【高知グルメPro】江戸時代スイーツがいただける創業天保八年シナモンの香りただよう「澤餅茶屋」
一個食べて、気がついたら、二個目に手が伸びていた。
止まらない餅菓子である。
高知市内から東へ車で約50分、「手結山の餅」という呼び名で、高知の人たちからこよなく愛されている餅だという。
「10個1300円をください」というと、店員が木箱に収まった餅を取り出し、優しい手つきで包んでくれる。
次から次へとお客さんが来るが、最初から6個入りと10個入りができているのではなく、注文ごとに包む、その丁寧さがいい。
買ったら、すぐに広げて食べた。
白い餅饅頭を一個手に取る。
表面が赤ちゃんのほっぺたのような、つたない柔らかさがある。
一瞬、触ってはいけないと思う、禁断の柔らかさでもある。
力を入れて掴んじゃいけないよと、餅が言っている。
そうっと掴み、口に運ぶ。
粉と共にふんわりと唇ふれて、歯が抱かれ、あんこが出てくる。
餅だが粘らない。
つうっと伸びることもない。
モチモチしすぎずに、優しく、歯が沈んでいくだけである。
その食感がなんとも心地よく、噛むことを忘れてしまうほどであった。
そして12回ほど噛むと消えていく。
すると、ニッキ(シナモン)の香りがほんのりと漂いはじめる。
餅にシナモンの香りを混ぜているのであった。
かけがえのない食感、あんこの優しい甘み、ニッキのスパイシーさ、暖かく、粉っぽく、甘い香りが重なり合う、どこにもない餅菓子である。
そのはかなさに、しばしうっとりとなる。
だが本能は、再びはかなさを求めているのだろう。
気がつけば、手がもう一個をつかんでいた。
これが江戸時代から、多くの人を魅了してきた餅饅頭なのか。
創業は天保八年(1837年)であるから、もう188年も続けられていることになる。
12代将軍、徳川家慶の頃であり、土佐藩主は山内豊資であった。
天保の大飢饉の後、大塩平八郎の乱があった年である。
江戸時代のなかでも、もっとも苦難の時代に生まれたのだ。
これは高知の貴重な財産であろう。
参勤交代の街道が、元は山の中にあって、この餅を提供してきた。
この頃の様子が餅の包み紙に描かれている。
今でも杵と臼を使い、毎日二千個作るのだという。
ニッキの香りを餅に入れるのは珍しいが、昔は山に肉桂の木があって、それを利用していたという話だった。
餅は当時、希少なものだっただろう。
一部の武士や裕福な商人しか、白米を食べていなかった時代である。
ましてや餅などという手間のかかるものは、正月しか食べない超贅沢品であった。
それがここに来ればいただける。
農民にはほど遠く、庶民でもなかなか手が届かない食べたいものだったかもしれない。
店主の澤さんご夫婦にお聞きした。
餡に砂糖を入れたのは、戦後からだという。
それまでは小豆の甘さだけで食べていた、もっと素朴なものだったという。
それも食べてみたい。
一度でいいから復活生産してくれないかなぁ。
ちなみに、作って半日たった餅を食べてみたが、少し硬くなっていた。
この餅は、店に行って、その場で食べるのが、最も美味しく食べられる方法である。
もしくは、大至急、家か宿に戻って食べる。
どうしてもすぐに食べられなかったり、余ってしまった場合は、一個ずつラップに包んで冷凍する。
食べる3時間前に冷凍庫から出し、自然解凍して元に戻すのがベストだということである。
あるいは冷凍のまま、オーブントースターか魚焼きグリルで焼くのも、ありだという。
そうすれば、外の餅はカリッと香ばしく、中のあんこはホクホクして熱い、別の魅力を持った餅になるだろうな。
ああ、それも捨てがたい。
店舗情報
澤餅茶屋(さわもちちゃや)
住所:高知県香南市夜須町手結1468
電話:0887-55-2948
定休日:火曜日・水曜日
営業時間:8:00~15:00(お餅が無くなり次第終了)