なんかいいモン観たわ、映画「BAUS 映画から船出した映画館」
2025年3月21日(金)から公開される、映画『BAUS 映画から船出した映画館』を観た。
2014年に惜しまれながらも閉館した映画館「吉祥寺バウスシアター」を巡る90年の歴史を描いた作品で、サイレントからトーキーへ、戦前から戦後へと時流の荒波に翻弄(ほんろう)される経営一族にフォーカスした家族ドラマである。
あらすじを見る限り何だか地味な映画に思えるが、この映画は実際に地味だ。だが滋養は高く、「なんかいいモン観たわ」としみじみ感じさせる、ふくよかな余韻がある。そして根底には邦画のテンプレートから逸脱せんとする実験精神がしっかりと息づいている。
本作は、ともすればNHKの地域社会学ドキュメンタリーフィルムみたいになりかねない内容をうまく劇映画に仕立てているし、紋切り型の表現から脱するべくさまざまなチャレンジが見られる。
「日本映画あるある」からの逸脱
まず、無駄にエモくない。近年の日本映画の悪癖である、やたらと声を荒げて暴れたり、もしくは悲痛に泣き叫んだりして、悲哀を全面に押し出すようなエモ表現を、本作は実にエレガントに排している。泣かせようとすればいくらでも泣かせられる話なのに、演技や演出にそういったそぶりはほとんど見られないし、「戦争」を描きながらも悲惨や陰鬱に過剰な重心を置いていない。
このあたりのフラットな感覚は、岡本喜八の『肉弾』をほうふつとさせる。要するに、いい意味で淡々としているのだ。
いわゆるミニシアター系にありがちな、単なる雰囲気づくりのための美景ショットの挿入もないし、もったいぶるようなカットの間もない。ストイックにぜい肉を削ぎ落とし、いたってシンプルな筋書きをナチュラルに表現しようとする姿勢には好感が持てる。老けメイクやコンピューターグラフィックさえも排し、極力を俳優の身体表現に委ねている。それでいて、時にぶっきらぼうなほどにシーンを切断・接合する編集感覚は英断で、映画が平たんになり過ぎないようにうまく機能していたと思う。
劇中のタイム感についても同様で、スクラップノートを眺めながら過去を振り返る老人の現代パートを長回しワンカットで抑える一方、過去パートをカット多めでめちゃくちゃテンポ良く進行させるという演出は、現代と過去をうまく対比させながら、映画をとても観やすいものにしていた。
また細かいところではあるが、「嫌煙ヒステリー」がまん延する我が国において、宮崎駿の『風立ちぬ』ばりに喫煙シーンを大量に差し込んでいるのも好感が持てる。昭和を描いたドラマなのに喫煙シーンが皆無というのは、歴史改ざん以外の何物でもない。
音響への意識の高さ
そして、特筆すべきは音響に対する意識の高さだ。これまた日本映画の悪癖である、「ボソボソ喋ってたかと思ったら急に爆音になる」というような音響も、本作には見られない。監督である甫木元空はBialystocksというバンドで活躍する音楽家でもあるそうだが、なるほど納得、実に配慮の行き届いた音響っぷりである。
ドラマをけん引し、観客を巧みに引き込む音響への意識の高さは実際に映画そのものにも現れまくっていて、シンプルに楽器演奏や歌唱シーンがとても多いし、劇中で上映されるバーナード・シェイキー(ニール・ヤングの別名義)監督の『グリーンデイル』のミキシング場面で「ギターの中音域をもっとガツンと欲しい!」と言わせるあたりなどはモロにそうだ。
もはや巨匠の風格さえある大友良英が担当した、ギターノイズとビッグバンドサウンドから成る劇伴の配置もとても効果的だし、劇中で歌われる唱歌『早春賦』におけるトリプルギターのトラッドフォーク的なアレンジセンスも素晴らしい。
舞台的な演出と構成
本作のロケーションは異様なまでに少なく、大部分は吉祥寺バウスシアターの前々身である「井の頭会館」館内とその周囲のみで進行するが、井の頭会館が書き割りであることを全く隠さないカメラワークや、虫の鳴き声や空襲警報といった環境音で状況説明を行う演出から鑑みるに、とても舞台的だし、舞台的であるということにかなり自覚的だ。ロケーションの少なさから来る画の単調さを補うように衣装数はかなり多く、考証やクオリティーもしっかりしているが、これも舞台的な発想だと思う。
そして特に舞台的と感じさせるのは、そのセリフ回しだ。故・青山真治が長らく温めていた脚本を、青山の生徒であった監督が引き継いで完成させたものだそうだが、全編にわたって戯曲的なレトリックが施されており、単体で抜き出しても味わい深いフレーズが多い。
「いいか、それこそ明日、未来だ。勇気、大胆、反乱、速度!」とか、「あなたは正しかった。でも間違ってた」「後悔しかしてないよ。後悔のない人生なんてつまんないじゃない」「煙は光とともにある。人間が時間との戦いの中で見いだした一瞬を永遠に引き伸ばすのだ」とか、思わず書き起こしたくなるような良いセリフが詰まっている。
名言多数といっても過言ではあるまい。
峯田和伸の面白さ
前述した「エモ」の排除によって、少ない主要人物を演じる俳優たちは皆抑制した演技に終始しており、キャッチーな怪演や爆演というのは無いのだが、だからこそ俳優たちのポテンシャルをまざまざと感じさせるものになっている。『サンクチュアリ -聖域-』や『地面師たち』『聖☆おにいさん』など話題作で注目を浴び続けている染谷将太の演技プランは的確極まりないし、表情や仕草で感情を届ける夏帆の芸達者ぶりも素晴らしい。
だが、筆者がとりわけ印象に残ったのは峯田和伸である。映画初出演の『アイデン&ティティ』の頃より、その独特の佇まいから来る存在感はかなり異彩を放っていたが、本作の峯田はとてもうまくはまっている。三枚目然としたトボケた風貌やグルーヴのある発声など、まるで往年の西田敏行のようだった。
本作はやや娯楽性に欠けているが(だからこそ良いのだが)、峯田の「存在としての面白さ」がそのあたりをうまく担保していると思う。
アイデアとクオリティーがある
というワケでまぁツラツラと書いてきたが、見どころの多い作品だ。滋養が豊かでとても味わい深い。楽しいとか面白いとかでなく、シンプルに「良い」。吉祥寺バウスシアターに行ったこともなければ思い入れもないという人でも、全く問題ない。演出、演技、衣装、音楽、編集、あらゆるセクションにアイデアとクオリティーがある。
「地味だけど、確かな職人芸と実験精神が光る日本映画」が観たいという人には特におすすめする。
2025年3月21日(金)から全国公開
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