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「すべては縁」SPITZ、Mr.Children、The Birthdayら出演、『20/25グランドチャウデーション』主催・PLUMCHOWDER梅木康利が振り返る軌跡

SPICE

PLUMCHOWDER 梅木康利

2024年12月17日(火)、12月18日(水)に大阪城ホールで開催される『PLUMCHOWDER 20th ANNIVERSARY SPECIAL 20/25グランドチャウデーション』。同イベントは、大阪を拠点に、コンサートプロモーションやイベント企画制作を行なってきたPLUMCHOWDERの誕生25周年、会社設立20周年を記念したものだ。多くのアーティストの全国ツアーを手掛け、SPITZの主催イベント『ロックロックこんにちは!』や、奥田民生らが音楽の枠を超えた表情で魅せる『仮面チャウダー』シリーズ、『そこから奏でまSHOW!』などのライブイベントを企画してきた。そんな独創性豊かなステージをプロデュースする、PLUMCHOWDERの・梅木康利代表に、SPICE編集部が約2時間にわたりインタビュー。18歳から始まったコンサート運営の仕事から、現在55歳に至るまでの濃厚な半生をとくとご覧あれ。

『ロックロックこんにちは!』2003年開催時

●イベンターという言葉には抵抗があった

ーーそもそも、梅木さんが音楽に目覚めたキッカケは何だったんでしょうか。

まず思いつくのはTHE STREET SLIDERS。あとは、カセットテープのCMソングだったTHE MODSの「激しい雨が」が、中学か高校かで初めて買ったレコードかなあ。当時(1980年代)は、松田優作のドラマ『探偵物語』も好きでしたし。『野獣死すべし』という大人向けの映画とかが主流だった中、TVドラマ『探偵物語』はコミカルで。ドラマに出てくる同じ型のベスパを、頑張って働いて中古で買ったりとかしてね。

ーーご自身でも音楽をやっていた時期があったと。

下手くそながらもドラムを叩いていたんですけど、部活は砲丸投げをやっていたので、腱鞘炎ぽくなって。5曲以上は突っ張って叩けないようになってね。

ーーそこからは、音楽を演奏する側から支える側の世界へ。

18歳から勤めたのがイベンターの会社。東京にいいバンドがいると誘ってもらって、渋谷La.mamaへまだデビュー前のMr.Childrenを観に行ったり。

ーー当時の梅木さんは1~2年目だったと思うんですが、そういう若手スタッフがこれからのバンドをキャッチするというのは普通だったんですか?

いや、全然。たまたまで。そのときは中国地方にいてそのエリアが主軸で、ユニコーンとJUN SKY WALKER(S)​などの現場担当をしてました。中でもジュンスカは、すごく好きでこの業界に入って担当したかったんですが、なかなか難しくて……。しかし京都・神戸エリアだけはそのときの会社で現場担当やらせてもらえることになって。その後、転勤になり中国、四国、関西近郊エリアの担当に。

『ロックロックこんにちは! 10th ANNIVERSARY SPECIAL Ver.パイレーツ・オブ・10リビアン』 (2006年9月2日@泉大津フェニックス)

ーーSPITZの主催イベント『ロックロックこんにちは!』も、1997年に梅木さんが発端になって始まったイベントです。

僕自身は、実は「ロック」という言葉があまり好きではなくて。でもなぜSPITZのイベントに『ロックロックこんにちは!』と付けたかというと、SPITZには「ロック」よりも「ロックロック」の方がしっくりきたからです。とはいえ、スタートしたのはMr.Childrenの活動休止中で、しばらくして落ち着いたときに、僕が「今、時間ある?」とジェンさん(鈴木英哉(Dr))とナカケーさん(中川敬輔(Ba))を誘って、リハ中だったSPITZに会いに行ったことから始まったイベントなんですけどね(笑)。

ーーそれがもう今年で26回目。梅木さんの核となるイベントですよね。

コンサートプロモーターは、ダメな自分でもライブが好きだったから何とかやっていけて。若い頃は少ない給料で、アホやからパチンコで増やしたら何とかなるわと思って全部なくなったり(笑)。そういうアホな時代、アホがアホでもやっていけるような……アホアホ言うたらアカンね(笑)。でも今は、バイタリティがあって勢いがあった時代とは違う、今は好きだけじゃダメで、調べればすぐ情報が手に入るから予測したり勉強していかないとね。

『ロックロックこんにちは!Ver.26 -tsumu-』(2024年9月4日・5日@Zepp Namba(OSAKA))

ーーこの職業を続けてこられた原動力は?

東京のプロダクションとかにお誘いいただいたこともあったし、その方が豊かな暮らしができてたとも思うけど。でもそうじゃなくて追求し自分が納得したかったからなのかな。そもそも、イベンターって何? と。調べたら、英語でも何も出てこない。どうやら「イベント屋」という言葉のなまりみたいでね。で、ある日、ちょっと有名な方を「駅まで迎えに行ってくれ」と言われて。仕事だから迎えに行くのはいいけど僕もまだ愚かな新参者やったから、荷物を沢山持ってるのに「ちょっとカバン持って」と言われて、何で「自分で持たれへんねんやろ?」と。ついに「何で一人で来られへんねんやろ?」とまで思って。

ーー素朴な疑問(笑)。

当時の会社の先輩に聞いても「当たり前やろ!」としか言ってくれないし。自分なりに答えを追求していったんですよ。僕らは興行を行うわけで、相手は顔を刺す(人目につく)人やし、コンサートを無事に行うためにはちゃんとホテルまで連れて行って、食事も案内して。で、会場まで送り迎えをしなかったら、万が一事故に遭ったとき、コンサートが中止になったらどうするのか……そういうことやなと思った。でも当時はイベンターという言葉には抵抗があって。当時からレコード会社の方々は楽曲を宣伝するからプロモーターと呼ばれていて、なぜライブやコンサートを宣伝もしてるのにイベンターなんだろう? と思って、インタビューを受ける機会があっても肩書きはコンサートプロモーターにしてもらってた。今の方がイベントコンテンツを作ってるからイベント屋、イベンターかもね。そこから何十年か経って、ようやくここ最近コンサートプロモーターという言葉が広まってきた気がする。「猿の芋洗い」と一緒で、どこかに僕と同じ考えの人がいたんじゃないかなあ? それが積み重なって今になって。

ーー確かに、イベンターとコンサートプロモーターは違うかもしれないですね。

正直、イベンターという言葉は嫌いだし、言われるのも嫌ですけど、基本軸がそこにあったから。辞めようと思ったけど、最初の頃は(イベンターを)追求するためにずっとやってたかも。でもそのおかげで、未熟なりに一生懸命進んでたら縁をたくさんいただいて気付けば今に至る。今はイベントを作るおっさんやからね。今の方がある意味イベンターかな。

●社員第一号はビンテージ・ギター

PLUMCHOWDER 梅木康利

ーーそこから前職を辞めたのはいくつぐらいですか?

24〜25歳ぐらい。『ロックロック』の2回目(1998年)までは前職だったかな。収支も大事なのは分かってはいたけど、エンターテインメント性に欠けて面白いと思えるものができない状況になるなら、まぁ辞めてバーで働いた方がいろんな人達の話も聞けるし、向いてるかもとか思って。で、担当アーティストへも現場があるごとにちゃんと退職の話をしていたんです。でもSPITZのメンバー、当時のマネージャー(現社長)やいろんなミュージシャンが「会社とやってるわけじゃなくて、自分と仕事してるから」と話してくれて。じゃあとりあえず自分は自分なりにやっていけることを……と思って、SPITZの周りの仕事を続けたり、期間限定でSPARKS GO GOの現場マネージャー業をやったりしていました。

ーー紆余曲折があって。

35歳ぐらい、1999年ぐらいにPLUMCHOWDERを会社設立して。それまではお金もなくてオフィスも間借りしてたぐらい。正直その辺の記憶は毎日必死でぼや〜としてるから、もしかしたら今回のイベント名も『20/25』じゃなくて『20/27』かも。今、こうやっていられるのはキョードー大阪の橋本(福治、前代表取締役で2023年逝去)さんのおかげもあります。前職を辞めたときも僕にはできない経営のあり方をご教授いただいたり、「あなたはキョードー大阪に入るんです!」と言ってくれたり(笑)。当時はよくご飯に誘っていただいてたので、僕みたいなチンピラでも一目置いてくれてたのかなとも思えたり……。最後に会ったのは亡くなった2023年かな。僕のことはもう覚えてないかなと思ったら橋本さんから「あなた! 挨拶がありませんね!」と言ってもらって(笑)。亡くなったとき、遺影の置かれた部屋へ案内してもらったら、展示場みたいに何年にもわたった橋本さんの写真がたくさんあって、人生なげうって仕事に捧げた方なんだなあと感じてね。怖かったり、理不尽だとも思ったりしたけどカリスマ性があってすごい人だったなあと……。

ーーそうなんですね。何と素敵なつながりでしょうか。

僕は会社を大きくするつもりはないけどね。創るなら面白みと向上心がないと。僕の頭の中のアイデアをかたちにしてくれる人……僕には(取材時にお立ち会いいただいた)あそこにいる(PLUMCHOWDERの各イベントの映像やグッズなど、多方面の制作を担うS.D.C-iの)中居くんがいてくれるから。そういう人らに恵まれているのも縁かなと。

社員第一号!?ギブソンの59年、レスポールジュニア ダブルカッタウェイ チェリーバースト

ーーちなみにPLUMCHOWDERが発足して初めての仕事は覚えておられますか?

最初の仕事は、SPITZの「メモリーズ」のレコーディングでロサンゼルスやマイアミに行ったり。Mr.Childrenの海外レコーディング同行もあったり。ちなみに最初の社員は、ギブソンの59年、レスポールジュニア ダブルカッタウェイ チェリーバーストというビンテージ・ギターです。前職の退職時に当時25万8000円しか貯金がないのに、何を血迷ったか……今のオリックス劇場の近くにあった楽器屋で25万円で買ったやつ。「このギター、良い音が鳴るからレコーディングで貸してよ」と言ってくれる人たちがいて、レンタル料をいただいたり。Mr.Childrenの当時のサポートギター河口さんにもステージで使ってもらったり。

ーー立派な社員第一号!

今から思えば、みんなの優しさやね。前職を辞めたばかりで大変だろうという心遣いだったと思います。小さい誇りだけは持ってたから、(お金を貸すと言われても)何かしてもらっても断ってたと思いますし。だから自分ももっと違うかたちで人のこと考えねばダメだなと。

●2022年の脳出血発症から「生かされた」自分

ーーそれにしても、梅木さんのイベントはZepp Namba(OSAKA)が会場となることが多いですね。どれだけ規模を広げても、ライブハウスを大事にされているのかなと。

Zeppは、ライブハウスと言うよりもスタンディングができるホールみたいなもんかな。スタンディングも座りもできるし、いろんな空間が作りやすく、それに歴代のスタッフの方々がすごく良くしてくれてね。かつての総支配人やった森さんという方がいて。「梅ちゃん、今回は何やるの?」と突然聞かれて、何も考えてなかったけど、何かやらねばという状況に(笑)。それで始まったのが『そこから奏でまSHOW!』です。

ーー斬新なイベントの始まり方(笑)!

色々Zepp​さんにはご尽力いただいてイベント作りのおしりを叩かれたような(笑)! 僕の作るコンテンツを楽しみにしていただいてた森さんも大病されて今年亡くなられて。いろんな人が亡くなっていって、その人達のおかげやなと思うと同時に、僕は生きていていいのかなと。才能あるミュージシャンも亡くなったりするわけで。

ーー梅木さんも、一時は大変な病気だったところを今の状態まで回復されて。

2022年に脳出血になって。会社で会議中に転がって立てなくなってしまったんです。死ぬと思ったけど、意外とドライでしたわ。残した仕事のこととか、倉庫の片付けのこととか、意識が薄れる中どうしようかと冷静に考えてました(笑)。奇跡的に助かって、生かされたのだと周りの人から言われ。「リハビリもしんどかったでしょ」と言われるけど、元に戻りたかったから、全然しんどくなかった。もっとやってくれと思ってたくらいで。そこから1年。人には言ってなかったけど、今思えば「朝起きたら死んでるんちゃうか?」と思う毎日が続き、自信もなくなっていって。毎日寝るのが恐怖でしかなかったような。でもそこで縁があったいろんな人たちや家族と話していくうちに、それがなかったら今はないくらいに思って。人よりも生かしてもらえてるけど、自分は何を差し出せるんやろうかと思ったときに、お酒もタバコもやらないと決めて。元々は毎日打ち上げ生活やったぐらいやしね。お酒を飲まずに打ち上げにいることで、見たことのない景色を体感できた。止めてからは、飲まないのに酔っ払った僕の話に付き合ってくれた人たちに真っ先に謝りました(笑)! と同時に、もっと自分が強くならねばとも思いましたね。

●アニバーサリーを飾る縁の深いアーティストたち

ーーここからは、改めて12月17日(火)、18日(水)に迫った『PLUMCHOWDER 20th ANNIVERSARY SPECIAL 20/25 グランドチャウデーション』について伺っていきたく思います。初日の『チャウデーションDAY』出演者の方について教えてください。SPITZをはじめ、言わずもがなな梅木さんらしい顔ぶれですが。The Birthdayはどうですか?

クハラ(カズユキ(Dr))さんをはじめ、The Birthdayのスタッフやクハラさんが、元々SPITZと対バンしようよと飲んだ席で話をしてたのをふと思い出して。ライブ的には水と油みたいなイメージかもしれないけど、実際はそんなことなくて。良いものは良いので両者どこかで乳化する企画を考えてはいたんですけどね……。でも機会がないまま、メンバーがそろうことが叶わなくなって。けど、自分が企画してやれるこの機会に出てほしいなと。feat.ボーカルには僕と縁があってThe Birthdayに物語を持っている人にと思って、まず中野ミホさんを。2021年に活動休止したDrop'sのギターボーカルなんですが、ある日Drop'sのライブを観にいった新宿で、その場にThe Birthdayのチバ(ユウスケ)ちゃんも一緒にいて。チバちゃんがDrop'sを気に入ったことから、同じ事務所に所属することになったと聞いてたしね。僕も彼女の歌声が好きで、手伝ったりすることもあって。

ーー他のボーカル陣には、PUFFYとTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉(Vo.Gt)さんが出演になります。

PUFFYの二人はデビュー当時から付き合いがあって、チバユウスケ作詞・作曲の「誰かが」をリリースしている縁もあり、今回出てくれることに。特に大貫亜美さんは、昔から「顔が良かったら全部男前なのに(笑)」なんて冗談を言われたりして、ちょっと変化球な褒め方が嬉しかったり(笑)。吉井さんもいろいろエピソードがあって。ある日、急にLINEがきて「20時です、どうぞ」って。何のことかと言うと、単に「20時に飯行きましょう」ってことなんですが(笑)。空いてたので「了解です、どーぞ」とトランシーバー風に返して行きつけの店に集合したり、一緒に釣りしたり、あんまり仕事とは直接的には関係ないときからのお付き合いで。今回、吉井さんに歌ってもらいたいことを伝えたら、「ツアー中ですよ!? イエモンの」とかブツブツ言いながらも、きっちり綿密にフルスイングしてくれる人なんです。

ーーウルフルズやOKAMOTO'Sとはどういったご縁で?

ウルフルズは昔からなんとなく関西出身と言うこともあり、ちょくちょくイベントや街中で偶然会ったりする感じでした。2009年の活動休止前後のタイミングからは特に、トータス松本(Vo.Gt)さんが「『仮面チャウダー』シリーズに出るでっ!」と言ってくれて、出ていただいたご縁があり。ボーカル勢ってあんまり集まることがないイメージなんですが、奥田民生さんの周りをはじめ、彼らが仲良くなる時期にちょうど自分がジョイント役になれたような気もします。その辺りはよくイベントに出てもらったりして。民生さんは今回どうしてもスケジュールが合わなくて残念やったけど……。OKAMOTO'S​​は、昔『ロックロックこんにちは!』に出てもらったときに、大きなアクシデントがあって。幕間で曲を作って編集して終演後のエンディングで流すっていう試みをしたけど、機材トラブルで流せなくて。迷惑かけてしまったことがあったんです。他にはハマ(・オカモト(Ba))くんひとりで特殊な演出のイベントにも出演してくれたり。彼は本当に場を任せられる人間で、舞台上で時間を伸ばさなきゃならないときは袖から目配せするだけで自然と埋めてくれたり、ベースが上手なのはもちろんのことで味があって深みも感じるし。年の差関係なく脱帽ですわ! 今回もこのイベントのオファーをしたときに、事務所の方からハマくんが「何でもやりますよ」と言ってますと連絡をもらって、いろんなことをしてもらったので、ぜひOKAMOTO'Sとしてお願いしたいなと。

『仮面チャウダー チャウ大』シリーズ開催時の舞台セット

ーー2日目の『グランデーションDAY』では、Mr.Childrenをはじめ、これまた多彩です。

岡崎体育くんは『そこから奏でまSHOW!』に出てくれた縁もあり。その当時は会ったことがなかったけど体育くんのパフォーマンスの素晴らしさは聞いていて、本番は幅広いタッチのライブパフォーマンスでやっぱりさすがだなと。GOING UNDER GROUNDは松本素生(Vo.Gt)くんが高校を留年したせいでデビューが遅れて「アホか!」となった頃からの付き合い。10歳下やけど、ある日突然「梅ちゃん」と呼び始めて(笑)。アイツ、僕のことを「親友や」と言ってくれて。ありがたいことですよね。今経験が積み上がり、バンドとしていいライブをやって再注目され始めてるところで、改めていろんな方に観てもらいたい。僕の中では過ごした時間が多い存在です。

ーーコロナ禍を経て勢いの増してきたズーカラデルも出演します。

初めて観たときは「久々に出てきたな!」と思ったバンド。札幌のCOLONYというライブハウスに出演してるときから見ていて。その頃、自分とミュージシャンとの関わり方を模索していた時期で、事務所が決まるまでは接触しないと決めていたんですけど、偶然にもSPITZの事務所に決まったんですよね。SPITZの事務所だからといって僕が関わるわけではないのですが、彼らはいろんな意味で新しい肌感のあるバンドだなと。特に最近ぐんぐん進化しているのでそういうアーティストの役に立つ、1滴の目薬ぐらいにはなれたらなと思っていて。この節目には必要なバンド。いろんな方々に観てもらいたいなと。

ーー真心ブラザーズについてはどうでしょうか。

人生的にも多彩な角度から色々と教えていただいた存在。ストラトキャスターというギターを弾いたら、僕は桜井(秀俊(Gt.Vo))さんがトップクラスだと思う。うまく鳴らすのが難しいギターだと思うので。あと、本当にYO-KING(Vo.Gt)さんはしみじみと歌がうまいし、一緒にいると物事のユニークな考え方を教わる感じがする。二人そろうと阿吽の呼吸、LIVE活動に向かう感覚がすごくカッコ良い!

ーー間違いないです! そして、2日間ともに出演するのが又吉直樹(ピース)さん。

音楽を、ライブをすごく好きな、ほっこりとした空間でイベントを包み込めるミステリーかつ魅力的な人ですね。2023年の『そこから奏でまSHOW!』に出てもらって、とても音楽が好きな人だなと思ったので、周年にもぜひ生の又吉ワールドを体感してほしくて出演していただくことに。

奥田民生と又吉直樹が出演した『そこから奏でまSHOW! Ver. 奥田民生音(TAMIONE)』(2023年2月11日@Zepp Namba(OSAKA))

●若いスタッフの笑顔が最終的にはお客さんに伝わる

僕はバックヤードにもこだわってるんやけど、今回はずっと構想していた「手動販売はしない機」を造れるかなと思ってて。

ーー!?

キッカケはSPITZの撮影で帯同したイタリア。トランジットの空港ロビーに行ったら、ピザの自動販売機があって。お金を入れたらずっとこねたり成形したり。全然出てこなくて(笑)。でもそれがすごいおいしくって。食べないと言ってたメンバーも、ちょうだいちょうだいと言ってきたぐらい。それをもとに、デカい自動販売機風の箱に人が入って、ボタンを押したら人が作ったものを出す、楽屋なので販売はしないため「手動販売はしない機」をやるつもりです。

バックヤードに設置された、手動販売はしない機

ーーそういったこだわりはどこから?

裏方で働くと食事をとる暇のない現場も多くて。特に若いスタッフは気を遣ってしまって食事することもままならなく、結局辞める人が多いんです。でも遠慮してた子らも、上のスタッフとかが勧めてくれたら「おいしい」と喜んでくれる。そういう子らが良い笑顔になってくれたら、みんなに伝わっていく。そしてスタッフから演者に伝わって、演者のいいパフォーマンスにつながって、お客さんに伝わると思ってるんですよ。遠い図式のことですが、その潤滑油になればとね。

ーーイベントにおいてもですが、業界全体の未来も育てておられる。

そんな大それたものではないけど自分はいずれ引退するし、死んでいくもんやし、その子らが次を作っていくから。だから自分があんまりガツガツ囲ってやってたらだめだし、もっと違うかたちで派生させていけたら。面白いと思ったら本気で馬鹿げたことをフルスイングしたい。そうしたら三振するかもしれないけどホームランになるときもあるから。……そういうことには自信を持ってるんやけど、自分には自信がない。何でやろ(笑)。面倒臭そうに仕事するヤツもおるけど、最終的に笑顔になってたらよろしい。

JUN SKY WALKER(S)の宮田和弥(Vo)が乗ってたミニクーパー

ーーまた、今回はとある車をモチーフにしたキービジュアルが出てくると。

前職のとき、それこそまだ18〜19歳ぐらいのときかな。担当してたJUN SKY WALKER(S)の宮田和弥(Vo)さんが乗ってたかわいらしいミニクーパーを、僕が買わないかって話が出て。何だかんだと買うことになって……。そこから35年手放さず数々のミュージシャンともいろんな物語を経て。そのミニクーパーをイメージして、今回の『グランドチャウデーション』のキービジュアルをチームの中居くんが発案し作ってくれて。

ーーJUN SKY WALKER(S)は、今年の『ロックロックこんにちは!Ver.26』に出演していました。

それが、何十年かぶりに仕事する縁をもらってね。いまライブを観てもすごくストレートで、等身大でやってる。Hump Backやサバシスターみたいな人達が人気のある理由につながってるなと。そのときの楽屋で久しぶりに直接話すことができて、そのミニクーパーを手放そうかと思ってるって話をして。フルレストアしたり、ずっとエンジンはかけ続けてたりして、元々ブラックだった色をランボルギーニオレンジに塗り替えたり、走れる状態ではあったけど、コロナ禍で乗らない状況が続いたことでナンバーは抹消してね。

キービジュアルでも登場する思い出のミニクーパー

ーーそんなミニクーパーの思い出はありますか。

Mr.Childrenの「CROSS ROAD」(1994年)ぐらいの時代かなぁ。FMラジオの隔週レギュラーを桜井(和寿)さんがやってたから、そのミニクーパーで迎えに行ったりして。Mr.Childrenのメンバーの皆さんもよく知ってる車でね。ツアーのときも、小さい車やのにメンバー4人全員が乗って底を擦ったりしながら新大阪駅へ行ったりして。何かしらそういう物語があって、若かりし当時を支えてくれた、自分の時間に明るく色を塗ってくれた車でもあるから、なぜかずっと手放せなくて。で、この間ようやく宮田さんと直接会って、やっと手放せる気がするって話をしたんですが、宮田さん自身も思い入れがある車やったみたいで。生まれたばかりの息子さんを迎えに行って、初めて家族3人が乗った車だって言う話を聞いたんですよね。物語を作ってきたんやなって。だから、せっかくなので、宮田家にお返しするっていう話になりました。好きな人しか運転できない車やしね。

ーー18〜19歳ぐらいから今まで梅木さんの手元にあったということは、約40年の歴史が! 宮田さんより長く乗っておられますね。

ちなみに、細くて重たいオースチンミニっていう種類のハンドルが付いてたんやけど、僕が付け替えてたから、元々のハンドルは額装して一緒にプレゼントしようかなと思ってて。でも宮田くんから電話があって「元々のハンドルに付け替えたいんだよね〜」って連絡がきて、「あららら!」と(笑)。でも、何でもそうだと思うけど、このことで改めて「人に対してやってあげたい」という気持ちというのが、人の立場に立ててないことに気付くんですよ。

ーー何かキッカケがあって?

コロナ禍をキッカケに、「自分自由研究帳」というのを始めてね。何でもいいから思ったことを書き出すようになって、最近、第1章が終わったんです。卑下するわけじゃないけど、それを書くことによっていかに自分がダメだったか、愚かで弱い人間やったかっていうことに気が付いてね。年齢と共に。30代とか勢いあるうちは分からなくて。這って這って前へ進まなアカン年齢を超えて、今をちゃんと認めないと、と。相手が求めてないのにやってあげたいという気持ちは、押しつけでエゴでしかないわけで。

●悪いことも良いことのためにあると思えて、全部受け入れられるようになった

PLUMCHOWDER 梅木康利

ーーよく分かるお話。でもその一方で職業柄、相手のリアクションを気にすることは必要な感覚なのかな、とも。

その集大成、縁がつながったのが今回のイベントになるわけですが、でもやっぱりスタッフも出演者もたくさんいるわけで、どれだけ気を配れるか、そういう空間づくりができるかは一番のテーマかな。でも自分がホストになるとなかなか難しいね。これまで自分が下手くそながらやってきたこと、身の丈を知らずやってきた時期から身の丈を知ろうとした今。仕込みを入れて3日間の空間を、スタッフを含めてどういうふうに作れるかっていうのがね……もう胃が痛い、胃が痛い! 本当にうなされるくらいずっとシミュレーションしてる。まだまだ足りないし、一人じゃできない。

ーー確かに。『仮面チャウダー』なんかも、どんな緻密な台本があるんだろうと思うくらい作り込まれたイベントばかりで。

緻密にし過ぎたら演者は楽しくなくなるけどね(笑)。あのときに学んだのは、100%思いのある、舞台の脚本みたいなものを出してもダメ。一歩手前のものにして、たとえば民生さんとかに、「梅木、ここはこうやった方が面白いよ」なんて言われる幅を作って、ピースを埋めるようにしないと良いものにはならないと思って。生の音がある場所やから。一日だけで終わる空間なわけで、それが当日成功するかどうかは終わってみないと分からなくて。事前のリハーサルとかでめちゃくちゃ面白いわというときもあったけど、当日ちょっとしたボタンの掛け違いで、スタッフや演者さんのパフォーマンスが全部崩れたことも。別にお客さんは失敗と思ってないかもしれないけど、僕の中では満足いかない結果かなというのも経験としてあって。でもこれが「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」(中国の故事から。人生の禍福は予測できることではないため、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないという意味)でね。本当に嫌やったけど、そのときがあったから後々のイベントはスムーズにいったって思ったとき、結果論としてオモロいやん、と。「人間万事塞翁が馬」という言葉は最近教えてもらったけど、本当に悪いことも良いことのためにあるのかなと思えた。全部受け入れられるようになって。今の座右の銘、今一番忘れたらアカン手綱を締める言葉ですね。

ーー梅木さんの集大成であり、これまで培ってきた縁があるからこその日であり。

本当に、いろんな縁に恵まれて。自分は下手くそやし、なぜかは分からんけども、結局は導かれてこの2日間がある。今は(準備の)佳境やけど、腹も痛くて吐きそうなぐらい(笑)。でもそれぐらい向き合っていかないとみんなに対しての思いは伝わらないのかなとも思う。今は、もう一回中身の演出をブラッシュアップしています。なぜこの仕事をするのかって思い返すと、舞台袖とかからお客さんが盛り上がってるのを見るのが好きなんですよ、一番。ギミックを加えたり、驚きを入れたことに対して、感動している姿とかを見るとね。演者さん含めアットホームな空間ならできるかもと思っています。このイベントの終演と共に今までの過去に幕を下ろして、また新しく生の音のある場所に向き合うことになる節目のイベントになるので、当日はいろんな人に観てほしいですね。

取材・文=後藤愛 撮影=河上良

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