無二の作品世界はいかにして生まれるのか? 「アニメ劇伴の女王」梶浦由記の知られざる30年史
人気アニメの劇伴をはじめ、マルチな活躍によって圧倒的な支持を集める作曲家、梶浦由記さん。そんな梶浦に長期密着取材を敢行したNHKBSのドキュメンタリーは多くの反響を呼びました。
本書は放送未公開部分や梶浦さんへの追加取材を大幅に加え、彼女の知られざる創作の極意と人となりに迫ります。
今回待望の書籍化記念して、『6000曲の“パレード” 作曲家・梶浦由記 異才の流儀』より「はじめに」を全文公開します。
「これをやらねば女がすたる」作曲家・梶浦由記の覚悟
「私がバーンとスイッチを放ち、みなさんのなかにある楽しさとか美しさを鳴らしてくれるから響きあうのです。そういう意味で私は音楽とは『一対一』のものだと思っています」舞台にいるピアニストはこう語り出した。その人は梶浦由記。
これは、私がドキュメンタリーの取材のため、久しぶりに梶浦さんのライブに行った時に目のあたりにした観客へのメッセージだ。このフレーズに私は心臓を摑み取られた。以来、私の音楽を聴く心構えが変わった。
「一対一」。そこには梶浦さんの観客への愛情がいっぱいに溢れている。それが梶浦さんの音楽哲学だと知った。
思えば、私と梶浦さんとの出会いは二七年前に遡る。拙作の劇伴をお願いしたことがきっかけだ。二〇代だった梶浦さんは今では考えられないほどおとなしく、言葉数の少ない女性であった。梶浦さんは劇伴二作目。私も監督二作目。二人ともまだプロデビューしたばかりで「未熟」だった。しかし、私の梶浦さんへの「未熟」という考えは出来上がったデモを聴いた時、ふっとんだ。そのメロディは確かに私の琴線に触れ、私の鼓動は高鳴った。それは格調高く、美しい。これが私の梶浦メロディとの初めての出会いである。梶浦さんもその劇伴では苦労されたと思う。全裸の女性が絡み合うシーンが随所にある映画。それをいやらしくない、女性でも鑑賞できる映画にするため、梶浦さんの美しく神秘的なメロディが見事に支え、補ったのだ。そうして梶浦さんとのタッグは成功した。
そう、梶浦由記は二〇代で既に異彩を放っていたのだ。その後の梶浦さんのメロディーメーカーとしての揺るぎない活躍は語るまでもない。
そして二〇二二年の暮れ、梶浦さんに関する大きな情報が飛び込んできた。デビュー三〇周年を迎える二〇二三年。それを記念する世界ツアー、故郷ドイツでのライブ、九年ぶりのオリジナルアルバムの作成、そして初めての武道館公演。イベントが目白押しでまさに梶浦year と言えた。それを知り、私は梶浦さんのマイルストーンとなるドキュメンタリーを作りたいという衝動にかられた。チャンスは今しかなかった。一気に企画書を書き上げ、NHKに提案。幸運なことに即、内諾を得て、弾む心で撮影に入った。
梶浦さんと伴走した一年半は新鮮で、驚きがあり、感動的で、何より幸せだった。世界を舞台に飛び回り、各国において熱狂で迎えられた梶浦さん。ドイツでのお父さんの思い出を辿る旅、アジアだからこそ、より過熱したファンに囲まれた台湾ツアー、鎌倉にあるお父さんが眠る菩提寺へのお墓参り、そして大舞台・日本武道館公演。
そんな最中、梶浦さんが見せた、たった一度の涙。それはお父さんの形見の楽譜のページをめくっていた時だ。自らをファザコンと言い切る梶浦さんにとって音楽の素晴らしさを教えてくれたお父さんは、梶浦さんの作曲家としての礎を作った人。思わず、込み上げるものがあったのだろう。
ある日の撮影現場で、私は梶浦さんの底力を目のあたりにした。時代の寵児、miletさんとのレコーディングにカメラが入ることが許された時だ。梶浦さんはmiletさんに微に入り細を穿つ指示を出しまくる。miletさんが、その要望に応えると梶浦さんは「素敵」「好き」「神」「LOVE」「かっこえー」「ご飯一〇杯いけます」「こんなにうまく歌えたら私、人生調子に乗っちゃう」という梶浦ワードを連発する。気づくとmiletさんは完全に梶浦マジックにハマり、いつのまにか、一曲入魂のレコーディングは見事な形で完成されている。
そう、梶浦さんはミュージシャンとの真剣勝負に「これをやらねば女がすたる」という覚悟で挑んでいるのだ。その瞬間、修羅場を潜り抜けてきたクリエーターの顔に変わる。世の中間管理職のビジネスマンが、梶浦流人心掌握術を身につけられたら、どうだろう。部下に愛されること請け合いではないか、そう思ってしまうほど奇抜で痛快。
この書籍は私が監督したNHKの番組「6000曲の“パレード”作曲家 梶浦由記」の出版化である。出版にあたって、改めて梶浦さんへの長時間のインタビューを行った。更にドキュメンタリーの編集で落とした箇所も存分に盛り込まれている。結果、梶浦ファンならずとも十分楽しめる深みのある本として世に出すことができた。
また、可能な限り梶浦さんの写真を入れた。梶浦さんが創作に立ち向かう時にどのように思い、悩み、闘うのか、読者のみなさんにより深く梶浦像を知ってほしいという思いからだ。
今後も梶浦さんが「これをやらねば女がすたる」という覚悟で音楽界に足跡を刻んでいくことを見続けていきたい。
作詞・作曲・編曲を手掛けるマルチ音楽コンポーザー。1993年、「See-Saw」のコンポーザー兼キーボーディストとしてデビュー。2002年、『機動戦士ガンダムSEED』のエンディングテーマ「あんなに一緒だったのに」がヒット。その後、「Kalafina」をプロデュースするなど、現在はアニメを中心としたテーマ曲、劇伴音楽を数多く手掛け、2020年には作詞(共作:LiSA)・作曲を手掛けた『劇場版「鬼滅の刃」―無限列車編―』の主題歌「炎」(歌:LiSA)が第62回日本レコード大賞を受賞。アニメ作品以外にも、北野武監督・主演映画『アキレスと亀』やNHK 歴史情報番組『歴史秘話ヒストリア』、NHK連続テレビ小説『花子とアン』などの音楽も担当。デビュー30 周年を迎えた2023 年4 月、個人プロジェクト「FictionJunction」のアルバム、『PARADE』を9年ぶりにリリース。また世界規模で開催している「Yuki KajiuraLIVE」は20 回目を迎え、12 月、武道館2Days 公演『KajiFes.2023』を開催した。
著者プロフィール
君塚 匠(きみづか・たくみ)
日本大学藝術学部映画学科卒業後、1991年『喪の仕事』で監督・脚本デビュー。以降、『ルビーフルーツ』『おしまいの日』『月』の脚本・監督。近作ではTVディレクターとしてNHK『小野田さんと、雪男を探した男』の演出(放送文化基金賞奨励賞・ATP賞テレビグランプリ奨励賞受賞)やドキュメンタリー、テレビドラマを多数監督。ADHDをテーマに脚本・監督・出演した『星より静かに』の公開が2025年に控えている。早くから梶浦由記の才能に注目し、映画『ルビーフルーツ』『月』にてタッグを組む。