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#6 カフカが選べなかった「救いの道」──川島隆さんが読む、カフカ『変身』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#6 カフカが選べなかった「救いの道」──川島隆さんが読む、カフカ『変身』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

京都大学教授・川島隆さんによるカフカ『変身』読み解き#6

ある朝目を覚ますと、自分は巨大な「虫」になっていた――。

衝撃的な冒頭に始まるフランツ・カフカの小説『変身』は、彼の死後100年以上経つ現在まで、多くの人に読み継がれてきました。

『NHK「100分de名著」ブックス カフカ 変身』では、川島隆さんが、「自分を知るための鏡」や、個の弱さを知ることでつながりの大切さを考える「介護小説」として『変身』を読み直すことで、その魅力に迫ります。

2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします。(第6回/全6回)

第1章──しがらみから逃れたい より

カフカが選べなかった救いの道

 このように、「父親の存在の大きさ」とひとくちに言っても、カフカの場合はかなり複雑です。彼の中では父に対するコンプレックスが、自分に対する罪悪感にもつながっていたからです。

 カフカの父親は、貧しい生まれであったのに、商売で成功を収めてからは、自分の店で働く貧しい使用人をどなりつけるような場面もありました。そんな姿を日ごろから目にしていたカフカは、父への嫌悪感を募らせるとともに、その父親の庇護のもとで恵まれた生活を享受している自分に対しても、罪悪感を抱くようになっていきます。

 日本の作家でいえば、やはり夭折したのちに大きな名声を獲得した作家である、宮沢賢治とも精神構造の部分で似ているような気がしますね。賢治は質屋の父親のもとで育ったことで「貧しい農民から利息をとって、自分だけこんな贅沢な暮らしをしていていいのか」という罪悪感を抱きながら成長することになります。父親と仲が悪い分、妹と仲が良かった点も、肉食を嫌ってベジタリアンになった点も、生涯独身だった点も、作品の中に男女のロマンティックな恋愛話が登場しない点も同じです。

 ただし、恋愛や享楽的な生活すべてを拒絶し、聖人のような生き方を目指した宮沢賢治に対し、カフカは恋愛も経験し、それほどストイックな生活を送っていたわけではありませんでした。さらに精神の救いのありかという点では、二人は大きく異なっています。宮沢賢治の場合は、魂の救済を日蓮宗という宗教に求めましたが、カフカは宗教的なものには、ついに救いを見いだせなかったようです。

 カフカにとっての宗教的な救いの選択肢は、主に二つありました。ひとつは、キリスト教に救いを求めるという方法です。当時、キリスト教に改宗するユダヤ人は大勢いました。若いころから哲学に興味を持っていたカフカは、孤独のうちに神を求めたキルケゴールの著作にも親しんでいました。しかし、カフカは「自分にはキルケゴールの真似はできない」と考えました。

 もうひとつは、ユダヤ教的な神秘思想や民間信仰に自己のアイデンティティを見いだすという方法です。これは、当時のヨーロッパ社会を席巻したナショナリズムの流れとも密接に関係しています。つまり、ユダヤ人としての民族性に目覚めて、「ユダヤ人の魂」を再発見しよう、という方向ですね。彼はユダヤ教にもシオニズムにもかなり興味を抱いていましたが、残念ながらそこにも救いを見いだすことはできませんでした。

 ユダヤ教とキリスト教以外では、シュタイナー教育の提唱者として日本でも有名な神秘思想家ルドルフ・シュタイナーにも興味を持ったことがあり、その講演に足を運びました。しかし結局、カフカはどこにも救いの道を見いだすことはできなかった。だからこそ、彼は自分の作品の中で、主人公に希望を許さなかったのです。

思うように身体が動かない状況

 そろそろ『変身』の第一章に話題を戻しましょう。カフカの人となりや彼をとりまいていた環境を知った後に『変身』を読むと、主人公グレゴール・ザムザ(Samsa)と、作者カフカ(Kafka)は、名前の響きが似ているだけでなく、キャラクターや状況設定の部分においても共通点が多いことに改めて気づかされるはずです。

 カフカという人は、一面では優等生的で典型的なサラリーマン人生を歩みながら、学校も仕事も大の苦手だったと先に述べました。『変身』に描かれている状況は、まさにカフカの気持ちをそのまま代弁しているようにも読めます。実生活でのカフカは真面目で律儀な性格で、学校や会社を休んだりサボったりということはほとんどなかったものの、彼の心の中には「登校拒否(不登校)」や「出社拒否」の願望がくすぶり続けていたものと思われます。

 ここで考えてみたいのは、「登校拒否」「出社拒否」という状況です。それは、本人の明確な意志を持って「拒否」されるものでしょうか。どちらかというと、むしろ心や体が機能不全を起こすことにより、「行けない」という状況がつくられることのほうが多いでしょう。本当は「みんなと同じに学校に行きたい」という気持ちを人並み以上にもっていたり、「会社に行くべきだ」と頭では分かっていたりするにもかかわらず、どうしても外に出ることができない身体的・精神的状況に陥っているのが「拒否」の内実であることも少なくない、ということです。意識では「行かなくてはいけない」と分かっているのに、身体が言うことをきかない。なんとかベッドから起き上がろうとするものの、気持ちばかり焦って、身体が思うように動かない。

 第一章には、グレゴールが虫になった身体をもてあます、こんなシーンが出てきます。

 掛け布団をはねのけるのは、ごく簡単だった。ほんの少し腹を膨らませればよく、それでひとりでに落ちた。けれども、そこから先は難しかった。特に横幅が人並外れて広くなっていたから。身を起こすには腕や手が欲しいところだったが、腕や手の代わりに肢がたくさんあるだけだった。肢はそれぞれ、ひっきりなしにてんでバラバラな動きを見せており、しかも自分の思うようには動かせない。一本をちょっと曲げようとすると、最初にまずピンと伸びる。ついにこの肢を思いどおりにするのに成功したかと思うと、そのあいだにも他の肢はみんな、これで無罪放免になったと言わんばかりに、痛々しいほど浮かれて立ち騒いでいるといった具合だ。

 普通の人間がベッドから起き上がれない状況の描写よりも、こんなふうに虫に変身した人間というシチュエーションを読んだほうが、かえってリアルにつらさやもどかしさが伝わってきますね。主人公がどんな虫に変身したかはさておき、「私」が自分自身に違和感を覚えて身動きしにくいという状況そのものが、この設定からはくっきりと浮かび上がってきます。だから、そのような違和感や身動きしづらさを多少なりとも感じたことのある読者は、そこに自分自身の姿を見て取ることになるのです。

 そういう意味で、『変身』はまったくのフィクションや絵空事ではなく、おそらく誰にでも起こりうる「日常に潜む危険」を、読む人に再認識させる小説なのだと言えるでしょう。

本書『NHK「100分de名著」ブックス カフカ 変身』では、第2章以降「前に進む勇気が出ない」、「居場所がなくなるとき」、「弱さが教えてくれること」、特別章「ポスト・コロナの『変身』再読」という構成で、『変身』を読み解きます。

著者

川島隆(かわしま・たかし)
1976年京都府長岡京市生まれ。京都大学教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。専門はドイツ文学、ジェンダー論、メディア論。著書に『カフカの〈中国〉と同時代言説』(彩流社)、共著に『図説 アルプスの少女ハイジ』(河出書房新社)など。訳書にカフカ『変身』(角川文庫)、編集協力に多和田葉子編訳『ポケットマスターピース01 カフカ』(集英社文庫)がある。
※刊行時の情報です。

■『NHK「100分de名著」ブックス カフカ 変身 「弱さ」という巨大な力』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。

※本書は、「NHK100分de名著」において、2012年5月に放送された「カフカ 変身」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「ポスト・コロナの『変身』再読」、読書案内などを収載したものです。

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