掛川西の大石卓哉監督ロングインタビュー【後編】 甲子園で選手が〝踊る〟には… 背中を押した故・森下知幸監督の言葉とは…
>>インタビュー【前編】1年目は「地獄の始まり」、生かした名将2人の教え
今夏、全国高校野球選手権(甲子園)に26年ぶりに出場した掛川西が聖地で60年ぶりの1勝を挙げました。今回は、就任7年目を迎えた大石卓哉監督(44)のロングインタビューの後編です。
インタビュー
―監督として初の甲子園はどうでしたか?
「掛川西としては26年ぶりの甲子園だし、60年勝っていなかった。『思い切ってやりゃいいんだよ』と言ってくれるOBが多かった。『選手を存分に楽しませてやれよ』とか。
それまで『甲子園』『甲子園』と言っていた人たちも、決まった瞬間に『勝て』と一切言わなくなったんです。だからプレッシャーはなかったです。現地での割り当て練習が2時間しかなくても、その2時間を気合を入れてやっていたら選手はどんどん野球がうまくなっていった。練習ってたくさんやればいいってもんじゃないんだなと思いました。
現地に入ってからは半分〝遊んで〟いましたね。『甲子園って楽しいね』『最高だね』という空気感でした。甲子園練習でも自分が(打撃投手で)投げちゃったり。
実は、選手たちには甲子園練習で『野球をやるのやめよう』と言ったんです。(静岡高が出場した)2018年春の選抜の甲子園練習の時にノックを打ったらグラウンドはフカフカだった。それなのに本番になったらピタッとなってた。(後に中日ドラゴンズに入った)村松(開人内野手=静岡高出)も『バウンドが全然違う。甲子園練習の時はペチョペチョしてたのに、パンパンくる』みたいなこと言っていて。
結局、本番になったらグラウンドは変わるし、観客が入ったらボールが見えにくくなる。やってもあまり意味がないから『散歩でもする?』なんて選手に提案してみたんです。でも選手には『嫌だ。野球がやりたいです』と真面目に返されました(笑)」
―甲子園での初戦(日本航空戦)の雰囲気はどうでしたか。
「(常葉菊川を選抜優勝に導き、今年1月に急逝した御殿場西前監督の)森下知幸監督のように、甲子園で選手が〝踊る〟にはどうしたらいいんだろうと考えていました 。
大監督たちのベンチでの立ち位置はどの位置だったんだろうとふと思い、初戦(※ベンチは一塁側)の試合中に、いろんな位置に動いてみたんです。選手に楽しめって言ったから自分も。(智弁和歌山の)高嶋仁前監督の定位置のベンチ中央にも立ってみたけれど、あまり居心地が良くなくて(笑)。
ホームベース側に立ってみると、バッテリーも相手のベンチもよく見えるけれど、(味方の)ベンチの選手の表情が見えなかった。それに、自分が現役の時の経験ですが、甲子園の内野スタンドに座っている人たちって掛川西の応援をしている人たちだけじゃないので、みんな淡々と試合を見ている。だから凡打してベンチに帰る時、寂しいというか、恥ずかしかったんですよね。
その日も選手がやっぱり寂しそうな顔して帰ってきていたので、『どうだった』と真っ先に声が掛けられる、一塁から近い立ち位置に落ち着きました。甲子園に慣れてないチームはこっちがいいなと。選手が甲子園に慣れたら、ホームベース側のほうが次打者に指示も伝えやすいし、やりやすいと思います」
―森下監督からはどんな影響を受けたんですか。
「昨年の秋、県予選1回戦で負けた後、すぐに森下監督が練習試合をやろうと連絡をくれたんです。亡くなる直前の12月にも話をする機会があって。
『監督が勝てるとか、勝ちたいって思ってやるとだいたいダメなんだよ。甲子園行けると思ってるんだろう?だから勝てねえんだよ。甲子園なんか1校しか行けないんだから、行けないと思ってつくるんだよ。選手たちに最後、監督と一緒にやって良かったと言わせられたら監督としては合格だろう』と言われたんです。『最後に夏負けて終わった時に、監督とやって良かったと選手に言わせてみろ』と。
そういう日々の過ごし方をしていると、結局(練習は)厳しくなるんです。選手がやって良かったと思えるようにするには、最後はうまくなっているか、勝っているかなんですよね。
今年の(静岡県高野連の)指導者講習会で、森下監督と長く一緒にやってきた(浜松開誠館前監督の佐野)心さんもそう話していました。『選手たちが夏の大会を終わった時に、監督とやってよかったと思えるようなチームをつくることが甲子園につながった』と」
―秋の静岡県大会が9月14日から始まります。
「これで終わりにしちゃいけないし、次につなげていくためにはさらに自分が学ばないと。今回の甲子園の教訓は『自分が勝ちたい時は周りが見えない、選手に勝ってほしいと思うと最善の手が打てる』。
甲子園での2試合目は選手も監督も『勝ちたい』って欲が出ちゃった。これからも監督というより、教員、教育者として、もっと選手の力を付けられるような指導者になりたいですし、もっと学び続けて、新しいことを知って、自分がワクワクしている状態を続けられたらと思います。
甲子園ってそういうことを教えてくれる場所なんだなと思いました。自分は栗林(俊輔)先生(静岡高前監督)とか森下監督とか、人からもらった言葉が腑に落ちて、自分のものにしてきた。野球が盛んな県はきっと、監督同士がそういう話をして、隠し合うんじゃなくて学び合って、いろんなものを吸収していって、選手に還元されていくんだろうなと思います」
(聞き手・編集局ニュースセンター部長 結城啓子)おおいし・たくや 1980年4月生まれ。掛川西高3年時の1998年夏に主将、遊撃手として甲子園に出場。中大では準硬式野球部に所属。2005年に浜松工高に理科の実習助手として赴任し、栗林氏が監督を務めていた野球部で2年間コーチを務めた。教員採用試験に合格して三ケ日高に着任。2011年春の静岡県大会で8強入りし、16年ぶりに夏の静岡大会のシード権を獲得。2014年から4年間、静岡高で栗林監督のもと副部長、部長を務め、春夏5度の甲子園、3度の明治神宮大会を経験した。2018年に母校・掛川西高の監督に就いた。