手島優「全部嘘で苦しかった」根はお嬢様の意外な素顔。年齢詐称/過激グラビア/毒舌キャラなど。
スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深掘りインタビューを行っています。
今回は、グラビアアイドルやタレントとして活躍し、現在は育児と両立しながら活動の幅を広げている手島優さんに、芸能人生を通じて見つけた「自分らしいはたらき方」についてお話を伺いました。
求められるキャラクターを演じ続けた日々から、「等身大の自分」で仕事に向き合うはたらき方へ。光も影も包み隠さず語る手島さんの体験談には、幸せにはたらくためのヒントがつまっていました。
※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画一部を抜粋・編集してお届けします
「人じゃない扱い」から「女優」を目指して
手島さんは幼いころから芸能界にあこがれていました。
「3歳ぐらいのころからテレビに出たいと思っていたんです。どうすればいいんだろうって考えた結果、芸能人になるしかないなと(笑)。ドラマを見るのがすごく好きだったので、女優さんになりたいと思っていました」
転機は10歳の時に訪れます。友人から劇団のオーディションに誘われた手島さんは、「これはいいチャンス」と挑戦することを決意。見事合格を果たし、毎週日曜日、地元である栃木から東京まで通う生活が始まりました。
劇団在籍中の主な仕事は、ドラマやCMのエキストラ。手島さんは当時の厳しい状況をこう振り返ります。
「始発で撮影現場に行くんですけど、待機場所なんかないから外でずっと待っていて。雨が降っても傘なんか誰も持ってきてくれないし、ずぶ濡れになると『何濡れてんだよ!』『走って乾かしてこい!』みたいな。とにかく“人じゃない扱い”を受けていましたね」
一方で、主演女優たちへの手厚い待遇を目の当たりにして、「羨ましい」「あそこに行きたい」という想いが強くなった手島さん。メラメラと闘志を燃やしていったと言います。
約6年にわたるエキストラ生活を経て、手島さんは高校卒業後に上京を決意。短大に通いながら、個人事務所に所属し、本格的な芸能活動をスタートさせます。
過激な撮影も、「嘘」を演じるのも、すべては夢のため
上京後、手島さんを待っていたのは、思い描いていた女優への道とはまったく異なる現実でした。事務所の社長から「女優になりたいなら、まずグラビアで名前を売れ」と言われ、そこから手島さんの苦悩が始まります。
「『あれ?これって女優さんと違うくない?』と、葛藤はすごくありました。それでも『売れたい』という気持ちのほうが強くて、そんなこと言っていられないなって」
さらに、明るく可愛らしいグラビアを思い描いていた手島さんに求められたのは、「不倫旅行」や「キャバ嬢風」といった過激な設定。「撮影で太陽を浴びる機会なんてなかった」と当時を振り返ります。
「廃墟とか、割れたガラスの上とか、虫がいっぱいいる沼地での撮影とか、そういう仕事ばかりで。私はここまでしないと生き残れないんだなって、傷つきながら作品に挑んでいました」
手島さんはあきらめることなく、「ほかのグラビアアイドルと被らないように」と新しい撮影方法を自ら提案。過激なポーズやアングルの工夫など、印象に残る作品づくりに挑戦し続けました。
その結果、バラエティ番組での仕事が増え、手島さんは「毒舌キャラ」を確立。しかし、それは本来の性格とはかけ離れたものでした。
「全部、嘘。つくられたものです。だから両親が『あんなキツイこと言うの?大丈夫?』って、すごくびっくりして。『大丈夫じゃないよ』って思いながらも、それをやらないと私はこの仕事に就けないんだと演じ続けていました」
本来の穏やかな性格を抑え込んで、手島優という“キャラクター”を演じ続ける日々。「このセリフを言わないとお前にもう次はないぞ」「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ」。そんな言葉を周囲のスタッフから何度も投げかけられ、番組出演のたびに精神的な重圧と戦う日々が続きました。ついに仕事の前後には身体にじんましんが出るほどに。
「仕事が終わった後に『あれ?』って思うことが多くて。頑張れば頑張るほど、違う方向に進んでいるんじゃないかなと不安で……。でも、『この仕事も将来のやりたいことのためだ』って自分に言い聞かせていました」
手島さんは、与えられた仕事に全力で向き合い続けます。その努力は実を結び、テレビ出演は増え続け、全盛期には休む暇もないほどの人気タレントとなりました。
「腐りきった」先で知った、本当に大切なものとは?
順調に見えた手島さんのキャリアですが、35歳ごろを境に仕事量が減少。その時期の自分自身のことを、手島さんは「腐っていた」と表現します。
「人のせいにしていたんですよ、仕事がなくなることを。マネージャーさんが売り込んでくれないだとか、周りの人に見る目がないだとか」
暴飲暴食で体型も崩れ、収入も減っていく中で、手島さんは初めて本気で自分と向き合うことになります。
「腐っている暇なんて、私にはないなって。自分がちゃんと周囲の期待に応えていなかったから今こんな状況になっているんだと、1回腐りきったから気付けた」
特に大きな気付きは、スタッフとの関係性についてでした。全盛期、仕事の現場以外での付き合いを避けがちだった手島さん。
「『ご飯行きましょうよ』って誘われても『いや、私お酒飲めないんで』って断っていました。今思えば本当に感じ悪かったと思います。もうちょっと人付き合いを大事にしておけばよかったな」
かつてエキストラ時代に自身が経験した苦労を忘れ、当時はスタッフに対して上から目線になっていたとも言います。
「『人気タレントになれたし、私』みたいな感じで、いつの間にか驕りが出ていました。本当はもっと謙虚でいなきゃいけなかったのに」
この経験をきっかけに、手島さんの中に大きな変化が起こりました。
「やっぱり人は1人で生きてないんだなって。相手の立場に立って考えるとか、感謝の気持ちとか、そういう当たり前のことが当時の私にはまったく足りていなかった。そこからは、自分よりも相手のことを先に考えようって意識するようになりました」
実年齢公表、結婚、出産。3つの決断で見えた「等身大の幸せ」
時を経て、手島さんは少しずつ“本当の自分”を見せていくようになります。その一つが、30歳での実年齢の公表でした。デビュー当時、「DVDを出すには10代じゃないと」と言われ2歳サバを読んでいた手島さん。ファンにも誠実でいたいという想いから、自ら年齢を明かす決意をします。
「少しずつファンの方がついてきてくださる中で、嘘をつき続けることが心苦しくなって。噂で広まるより、私から正直に話したほうがファンの方も受け入れてくださるんじゃないかと。みなさんが離れていくのは怖かったけど、それでも自分から話そうと決めました」
さらに、手島さんの人生に新たな転機が訪れます。結婚と出産です。
仕事が思うようにできず、「このまま1人で生きていくのかな」と将来について考えるようになったコロナ禍。手島さんは、現在のパートナーと出会います。
そして結婚後、手島さんの仕事への向き合い方は大きく変化したのです。
「独身の時は自分のためだけの仕事だったので、NGなしで引き受けていました。でも、結婚してからは私だけじゃなくて、相手のこと、相手のご家族のことも考えて、お仕事を選ばせていただくようになりましたね」
現在のはたらき方について、手島さんは穏やかな表情でこう語ります。
「今は楽しいし、幸せです。人として深みが出てきた、という自信がついたんでしょうね。いろいろな経験をして生きてきたぶん、自信を持って本音で話せるようになりました」
「これまでは仕事量も収入も浮き沈みが激しかったんですが、これからは仕事も家庭も含めて、安定感のある生活を築いていきたいですね。まだできていないことはたくさんありますが、その理想に向かって一歩ずつ進んでいきたいと思います」
モヤモヤは「本当の自分」からのメッセージ
最後に、手島さんからはたらく人たちへのアドバイスをいただきました。
まず大切なのは、自分の心に正直になること。
「自分らしく楽しくはたらくには、モヤモヤしたり『あれ?』って思ったりした時に、一度立ち止まって、自分に『大丈夫ですか?』って問いかけることが必要なんじゃないかな。心が悲鳴を上げていることにも気付けるから」
そして最後にこう締めくくりました。
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「自分を大切にするのはもちろん大事。でも、その倍くらい周りの人を大切にすること。やっぱり人は周りの人に生かされているから、常に感謝しながら謙虚でいることが大切だなって。そのほうが絶対に生きやすいし、仕事もしやすくなる気がします」
※今回お伝えし切れなかったフルバージョンの動画はYouTube『スタジオパーソル』にて公開中
(文:間宮まさかず 編集:おのまり )