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まるでツイッター文学? 800年後に残る「つぶやき」とは――小林一彦さんが読む、鴨長明『方丈記』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

まるでツイッター文学? 800年後に残る「つぶやき」とは――小林一彦さんが読む、鴨長明『方丈記』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

小林一彦さんによる、鴨長明『方丈記』の読み解き

「豊かさ」の価値を疑え!

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の有名な書き出しで始まる『方丈記』。世の中を達観した隠遁者の手による「清貧の文学」は、都の天変地異を記録した「災害の書」であり、また著者自身の人生を振り返る「自分史」でもありました。

『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明 方丈記』では、小林一彦さんによる『方丈記』の読み解きを通じて、日本人の美学=“無常”の思想を改めて考えます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全4回)

八百年目のツイート(はじめに)

『方丈記(ほうじょうき)』は、国語の教科書などにもしばしば登場する、多くの方におなじみの古典です。とくにその書き出しは有名です。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と又かくのごとし。

 流れる川の流れは絶え間ないが、しかし、その水はもとの水ではない。よどみの水面に浮かぶ泡は消えては生じて、そのままの姿で長くとどまっているというためしはない。世の中の人間と住まいも、これと同じなのだ──。読み手がぐっと惹きつけられる印象的な書き出しですが、ここだけが記憶に残っていて、その先を読んだ覚えがない、何が書かれているか知らない、という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

『方丈記』の最大の不幸は、あまりに有名な冒頭のために読んだ気になってしまい、その先が読まれていないことだといってもよいでしょう。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という冒頭のとおり、この世にあるものはすべて移ろいます。『方丈記』といえばこの書き出しによって「無常の文学」と思われがちですが、次を読み進めてみると、そこに書かれているのは哲学的な無常観ではなく、はかない世の中のありようを説明するために「世の不思議」、つまり平安京を襲った五つの災厄が、まるでルポルタージュのように生き生きと、迫真の描写でつづられているのに驚かされるのです。

『方丈記』はいわゆる普通の随筆ではありません。しばしば「三大随筆」の一つといわれ、清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』、兼好(けんこう)法師の『徒然草(つれづれぐさ)』と並び称されますが、はたして『方丈記』は随筆といえるのでしょうか。というのも、随筆というのは筆の向くまま気の向くまま、思いついたことを縷々(るる)つづっていくものです。ゆえに、『枕草子』も『徒然草』も、一つ一つの章段はたいへん短く、全体としてはそれらがたくさん集まったスクラップブックのようになっています。話題は天気のこと、食べ物のこと、人間関係のこと、世間の噂などバラエティに富み、登場する人物も、主人、恋人、友人、仕事仲間、歴史上の人物と多数にのぼります。

 しかし、『方丈記』はそのような性質の書物ではありません。基本的に一つのテーマについて最初から最後まで書き通した一話完結の書です。一話のみですから、ボリュームもありません。四百字詰めの原稿用紙に換算すれば、わずか二十枚と少しです。

 その『方丈記』のテーマとは何かというと、「自分」です。自分の経験、自分の暮らし方、自分の人生観、自分の考え方、自分の感じたことなど、徹頭徹尾一人語りの形で自分について書いた「自分史」なのです。そこが『枕草子』や『徒然草』とは決定的に違います。

 それは鴨長明(かものちょうめい)の「つぶやき」、あるいは「ぼやき」でもあり、現代の私たちから見れば、まるでツイッター文学のようです。

 こうした個人的な文章は、よほどの名著でないと後世に残ることはありません。昔は今のように出版社が商品化して売ってくれるわけではありませんし、宣伝してくれる人もいませんでした。読みたいという人が現れ、筆写してくれることで(コピーや印刷技術のない時代ですから筆写で流布されます)、世の中に伝わっていくのを期待するしかないのです。とくに長明の場合は、親族がバックアップしてくれたわけでもなく、有力者からの依頼により執筆したわけでもありません。「口コミ」がすべてということになりますが、その高いハードルを越えて生き残ったのですから、たいへん優れた作品だといえます。

 長明は若き日から文学への志が高く、多くの歌を詠(うた)い、歌集も編みました。地下(じげ)の芸術家集団では若い頃から頭角を現してはいたものの、中央の歌壇で脚光を浴びたのは老年になってからでした。しかしそれもほんの一瞬で、再び転落の人生が彼を待ち受けていました。後から見れば、そうしたどん底の人生が幸いしたように思います。『方丈記』につづられている生活スタイルは、長明が幾度となく挫折して辛酸(しんさん)をなめつくしたからこそ獲得されたものであり、また、長い人生の中で芸術的な感性がしっかり養われ、文章の鍛練も十二分に達せられていたからこそ、完成度の高い作品を書くことができたのではないでしょうか。

 さらに、末世(まっせ)といわれた無常観ただよう時代だったことも読み手に受け入れられやすい背景としてありました。『方丈記』を執筆した建暦(けんりゃく)二年(一二一二)三月は、長明にとっては「書くなら今しかない」という最大のチャンスでした。こうした機会を逃さずものにしたのは、芸術家としての鋭い勘があったからでしょう。『方丈記』はもっとも書かれるにふさわしい時期に、書き手の最高のモチベーションと、最高の文学的習熟をもって誕生したのです。

 興味深いことに、『方丈記』は、かつてない親近感をもって現代の人びとに読まれつつあるようです。長明の言葉は、今の時代にぴったりと添ったツイッターのような存在にとらえられるのかもしれません。そう見えるのは、現在の日本が、『方丈記』が執筆された当時に劣らぬ激変の時代にあり、多くの日本人が、先の見えない世の中でどう生きたらいいのかを探し求めているからでしょう。

 二〇一二年は、くしくも『方丈記』が書かれてからちょうど八百年にあたりました。これを機に長明をフォローする方が数多く出てきて、人びとの価値観が変わったら、日本の未来も変わるかもしれません。

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著者

小林一彦(こばやし・かずひこ)
京都産業大学文化学部教授。専攻は和歌文学・中世文学。和歌文学会委員、中世文学会委員、日本文学風土学会理事、方丈記800年委員会委員。教育・研究のかたわら、古典の魅力をわかりやすく伝える講演活動にも力を入れており、幅広い年代を対象に小学校の教室から大規模ホールまで、古典の語り部として各地を歩く。主な著書に『鴨長明と寂蓮』(日本歌人選049・笠間書院)、『続拾遺和歌集』(明治書院)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明「方丈記」』(小林一彦著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『方丈記』引用部分は大福光寺所蔵の『方丈記』を底本とし、カタカナをひらがなに改めました。また、適宜漢字をあてて読み仮名を付し、読みやすくしています。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年10月に放送された「鴨長明 方丈記」のテキストを底本として大幅に加筆し、新たに玄侑宗久氏の寄稿、読書案内、年譜などを収載したものです。

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