義母「うちの子そっくり」にザラつく…。“孫フィーバー”の裏、無視され続けた嫁の叫び。私は透明人間じゃない!
私の友人サエ(32歳・銀行員)が第一子を出産したのは昨年の冬。待望の赤ちゃんが誕生し、夫婦で新しい生活を始めた矢先、彼女を悩ませる存在が現れた。それは姑だった。
姑の「うちの子そっくり!」にざらつく心
姑は初孫に会えるのを心待ちにしており、出産直後から病院に顔を出した。最初は「本当に喜んでくれてるんだな」とサエも嬉しかったそうだ。ところが退院して自宅に戻ると、状況は一変する。
姑は赤ん坊を見るなり「わぁ、うちの子そっくり!」「やっぱり血だね」と声を弾ませた。しかし“うちの子”とはサエの夫のこと。
サエに「出産お疲れさま」や「体調大丈夫?」といった労いはなく、赤ちゃんを抱くことに夢中で、母親であるサエの存在は空気のように扱われた。
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過熱する孫フィーバー。育児の主導権まで奪われて
ある日、姑が義実家に親戚を呼び赤ちゃんを披露したときのこと。
親戚の一人が「サエちゃん、出産大変だったでしょ」と声をかけてくれた。サエは救われた気持ちになったが、姑がすかさず「でもうちの子(=息子)が頑張ったからね」と言い放った。
会場の空気が凍りつき、サエは「私は透明人間なのか」と胸が締め付けられた。
孫フィーバーは日に日にエスカレート。姑はアポなし訪問を繰り返し、赤ん坊を抱き上げては「私の血が流れてる」と繰り返した。
授乳やオムツ替えをしようとすると「おばあちゃんがやってあげる」と手を出し、育児の主導権を奪おうとする。
サエが「母親の私がやりたい」と言っても、「新米ママは休んでて」と笑いながら赤ちゃんを連れて行くのだった。
私が産んだのに…
一番傷ついたのは姑の言葉だった。
「母乳足りてるの? 昔は完全母乳だったのよ」
「最近のママは便利グッズに頼りすぎ」
口を開けば批判ばかり。まるで母親であることを否定されているようで、サエは追い詰められていった。
夫に相談しても「母さん、悪気ないよ。孫が可愛いだけだから」と軽く流される。サエが「私が産んだのに無視されるのがつらい」と訴えても、「気にしすぎ」と片づけられた。
味方でいてほしい夫に理解してもらえないことが、何より孤独だった。
姑の心無いふるまいは“お食い初め”でも
決定的な出来事は、生後100日のお祝い“お食い初め”だった。姑は主催者のように仕切り、赤ちゃんを抱いた写真を撮るときも「うちの家系の宝物!」と声を張り上げた。
サエが赤ちゃんを抱こうとすると、「ちょっと貸して、写真を撮るなら私が抱かないと」と取り上げられた。
その瞬間、サエの心に張り詰めていた糸がぷつんと切れた。
「私は赤ちゃんを産んだ母親なのに、どうしてこんなに蚊帳の外なんだろう」
帰宅後、彼女は私に電話で泣きながら訴えた。
「私が産んだのに、まるで存在しないみたい。透明人間みたいなんだよ」
夫婦での話し合いの結果
サエは限界を感じ、勇気を振り絞って夫に本音をぶつけた。
「孫が可愛いのは分かる。でも私は母親なの。私を無視して孫にばかり構うお義母さんの態度、もう耐えられない」
最初は戸惑っていた夫も、涙ながらに訴えるサエを見てようやく事態の深刻さを理解した。
そして夫婦で話し合い、「育児の主導権はサエにある」「姑はサポート役に徹する」をルールとした。夫は姑に直接伝え、「母親を差し置いて孫を可愛がるのはやめてほしい」と釘を刺した。
それから姑の行動は徐々に落ち着き、訪問も事前に連絡が入るようになった。
サエは「ようやく母親として認められた気がする」と安堵の笑みを見せていた。
姑に求められるたった一つこと
孫フィーバーは一見微笑ましいが、行き過ぎれば母親の存在を奪う“嫁無視”に変わる。可愛い孫が生まれたときこそ、姑に求められるのは“母親である嫁を尊重する姿勢”だ。
「私が産んだのに透明人間みたい」ーーサエの言葉には、母親としての尊厳をないがしろにされた悲しみが詰まっていた。
結婚は二人のこと。出産は夫婦のこと。だが現実には“三人目”として姑が入り込み、母親を追い詰める。
サエの体験は、出産後の夫婦に必要なのは“姑との距離感”と“夫の覚悟”だと教えてくれる。
(おがわん/ライター)