉の日の光         
 

芭蕉(日光東照宮)

 剃捨(そりすて)て黒髪山に衣更(ころもがへ) 

曾良(黒髪山)

 暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ) 
  

芭蕉(裏見の滝)

 夏山に足駄(あしだ)を拝む首途(かどで)哉         

芭蕉(光明寺)

 木啄(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立(なつこだち) 

芭蕉(雲巌寺)

 なぜ芭蕉と曾良はこうも次々に寺社に詣でたのか。それはみちのくの旅を前にして身を清め、旅の無事を願うためだったはずです。この性格がよく表われているのは日光の黒髪山〈男体山)を詠んだ曾良の句と裏見の滝での芭蕉の句です。

 黒髪山は、霞かゝりて、雪いまだ白し。

  剃捨て黒髪山に衣更

                 曾良

曾良は、河合(かはひ)氏にして、惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水(しんすい)の労をたすく。このたび、松しま・象潟(きさがた)の眺共にせん事を悦び、且は羈旅(きりょ)の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍(よつ)て黒髪山の句有。衣更の二字、力ありてきこゆ。

 同行の曾良の紹介を兼ねたくだりですが、ここで曾良は髪を剃り、墨染に衣をかえ、名も宗悟と改めたとあります。出家はしなくても僧の姿となって旅にのぞむ覚悟なのです。芭蕉も同じ思いだったはずです。

 

 曾良の句は更衣(衣更)の句です。更衣は春の袷(あわせ)を夏の一重に改めることですが、ここではみちのくの旅を前に身を清めるという意味合いを含んでいます。

 廿余丁山を登つて、滝有。岩洞(がんとう)の頂より飛流して百尺(はくせき)、千岩の碧潭(へきたん)に落たり。岩窟に身をひそめ入て、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申伝え侍る也。

  暫時は滝に籠るや夏の初

 芭蕉が裏見の滝で詠んだのは滝籠りの句です。裏見の滝は滝の裏にほこら(岩窟)があって、そこに身をひそめて滝を拝むのでこの名があります。それを芭蕉は「滝に籠る」といっていますが、これは滝の水で身を清め、滝の神にご加護を祈ったということです。

 曾良は仏に念じ、芭蕉は神に祈る。どちらも典型的な禊の句です。

第二章以降は、本書『NHK「100分de名著」ブックス 松尾芭蕉 おくのほそ道』でお楽しみください。

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著者

長谷川 櫂(はせがわ・かい)
俳人。東京大学法学部卒業。読売新聞記者を経て俳句に専念。俳句結社「古志」前主宰、「ネット投句」選者、「季語と歳時記の会(きごさい)」代表。「朝日俳壇」選者、東海大学特任教授。俳論集『俳句の宇宙』でサントリー学芸賞(1990年)、句集『虚空』で読売文学賞(2003年)を受賞(ともに花神社刊)。『「奥の細道」をよむ』(ちくま新書)、『俳句の宇宙』『古池に蛙は飛びこんだか』(ともに中公文庫)などの著書がある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス 松尾芭蕉 おくのほそ道」(長谷川 櫂著)第1章より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*第1章~第4章における『おくのほそ道』原文の引用は、尾形仂『おくのほそ道評釈』(角川書店)に拠ります。また、ブックス特別章の『おくのほそ道』全文は、同書より許可を得て転載し、編集部で作成した脚注を加えたものです。なお、そのいずれについても、読みやすくするために句の前後を一行分あけました。他の引用は「新編日本古典文学全集」(小学館)、「日本古典文学大系」(岩波書店)、「古典俳文学大系」(集英社)に拠ります。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2013年10月に放送された「松尾芭蕉 おくのほそ道」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに「『おくのほそ道』全文」、年譜などを収載したものです。

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