#3 『古事記』が描く、世界の始まり――三浦佑之さんが読む『古事記』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
三浦祐之さんによる、『古事記』読み解き
歴史は一つではない――。
1300年にもわたり受け継がれてきた日本最古の歴史書、『古事記』。その文学性は高く、稲羽のシロウサギやヤマトタケルなど、日本人に愛されてきた物語が数多く収められています。
『NHK「100分de名著」ブックス 古事記』では、三浦祐之さんが、世界と人間の誕生を記した神話や英雄列伝を読み解きながら、日本の成り立ちや文化的特性を考えます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第3回/全4回)
古事記の成立時期
わたしは「序」を別にすれば、古事記の本文は、和銅五年(七一二)より古く、七世紀後半にはできていたのではないかと考えています。現存最古の歴史書であることは間違いありません。
そう考える理由の一つは、古事記は「書き言葉」というより原初的な「語り」の要素を強くもっていることです。古事記も日本書紀も当時の公文書のスタンダードだった漢文で書かれていますが、日本書紀が完全な書き言葉(純粋な漢文)で記されているのに対して、古事記の漢文は倭文化しており、また、しばしば、音声による倭語が音仮名(いわゆる万葉仮名)のかたちで漢字を用いて表記されています。
たとえば、アマテラス[天照]とスサノヲ[須佐之男]の姉弟神が互いの持ちものを口に含んで噛(か)み砕き、子を生むシーンでは、「奴那登母々由良迩(ヌナトモモユラニ)」(玉の音も軽やかに、ユラユラと)とか、「佐賀美迩迦美而(サガミニカミテ)」(バリバリと噛みに噛んで)といった具合に、語りの音が漢文に翻訳されずそのままリズミカルに何度も繰り返されています。
また、古事記には、ヤチホコ(オホクニヌシ)の妻求めの歌のように、歌謡によるやりとりによってストーリーが展開されるところもあります。
先ほど、古事記には天皇を称賛するより、天皇に殺されたり敗れたりした者たちに共感しているところがあると述べましたが、そういった正史にはない部分が残っているのは、文字によって統御される以前の、「語り」によって伝えられてきたことによる影響が大きいと思われます。
使われている仮名遣いからも、古事記の成立時期の古さを証し立てることができます。
この国の古い日本語には「上代(じょうだい)特殊仮名遣い」と呼ばれる用法があり、現代の母音は「あいうえお」の五つですが、八世紀(奈良時代)以前には母音が八つありました。「あいうえお」の「い」「え」「お」の列には発音が二種類ずつある音節があって、「きひみけへめこそとのよろ」(濁音も含む)の十二音については当てる漢字を使い分けていました。たとえば、同じ「ひ」でも二つの違う発音があり、当てる音仮名(万葉仮名)を区別することで、発音の違う「日」と「火」を区別するといった具合です。ここまでは古事記も日本書紀も万葉集も共通しています。
ところが、調査によって、古事記ではさらに「も」に関しても使い分けがなされていることがわかっています。
母音は時が下るほど単純化されて数が少なくなりますから、「も」の音節を二種類の発音によって区別している古事記のほうが、日本書紀など八世紀の文献よりも数十年ほど古いと推測できるのです。
世界の始まり
古事記の神々の物語を見ていく前に、「神話とは何か」についてすこし考えたいと思います。
先に、古事記の大きな特徴は、神話の比率が大きいところにあると言いましたが、古代の人々にとって、神話はどのような存在だったのでしょうか。
古代における神話の存在は「われわれが、ここに、このようにある理由を説明するもの」、つまり人が生きるための根拠が神話によって明らかにされているのだと考えられます。われわれはなぜ生まれてきたのか、われわれの目の前にあるこの世界は、なぜこのような形になっているのかといったことを、神話は教えてくれているのです。
さあ、いよいよ古事記の神話に入りましょう。
古事記は天地創造の場面から始まります。もやのような霞のような何もない状態から最初の神々が生まれ出でた様子が、次のように描かれています。
天と地とがはじめて姿を見せた、その時に、高天(たかま)の原(はら)に成り出た神の御名(みな)は、アメノミナカヌシ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出た。この三柱(みはしら)のお方はみな独り神で、いつのまにやら、その身を隠してしまわれた。
できたばかりの下の国は、土とは言えぬほどにやわらかくて、椀(まり)に浮かんだ鹿猪(しし)の脂身(あぶらみ)のさまで、海月(くらげ)なしてゆらゆらと漂っていたが、その時に、泥の中から葦牙(あしかび)のごとくに萌えあがってきたものがあって、そのあらわれ出たお方を、ウマシアシカビヒコヂと言う。
天と地があらわれ、天(高天の原)にアメノミナカヌシ[天之御中主]、タカミムスヒ[高御産巣日]、カムムスヒ[神産巣日]という三柱の神が登場します。アメノミナカヌシは「天の真ん中にいる偉い神様」といった意味ですが、詳細はよくわかりません。というのも、古事記の最初に登場するいかにもありがたい名前の神様なのに、ここで登場したきり、二度とあらわれることがありません。
これについておもしろい解釈をしているのは、臨床心理学者で文化庁長官もなさった河合隼雄さんで、『中空構造日本の深層』という著書で、「真ん中が抜けてしまう」のが日本人の精神構造の特徴だとおっしゃっています。アメノミナカヌシも同様で、天の中心にいる大黒柱のような名前をもって誕生したのに、名目だけで役割ももたずに消えていく。
ここでアメノミナカヌシは、脇侍(きょうじ)のようなかたちで、タカミムスヒとカムムスヒをはべらせています。「ムスヒ」という名は「結ぶ」という意味ではなく、ムスヒのムスは「産(む)す」という意味をもち、「ヒ」は「神(神霊)」をあらわす接尾辞ですから、「ものを生み出す神」といった意味になります。この世の最初の時に、あらゆるものを生み出す神があらわれました。第2章で述べますが、タカミムスヒはアマテラスとかかわり深い高天の原の政治参謀のような神様で、カムムスヒはスサノヲやオホクニヌシとゆかり深い出雲の守り神のような存在です。
続いて地上には、どろどろした形にならぬ脂のような状態の中から、ウマシアシカビヒコヂ[宇摩志阿斯訶備比古遅]という葦の芽の男神と、アメノトコタチ[天之常立]が生まれます。
その後も次々に神が生まれ、その最後にイザナキ[伊耶那岐]、イザナミ[伊耶那美]という兄妹神が登場します。
国生みの神として知られるイザナキ、イザナミは、矛(ほこ)を使ってオノゴロ島を作り、その後二人は男女の交わりをなして、この国の島々を生んでいくのですが、最初は失敗もありました。その原因は女神のイザナミのほうから「なんてすてきな殿がたよ」と声をかけたからだといいます。再挑戦してイザナキのほうから「なんてすばらしいオトメよ」と声をかけ、今度は本州や四国、九州などの大地を次々に生むことに成功します。
かくのごとくに言い終えて、結び合われてお生みになった子が、アハヂノホノサワケの島。つぎにイヨノフタナの島が生まれた。この島は、体は一つでありながら面(おも)が四つもある。面ごとに名があって、伊予(いよ)の国はエヒメと言い、讃岐(さぬき)の国はイヒヨリヒコと言い、粟(あわ)の国はオホゲツヒメと言い、土左(とさ)の国はタケヨリワケと言う。
つぎに、オキノミツゴの島をお生みになった。またの名はアメノオシコロワケと言う。
つぎにツクシの島をお生みになったが、この島もまた、体が一つで面が四つもあった。面ごとに名があって、筑紫(つくし)の国はシラヒワケと言い、豊(とよ)の国はトヨヒワケと言い、肥(ひ)の国はタケヒムカヒトヨクジヒネワケと言い、熊曽(くまそ)の国はタケヒワケと言う。
つぎに、イキの島をお生みになった。またの名はアメノヒトツハシラ。つぎに、ツの島をお生みになった。またの名はアメノサデヨリヒメ。つぎに、サドの島をお生みになった。つぎに、オホヤマトトヨアキヅの島をお生みになった。またの名はアマツミソラトヨアキヅネワケ。(中略)
そうして、この八つの島をはじめにお生みになったことによって、ここを、オホヤシマの国と言う。
かくして、わたしたちがいま住んでいるオホヤシマ[大八島](日本列島)ができあがったのです。
現代の目から見れば、これらは子供っぽいおとぎ話かもしれません。しかし、太古の人々にとってはそうではありませんでした。いまのわたしたちがビッグバンによってこの宇宙の始まりを理解し、進化論によって人類の登場を理解し、脳科学によって物事の認識について理解するのと同じように、当時の人々は神話によってこの世のしくみについて「なるほど、そうなのか」と納得したのです。
イザナキ、イザナミはその後も風の神、海の神、山の神、木の神、土の神……と、この世の森羅万象をあらわす神々をどんどん生んでいきます。
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著者
三浦佑之(みうら・すけゆき)
千葉大学文学部教授を経て、立正大学文学部教授。千葉大学名誉教授。専門は古代文学・伝承文学。2003年、『口語訳 古事記』(文藝春秋)で第1回角川財団学芸賞受賞。著書に『古事記講義』『あらすじで読み解く 古事記神話』(以上、文藝春秋)、『古事記のひみつ 歴史書の成立』(吉川弘文館)、『古事記を読みなおす』(ちくま新書、第1回古代歴史文化みやざき賞受賞)、『村落伝承論(増補新版)』(青土社)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■「100分de名著ブックス 古事記」(三浦佑之著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『古事記』の引用は著者による現代語訳です。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2013年9月に放送された「古事記」のテキストを底本として大幅に加筆・修正のうえ再構成し、新たに読書案内を収載したものです。