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<余命半年の義母>妊娠を報告!「お腹の子は双子」エッ!?義両親の反応が……ヘン!【まんが】

ママスタセレクト

写真:ママスタセレクト

私は30歳のチハルです。夫のリョウマと結婚をしておよそ2年。先日はじめての妊娠がわかりました。しかも予想もしていなかった双子です! 知り合いに双子がいないので戸惑いもありますが、子どもを授かった喜びはとても大きいです。そしてこのたび私は役所へ行き母子手帳を2つ受け取りました。

はじめての妊娠が双子……。お腹のなかで小さな命が2つ必死に生きていると思うと愛おしく感じ、私にも少しずつ「双子の母」としての覚悟が芽生えてきました。今、こうして母子手帳を受け取ったことで、さらに2つの命の重みを感じています。夜になり、リョウマにも手帳を受け取ったことを報告しました。

エコー写真や母子手帳を見ながら、夫も感慨深げです。「そっかー……。俺、本当に双子のパパになるのか……」けれど双子とわかって、これからが大変なのです。あらかじめ目星をつけておいた産婦人科は、多胎の出産は受け付けていませんでした。せっかくお祝御膳がフレンチのコースのところを選んだのに……。私は双子出産を受け入れてくれる大きな病院を慌てて探しなおすことになったのでした。

実家に双子だったと伝えると大喜びしてくれました。そして仕事に影響する可能性もあるため、私とリョウマの直属の上司には早々に事情を伝えておくことにしました。

義両親からは結婚以来、たびたび「子どもはまだなの?」と期待するような言葉をかけられています。悪気がないのは分かるのですが、あまり関わりたくないタイプの人たちだなと思っていました。だから義実家への妊娠報告はもう少し安定してからのほうがいいかなという気もしたのですが……。リョウマがなるべくすぐ伝えたいと言うので、早めに連絡をしました。

「えっ! おめでとう!!」「本当か!? で、どっちだ? 男? 女?」義両親は嬉しそうに祝福してくれます。

「実は……2人いるんだよ、お腹に!」そうリョウマが告げたとたん、それまではしゃいでいた義両親の雰囲気が急に変わりました。「ん……? え!? 双子っていうこと?」

わざわざビデオ通話で知らせたのは、私たちにとって大切な妊娠の報告だったからです。けれどリョウマが「双子なんだ!」と伝えたとたん、みるみる顔色が曇っていった義両親。最初は想定外の双子に驚いているだけなのかと思ったのですが、どうやらそうではないようです。なぜか「とんでもないことになった」と迷惑がっているような……? 義両親がいったいなにを考えているのか、私は戸惑ってしまったのでした。

「縁起が悪い」「堕ろすんでしょ?」義両親からのありえない言葉!

「どうするの? 1人、堕ろすんでしょう?」義母の言葉に私は絶句しました。

義両親はどうやら「多胎の妊娠は縁起が悪い」なんて迷信を信じているようです。そのうえ「小さく産まれて体が弱い」「障害が多い」などと、お腹の子どもたちを否定するような言葉を並べたてられました。悲しくて悔しくて、怒りが湧いてきます。リョウマも呆れて「もういいわ。じゃあな!」と通話を終わらせました。

「チハル、ごめん。ウチの両親がワケわからないことを言って……」「やっぱり言うんじゃなかった。産んでも会わせたくないくらい」「でも、悪気はないんだ……」「それでも私は傷ついた」

義両親は赤ちゃんが産まれた親戚に「母乳出ているの?」と聞いたり、女の子が産まれたと聞けば「次は男の子だな!」なんて言ったりしてしまうような人たち。デリケートな話題にずかずかと踏み入って相手をモヤモヤさせてしまうのです。でも今回の「堕ろすんでしょう?」にはさすがに怒りしかありません。

私は自宅から車で1時間ほどの、実家近くの病院で里帰り出産しました。リョウマには「義両親は絶対に呼ばないで」と言っておいたのですが……。誕生に興奮したリョウマがつい知らせてしまい、義両親はその日のうちに病院に駆けつけてきました。

どんなに義両親が双子をかわいがるそぶりを見せようが、妊娠報告のときに言われたことを私は一生忘れません。

しかし私は見逃しませんでした。義母が双子を見るやいなや、手足の指の本数、耳の形や体の様子をくまなくチェックしていたことを。義両親は間違いなく、双子に障害がないことを確認したうえでかわいがっているんだ……。

双子が産まれてくることを歓迎していなかった義両親。産まれてみればやはりかわいいのかもしれませんが、私は許せない思いでいっぱいでした。けれどリョウマもリョウマです。「義両親は絶対呼ばないで」と伝えていたはずなのに、病院に招き入れてしまうなんて……。こんな調子では里帰り出産から自宅に戻ったときにどうなるか、私は今から心配です。

親孝行したい夫「みんなで旅行しよう」生後2か月の娘も一緒に!?

私は里帰り出産をして、しばらく実家でお世話になりました。母がパートを休んでくれ、付きっきりでサポートをしてくれました。リョウマも週末やってきては、沐浴をしたりミルクを与えたりしていました。そして自宅に戻った私は、思いがけない話を聞かされます。

「大した病気じゃなければいいんだけれど……」そんなリョウマの言葉もむなしく、検査の結果……。義母に大きな病気が見つかったのです。義母の体はすでに手の施しようのないほどだったそう。余命半年と聞かされました。

最初に聞かされたときは一瞬「お腹の子を堕ろせなんて言ったから、バチが当たったんだ」なんて思いもよぎりました。けれど義母の死は、現実として間近に迫っているのです。病院で義父は取り乱していたそうですし、リョウマもきっとツラい気持ちをおさえているはずです。残された時間はあとわずかだと思うと、不思議と義母のことを思う気持ちが生まれてきました。

「今までずっと、母さんには迷惑をかけてばっかりだった……。だから今こそ、恩返しがしたいんだ……」「そうだね……」「俺、母さんが望むことはできる限り叶えてあげたいと思う」「うん、それがいいと思う……」数日後、リョウマは仕事帰りに実家に立ち寄りました。そしてなにか叶えておきたいことはあるか聞いてみたそうなのです。

「生きているうちに恩返しがしたい」もしも大切な母親が余命宣告をされたのなら、きっと誰もがそう思うはずです。自分自身の手でできることなら、できる限り叶えてあげたいもの。そして義母の願いは私たち一家との北海道旅行でした。リョウマはすぐさま快諾し「2泊3日で行こう」と話をまとめてきたようです。でもアカリとマヒルはまだ生後2か月なのです。まだ首も座っていないこの子たちを連れて、飛行機に乗せて旅行……? とてもじゃないけれど叶えてあげられそうにありません。いくら何でもムリすぎやしませんか!?

双子育児の大変さを理解してないの?甘すぎる夫に「旅行はムリ!」

うちは関東在住。北海道へ行くとなると飛行機での移動になるのかなと思います。まだ生後2か月の赤ちゃんを、しかも2人も連れて温泉旅行!? 考えられないんですけれど!?

「チハルだって出産してから初めてゆっくりできそうじゃない? しかも冬の北海道なんてなかなか行く機会ないじゃん。 雪のなかの温泉なんて絶対気持ちいいぞ!」リョウマにこう言われ、私は必死で呼吸を整えて気持ちを鎮めようとします。けれど湧き出る怒りはおさえきれませんでした。

「バカなの!? あの子たちが産まれてまだたったの2か月だよ? まだ首も座ってないんだよ?」

「1人授乳後に寝かせたと思ったら、2人目が泣いてまた授乳。夜中に子どもたちが泣いたら、宿泊している他のお客さんにも迷惑でしょう? オムツなんて2人で1日何枚使うと思っているの? 着替えだって何着持っていけばいいの? 私が赤ちゃん用の洗濯洗剤でわざわざ洗っているの、知っているよね?」

「そ……それなら、客室露天風呂付の部屋を予約すると……」「甘い! 甘すぎる!! そういう問題じゃないってことにいい加減気づけ! ただでさえ飛行機に乗るような旅行なんてムリムリムリ! そのうえ、真冬の北海道なんて……」

「アンタは知らないと思うけれど、すぐそこの小児科へ予防接種に行くだけだってすごく大変なのよ? ほんの少し外へ出るにも授乳やお昼寝の時間を考えなきゃいけないの。北海道旅行なんてムリがありすぎる! 双子を連れていくのはあきらめて、親子3人水入らずで行ってきてください!」

リョウマは双子育児の大変さを全く理解していません。しばらく里帰りをしていたため仕方がないのかもしれませんが、もう少し想像力を働かせてほしいものです。そもそも私は義両親と一緒の旅行すらイヤなのに、産まれて間もない双子を連れていくなんてあまりにも現実的ではありません。たとえ「義母の最後の希望」だとしても、ムリなものはムリなんです!

「近場に変更しない?」歩み寄るも……不満げな夫「子どもかッ!」

「ひとつも俺たちの気持ちに歩み寄ってくれないんだな……」その言葉、そっくりそのままリョウマに返したいです。けれど言い合いばかりしていても仕方がありません。「じゃあ百歩譲ってだよ? ここから近くの温泉宿じゃダメなの? 飛行機に乗って旅行するよりも、まだ現実的よ」

子どもたちが泣きだしたので、私は話を打ち切りました。「この話は終了です! お義母さんに『双子を連れての温泉旅行はムリ』とお伝えください! 解散!」

まぁ本音を言えば、義母の願いを叶えてあげたい気持ちと叶えてあげたくない気持ちが半々といったところ。双子を妊娠したときに言われたことを思い返すと、正直顔も見たくありません。けれど余命が残りわずかならできるだけのことをしてあげたいとも思うのです。言ってしまえば、あと少しの付き合いです。

そして翌日の土曜日。子どもたちに授乳をして寝落ちしていると、義父から電話がかかってきました。「今日午後から母さんといっしょにそっちに顔を出してもいいかな? アカリとマヒルの顔が見たくてな!」

ソファでスマホをいじったまま、リョウマは顔もあげずに「へー、そう」と返事をしました。昨夜からずっと不服そうな顔をしているのです。子どもじみた態度に呆れます。

私との言い争いで「絶賛へそ曲げ中」のリョウマ。今日はどことなく育児にも消極的です。義両親が家にやってきても、ソファでゴロゴロしてスマホを見ているだけ。呆れてものも言えません。義両親は義両親で、せっかく寝たばかりのアカリやマヒルを抱き上げるし、余計なことばかりしてくれます。そして北海道旅行の手配をまさか私がすることになっているとは……。家事に育児に旅行の手配!? 私はリョウマに「双子を連れて北海道になんて行けない!」と言ったばかり。開いた口がふさがらないとはこのことです。

「私もうすぐ死ぬのよ?」「最低最悪の嫁!」義母の発言にキレた私

「リョウマさんから聞いていないですか? 生後2か月の双子を連れて北海道旅行はムリです。行けないんです」「え、なんで?」義両親までも、リョウマと全く同じ反応をしてきました。

「授乳や沐浴の問題もあるし、荷物だってたくさん……。雪だって積もっているはず。私もほとんど寝られていないなか、子どもたちに何かあってからでは遅いんです」せめて育児経験のある義母なら少しはわかってくれると思っていましたが……。

「お世話だったら私たちだってやるわよ! 大人の手が増えて、チハルさんだって少しはラクできるんじゃないの?」そういえば昨日、リョウマもそう言って説得しようとしてきました。どうやら義母からの受け売りだったようです。「あの、外出自体がラクではないんです!」

「私の最後のお願いよ……」「チハル、母さんがそう言っているんだよ」「ここはチハルさんが歩み寄ってくれんか?」リョウマと義両親は口々にそう言ってきますが、何をどう言われても私の答えは変わりません。「いや、ムリなものはムリなんですって!」

「ねえ、もうすぐ私、死ぬのよ? 最後の希望すら叶えてくれようとしないなんて……。最低最悪の嫁じゃない」

「最低最悪の嫁」その言葉を聞いて私はついにキレました。「はぁ!?」え、何? みんなそろって私を悪者扱い? そっちこそ「死」を盾にして、こっちの状況に歩み寄ろうともしないじゃない。でも、もういいや。これ以上説明するのも疲れた……。絶縁上等です。私はこの際、思っていたことを全部ぶちまけようと思いました。

何度も何度も「行けない」と伝えていたのに、リョウマと義両親にはちっとも伝わっていませんでした。さらに義母から発された「最低最悪の嫁」発言に、堪忍袋の緒が切れました。一方的に「願いを叶えろ」と押し付けられては、いい嫁なんてやっていられません。双子は義母から「1人堕ろせ」とまで言われていたのです。孫の顔を見てからは手のひらを返したように溺愛していますが、私は義両親の言動を一生許しません。

実家に帰った私「最高最良の母でいればいい!」実母に励まされ……

「お父さん帰りましょう。チハルさんは私の願いなんて聞いてくれないんだもの」「お母さんの最後の願いなのになぁ」義両親は憤っているし、リョウマまで義両親の味方です。

リョウマには父親として子どもを第一に考えてほしかったのですが、残念ながらムリでした。

「しばらく実家に帰ってお義母さんに寄り添ってあげたら?」私がそう吐き捨てたのでリョウマも荷物をまとめ、義両親の後を追うように義実家へ向かったのでした。

そして私はリョウマのいない家で、たったひとりで双子育児をすることになりました。ひたすらにお世話に追われ、オムツを替えたり授乳したり急いで哺乳瓶を洗ったり……。同時に泣かれようものならドタバタです。

さすがに限界を感じ、実家に連絡をすると「帰っておいで」と一言。私は再び双子を連れてお世話になることにしました。何も言わず私を受け入れようとしてくれる母。その気持ちが本当にありがたかったです。

実家までは車で1時間です。到着した後もバタバタと双子のお世話に追われ、ようやく落ち着いたあと私は母に事情を説明しました。「いい嫁キャンペーン終了」というユーモラスな母の言い方に、思わず私はおどけて「ご理解いただきありがとうございます」とお礼を述べます。

「いいじゃない。最低最悪の嫁だろうが。それよりもこの子たちの最高最良の母でいなさい。何かあってからでは遅いし、後悔してもしきれないから」母の励ましの言葉が、とても心強く感じます。

里帰り出産から自宅に戻ってまだそんなに経っていないのに、ふたたび実家に戻ることになってしまいました……。母に事情を話したらあたたかく受け入れてもらえました。申し訳ないのですが、今は目の前の子どもたちのことが第一です。リョウマと義両親のことはとりあえず置いておいて、またしばらく実家でお世話になろうと思います。

【夫の気持ち】大好きな母が余命……半年!?絶対叶えたい最後の願い

俺は35歳のリョウマ。先日妻チハルが双子のアカリとマヒルを出産し、父親になったばかりだ。しかしちょうど同じころ、実家の母さんに大きな病気がわかった。残念ながら手の施しようがなく「余命半年」とのこと。これまで育ててくれた母さんにはできる限り恩返しがしたい。最後に望むことがあるなら何でもしてあげたい……。俺は強くそう思ったのだった。

病状の説明を受けて、俺と父さんはうろたえるばかりだった。ただ驚くことに、母さんは意外とすんなり自身の状態を受け入れたのだった。検査の前から最悪の事態を覚悟していたのかもしれないし、残りわずかな人生に悲しんでいるヒマなどないと思ったのかもしれない。

俺と父さんは「生きているうちに叶えておきたいこと」を母さんにリストアップしてもらうことにした。もちろん俺はすべての希望を叶えるつもりでいた。けれど母さんの望みはたったひとつ。「身体が動くうちに夫や息子、孫たちと2泊3日で北海道旅行をしたい」というものだった。しかし俺はふと疑問に思った。あれほど双子妊娠を嫌がっていたのに、どうして一緒に旅行をしたいという心境になったのだろう……?

アカリとマヒルが産まれる3か月くらい前、両親はバスツアーに参加したそうだ。そして一緒になった年上の老夫婦と話しているうち、孫の話題になってこう言われたらしい。「ウチの孫もね、双子なんですよ! もう小学生ですけれど。男の子と女の子の双子! お嫁さんは子育て大変そうだけれどねぇ、うーんと賑やかになってとっても楽しいですよ~!」

「双子っていうのは縁起が悪い、なんて忌み嫌われて……」「んもうっ! そんなのいつの時代のお話よぉ~!」両親はどう見ても自分たちより年代が上の人に、「いつの時代の話」と笑いとばされてショックを受けたそうだ。

父さんも母さんもただ「多胎妊娠は縁起が悪い」という迷信を真に受けていただけ。本当は孫たちに惜しみない愛情をそそいでくれる素晴らしい両親なのだ。絶対にアカリやマヒルと幸せな思い出を作ってもらわなければ……。俺はそう心に誓った。

母さんの最後の願いはたったひとつ。「みんなで2泊3日の北海道旅行に行きたい」というそれだけのものだった。俺はずっと、あんなに忌み嫌っていた双子をなぜ今はかわいがっているのか不思議に思っていた。けれどバスツアーで一緒になった老夫婦に諭されたという話を聞かされて納得がいった。父さんや母さんは何も、わけもなく子どもたちを嫌っていたわけじゃない。ちゃんと大切に思って愛してくれているんだ……。それならなおのこと、俺は「子どもたちと旅行」という母さんの願いを叶えてあげなければと思ったのだった。

「旅行はムリでしょ」母の友人にやんわり怒られ、反省

チハルは双子育児の大変さを盾に、母さんの願いをちっとも叶えようとしてくれなかった。どう説得しても「ムリ」の一点張りで、話し合いは一方的に打ち切られてしまった。

そして父さんと母さんがせっかく孫に会いに家までやってきてくれたのに……。旅行の話をめぐってチハルがブチぎれ、俺たちは険悪な雰囲気になってしまった。

だから俺は家を出て、しばらく実家で生活しようと決めたんだ。余命宣告された母さんに恩返しをするために。そしてとある休みの日……。

訪れたのは母さんの古くからの友人だ。「驚いたけど……でも、気を強く持ってね」いたわりの言葉をかけられ、母さんはしんみりと話しはじめた。「身内以外のほうが身内よりも優しいわね……。聞いてよ! 嫁が『旅行なんてムリ』って……私の最後の願いなのに……」

一緒にリビングで過ごしていた父さんや俺も話に加わる。「そうなの……ちなみに……お子さんはおいくつ?」そう聞かれたので俺は答えた。「今日でちょうど生後3か月なんです! 双子の女の子なんですよ!」すると意外な言葉が返ってくる。

「孫が可愛いのはよ~くわかるわ。でもね、産まれたばかりの双子の赤ちゃんを連れまわすのはムリがあるわよ。それにあなたもこの時期の北海道なんて、何かあったら大変じゃない? ムリは禁物よ、あなたも、奥さんも」優しい口調ではあったが、俺はやんわりと怒られたような気がした。気心の知れた友人に諭されて、母さんも思うところがあったようだ。

チハルには「やっぱり近場の温泉宿にしたよ」と報告しよう。そう決心した俺は、久々に自宅に戻ったのだが……。家のなかは真っ暗。人の気配がまるでない。よく見るとチハルの生活用品や、双子のベビーグッズがごっそり消えている……!?

別に俺たちはムリに子どもたちを連れまわすわけじゃない。温泉宿でゆっくり過ごすんだから大丈夫だと思っていたけれど……。まさか世間的には怒られるようなことだったとは。母さんも「何かあったら大変」という友人のいたわりの言葉を受け、近場の温泉へ泊まるプランで妥協してくれたのだった。しかし久しぶりに自宅に戻ってみると、チハルと子どもたちの姿がない。きっと実家に帰ってしまったのだろう。このまま戻ってこなかったらどうしようと、俺は青くなったのだった。

【私の気持ち】実母が夫に「妻子を犠牲にした親孝行はNG!」私が出した結論は

「最低最悪の嫁」とののしられ、私はついに堪忍袋の緒が切れました。そしてリョウマは義実家へ、私は子どもたちを連れて実家へ帰ったのです。

母が夕食を終えてひと段落していたときのこと。インターホンが鳴り、やってきたのはリョウマでした。

「チハル以外の『大人の手3人』はきちんと稼働する? 好きなだけ孫を愛でてのんびりゆったり過ごすつもりでいる『大人の手3人』と、チハルの意識や行動はまったく異なるからね? 『チハルの息抜き』を考えるなら、あなたがチハルの代わりにワンオペ育児してあげたらいいんじゃないの?」

「い……いやぁ……ハハハ……」「そういえば結婚の挨拶のときにさ……。『チハルさんを一生大切にします』とか言ってたねぇ。もう約束破るの?」

「さ、今日のところは帰りなさい。今のリョウマ君をチハルやアカリやマヒルに会わせられない。夫として、父親として覚悟が決まったらまた来なさい」そんなやり取りを知らない私は、リョウマが帰っていった後に入れ違いで2階から降りてきました。

「チハル、これからリョウマ君とどうするの?」「ん-、正直わかんないや。こんなに頼れない男だとは思っていなかったし……。今は離婚したくて仕方ない気持ちでいっぱいだけれど、とりあえず1人で生活していけるだけの経済力をつけなきゃかなー……なんて」「そっか。ま、そういう選択もアリだよね……」そして数日後。

リョウマのなかでは改心するきっかけになった何かがあったようです。結局私や子どもたちは旅行へ一緒に行かなくてもいいことになりました。リョウマが頭を下げて謝る姿を見て、私は実家から戻ることを決めました。

旅立つまでの1年間、義母は穏やかな時間をたくさん過ごせたようです。本当のことを言うと、義母の最後の頼みを断ったことに罪悪感がないわけではありません。でもどうしてもあのときは「ムリ」以外の言葉は出てきませんでした。

言い争いになったあの日以来、私は義実家との関わりを断ちました。義両親の顔も見たくなかったし、双子育児に追われて義実家を気にするどころではなかったのです。次に義母と対面することになったのは葬儀のときでした。リョウマは義母の闘病生活に寄り添い続け、最後は後悔なく送り出せたようです。

アカリとマヒルは2歳になりました。最近になってようやく、双子を連れての旅行も現実的に考えられるようになってきたところです。リョウマも父親として、日々一緒に頑張ってくれています。これからも子どもたちのことを第一に考えていきたいと思っています。


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