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毎週土曜に1万円を握りしめて ”人生の親父”と交わした最後の言葉と果たした約束

Shizuoka

焼津市にあるサスエ前田魚店の店主・前田尚毅さん

■「リレーの第一走がいない」 漁師に頭を下げて協力依頼

無謀とも思える挑戦は見事に成功した。静岡県ゆかりの人たちが歩んできた人生をたどる特集「My Life」。焼津市にある「サスエ前田魚店」の5代目店主・前田尚毅さんのストーリー後編では、前田さんがどんな苦難からも逃げずに前へ進んだ理由を紐解く。そこには、絶対に果たしたい約束があった。【全2回の後編】

【動画で見る】”日本一の魚屋さん” サスエ前田魚店・前田さんの包丁さばき

この10年ほどで前田さんを取り巻く環境は大きく変わった。周りから鼻で笑われた世界への挑戦は成功した。ただ、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。特に大変だったのは、漁師の仲間づくりだった。

「リオ五輪の400メートルリレーで日本は銀メダルを獲りました。強さの理由はバトンです。リレーの映像を100回くらい見ました。魚をバトンに例えると、第一走者は漁師です。第二走者の魚屋と第三走者の飲食店の連携は取れていて、第四走者の食べる人につなげていました。スターターがいない。今までの考え方を全て捨てて、漁師さんに頭を下げにいきました」

前田さんは飲食店でお客さんに食事として提供される状態から逆算して、最高の状態で魚を仕入れたかった。そのためには、漁師の協力が不可欠だった。前田さんが手にした時に味や鮮度が損なわれていれば、どんなに腕の良い魚屋でも限界があるからだ。そこで、前田さんは漁の仕方を変えてほしいと漁師に掛け合った。

焼津市にあるサスエ前田魚店の店主・前田尚毅さん

■リスクを背負ってサポート 徐々に広がる漁師の輪

もちろん、漁師にもプライドや生活がある。今までのやり方を変えて魚が獲れなくなれば収入が減るリスクがある。前田さんの提案に首を縦に振る漁師はいなかった。「誰も見つからないのか」。頭を悩ませていると、助け船が現れる。漁師として独立した水産学校の同級生が協力を申し出たのだ。

「同級生は船を購入して借金をしているし、漁師として勝負したいから何でもやると言ってくれました。私は要望通りに魚を獲ってもらう分、通常の2~3割高い金額で買い取りました。苦労はありますが、でき上った仕組みに乗っかるよりもゼロからつくり上げていく方が私は好きなんだと思います」

前田さんが希望する方法で漁獲した魚は料理人を満足させた。飲食店の仲間たちは「金額が高くても購入するので、今のやり方で魚を獲ってください。攻めてください」とサポートしてくれた。

すると、潮目が変わる。他の漁師たちから「言われた通りのやり方で漁をすれば、相場よりも高い値段で買ってくれるのか?」と声をかけられるようになった。

品揃え豊富なサスエ前田魚店の鮮魚コーナー
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■新型コロナの窮地にも逃げない覚悟 勝ち取った信頼

漁師の仲間も増えて波に乗っていくと思われた。ところが、強烈な逆風が吹く。新型コロナウイルスの感染拡大。飲食店は営業自粛となり、漁師が魚を獲っても買い手がつかない。

前田さんはECサイトに活路を見出した。漁師たちには「絶対に買え支える」と約束。魚の価格が下がる中、漁師の生活を支えた。巣ごもり需要にECサイトがマッチし、窮地を脱した。そして、漁師たちから揺るぎない信頼を得た。

「漁師さんがみんな、こっちを向いてくれるようになりました。あいつは逃げないと。その絆が現在もつながっています。漁師さんたちのおかげで、今はどんな魚も手に入ります。飲食店に最高の状態で魚を届けるために必要な第一走者が固まりました」

前田さんが漁師から信頼を勝ち取れたのは、逃げない姿勢だけではない。ここ数年は病院からストップがかかって睡眠時間を確保するようにしているが、15年以上は睡眠時間が毎日3時間に満たなかった。夕方まで自身が営む魚屋で働き、夜は魚を卸している飲食店で食事して味を確かめる。

■「本当にクズだった」 努力の理由は「親方への恩返し」

睡眠を取る時は枕と耳の間に携帯電話を挟んで、ソファーに横になる。漁師から電話が来た際、すぐに話ができるようにするためだった。

「漁師さんから、どこの港に向かうのか午前2時半頃に電話が来ます。その情報を持っているかどうかが、良い魚を仕入れるためにはすごく重要です。電話が来た時に眠そうな声を出せば、寝ている時間に電話するのは申し訳ないと漁師さんに遠慮されてしまいます。私は魚が好きなこと以外、何の取り柄もありません。たまたま、みんなのおかげで今があるだけ。本当にクズでしたから」

漁師も料理人も一目置く存在となった今も、前田さんは「自分は尊敬されたり、評価されたりする人間ではない」と繰り返す。だが、これだけ自分に厳しい働き方は並大抵の努力ではできない。継続している理由は、ただ1つだという。

「親方と約束しましたから。恩返ししたい気持ちだけです」

睡眠時間を削って魚と向き合う前田さん

■1万円握って通った割烹 親方に教わった魚の知識や礼儀

「親方」と慕うのは焼津市の割烹「月の森」の大将、長谷川裕三さん。前田さんは20歳を過ぎた頃、毎週末1万円を握って月の森に通っていた。父親から「魚は食べて覚えろ」と言われていたことから、サスエ前田魚店と取り引きがあり、地元で最も腕の良い料理人から魚について学ぶ目的があった。

「親方からは私が仕入れた魚について、色々と指摘やアドバイスを受けました。魚のこと以上に、人として大切な所作や礼儀を学びました。愛情いっぱいに叱ってもらいました」

同じ金額でより品質の高い魚が他にあっても、親方はいつも前田さんから魚を買った。そして、調理した魚を前田さんに提供し、どこに課題があるのかを伝えた。前田さんは「親方は私を育てるために損を承知で魚を買ってくれました。粋な親方の生き様に惚れました」と振り返る。

前田さんは親方に恩返ししたい一心で魚を勉強した。親方と出会ってから10年ほどが経ち、目利きや包丁さばきに自信を持てるようになった。「さあ、今から恩返しだ」。その矢先だった。まさかの事実を親方から告げられる。

「すい臓がんで余命はわずか。料理人として復帰できる状態ではありませんでした。私が恩返ししたい気持ちを伝えると、『次の世代の料理人が必ず出てくる。それだけの思いがあるなら、その料理人にお前の力を全力で貸してあげてほしい。約束できるか』と言われました」

前田さんは各飲食店の特徴も考えて卸す魚を選ぶ

■最後の言葉は「必ず約束します」 料理人の育成に全力

前田さんは親方に「必ず約束します」と力強く返した。それが最後に交わした言葉だったという。そして、次の世代の料理人こそが成生の店主だった。前田さんが語る。

「親方が亡くなって一番自分の近くにいたのが彼だったので、全力投球しようと考えました。親方と交わした約束ですから何が何でも守ると心に決めました。自分は単純ですから。恩返ししたい気持ちで続けていたら仲間も増えて楽しくなりました」

前田さんは親方の命日に線香を立てに行く。親方が他界してからも、女将は「親方が戻ってくる気がして、なかなか踏ん切りがつかない」と割烹をきれいに保っていた。女将は後継にふさわしい料理人に、いつか割烹を託したい気持ちも持っていた。

その頃、前田さんは焼津市で「近い将来、必ず頭角を現す」と見込んだ料理人に出会った。その料理人は居酒屋で働いていたが、前田さんと成生の取り組みに興味を持っていた。前田さんが「うちで修行するか?」と声をかけると、居酒屋を辞めてサスエ前田魚店に社員として入社した。その後、成生に移ってナンバー2として店主を支えた。

■親方の割烹に戻った灯り きっちり果たした約束

その料理人は成生で約8年修行し、静岡市から全国、世界で注目される天ぷら屋に上り詰めるところを目の当たりにした。一人前となった1年半前に天ぷら屋「なかむら」として独立。店の場所は、かつて親方が営んでいた月の森。前田さんの思い出が詰まった場所に再び灯りがともった。親方との約束を果たした。

前田さんは「自分には魚しかなかった」と話す。その魚が親方との出会いにつながり、漁師や料理人の仲間が増えた。「本当に今の仲間は最高です。焼津の魚をきっかけにして地元の色んな企業さんに仕事が回り、まちが元気になる流れをつくりたいです」。どれだけ全国や世界で有名になっても、いつも心は焼津にある。

(間 淳/Jun Aida)

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