巳之助と米吉の仇討、松緑の化物退治、幸四郎と勘九郎の陰陽師、鴈治郎と扇雀の封印切~新年を寿ぐ歌舞伎座『壽 初春大歌舞伎』昼の部観劇レポート
2025年1月2日(木)に歌舞伎座で『壽 初春大歌舞伎』が開幕した。昼夜二部制での公演のうち、「昼の部(11時)」をレポートする。
一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
曽我兄弟が、親の仇である工藤祐経とついに対面する場面が描かれた『寿曽我対面』。工藤の館で開かれる、宴の席が舞台となる。
金の襖の座敷に大名たちがずらりと列座し、廓から傾城も呼ばれ絢爛な雰囲気。工藤が大きな仕事に抜擢され、それを祝う。
上座をすすめられた工藤(中村芝翫)が、舞台中央を客席方向へゆったり歩み出た時、真正面から静かに迫ってくる威厳に思わず姿勢を正した。そんな工藤に向かって「会ってほしい兄弟がいる」と言い出せるのが小林朝比奈(尾上右近)だ。陽気に爽やかに、敵討ちの若者を紹介できるのだから肝が据わっている。大磯の虎(坂東新悟)は、工藤や朝比奈と並んで引けをとらない存在感。宴に華を添えて、舞台の格を上げていた。化粧坂少将(澤村宗之助)にしっかりとした妹感があり、虎を一層大きくみせた。
朝比奈に呼ばれ、兄の曽我十郎(中村米吉)がしなやかに風をきるように花道を進み出る。女方の大役を数々つとめる米吉の凛とした立役に、溜息混じりの歓声が漏れ聞こえた。これに続き、ダン、ダン、と床を踏む音を響かせながら弟の曽我五郎(坂東巳之助)が現れる。和事の十郎と荒事の五郎。個性は対照的だが、美しさを共通項に2人はいかにも兄弟らしく見えた。非現実的なほどに端正な輪郭と造り。ハッとするほど美しい形で決まる。身体がぴたりと止まっても芝居の躍動感は止まらず、話が進むほどに緊張感が高まっていった。
五郎は、全身の血液が沸騰どころか気化してしまいそうなほどの怒りを、必死に自分の中に押し込めている。しかし工藤の威厳、朝比奈の明るい余裕、十郎の柔らかくも揺るぎない強さに囲まれる中で、荒くれ者というよりは、冒険にでかける少年漫画の主人公のように映った。どこか親しみをかんじさせ、この先を期待させる五郎だった。『対面』は、歌舞伎ならではの様式美が見どころの一つ。その様式美と同じくらい、曽我兄弟のドラマに興奮した『対面』だった。
二、陰陽師(おんみょうじ)
平成25(2013)年に新作歌舞伎として上演された夢枕獏の小説から、今井豊茂脚本『大百足退治』と、戸部和久脚本で『鉄輪(かなわ)』が装いも新たに上演される。ダークファンタジーの世界観はそのまま、雰囲気の異なる2作品となっている。
『大百足退治』
琵琶湖近くの三上山に化け物が出るという。大薩摩と三味線の勇壮な演奏で一気にクライマックスのような空気の中、幕が落とされると巨大ムカデが登場。侍たちに襲い掛かる。ムカデはアナログな手法で表現され、無数の赤い足があり、そこからはデジタルでは感じ得ないユーモアとおぞましさが醸し出される。ゲームのラスボス戦に放り込まれたような盛り上がりと絶望感だ。そこへ乗り込んでくるのが、長刀を手にした豪傑・藤原秀郷(尾上松緑)。錦絵から飛び出してきたような、くっきりした目鼻立ちは暗めの舞台でもよく映える。岩場の上での見得は、歌舞伎座の舞台いっぱいに大きな武者絵を広げたような迫力を見せた。
序盤こそ、そのムカデを早く倒して下さいと願っていたが、まもなく追い詰められて姿を現した大ムカデの魂魄(こんぱく。坂東亀蔵)が思いがけず端麗で、冷たく妖しい魅力。歌舞伎ならではのテンポ感、ツケ、立廻りによる激闘は、ずっと観ていたい不思議な心地になった。龍神一族の永薙姫(中村魁春)は古風で、神話の世界を見るようだった。
『鉄輪』
「鉄輪」とはコンロに鍋ややかんを置く時の鉄製の輪、五徳(ごとく)のこと。人形に五寸釘を討ちつける丑の刻参りでは、これを逆さにし王冠のようにかぶるのが古来のお作法なのだそう。琵琶の音と語りで始まると、そのいでたちの徳子姫(中村壱太郎)が貴船神社の杜にあらわれる。藤原兼家(市川門之助)に裏切られ、恋の恨みにとりつかれてしまったのだ。苦しむ徳子姫に手を差し伸べたのが、陰陽師の蘆屋道満(松本白鸚)だった。雷鳴とどろく中、ある取引を持ちかける。心を楽にしてやる、その代わりに身体は鬼になる。それでも良いかと問いかけるのだった……。
徳子姫に一瞬の正気をもたらすのが、源博雅(中村勘九郎)の笛の音だった。博雅は晴明の相棒だ。笛の名手であり素直で精悍。“本当に良い漢(おとこ)”であり、その自覚のなさもまた魅力的だった。相棒である晴明とは太陽と月のようだった。月と桜が輝く春の夜、晴明の館で、晴明(松本幸四郎)もまた美しい光を放つような美しさを見せる。博雅と酒を酌み交わしながら、晴明と道満、陰陽師としての思想の違いが柔らかい言葉で語られた。
ハイライトは、ふたりの陰陽師の式神同士の対決だ。舞台上手側に長唄、下手側に竹本の義太夫。双方の掛け合いが空気を震わせ戦いの激しさを肌に伝える。博雅の笛を巡り、晴明の式神(市川高麗蔵、市川笑也、大谷廣太郎、澤村宗之助)と道満の式神(市川笑三郎、市川猿弥、市川青虎、澤村精四郎)が入り乱れ、かと思えば美しいフォーメーションで魅せ、ダイナミックに動く舞台機構と踊りで呪術による戦いを視覚化する。壱太郎の徳子姫は芝居でも踊りでも、怨念にとらわれた人間の怖さ、危うさを表し、美しいまま哀れで恐ろしい鬼になってみせた。クライマックスには道満が現れる。
道満の高笑いは、嬉しそうにも寂しそうにも聞こえた。ハリと艶のある声に隠された真意は汲みきれない。それでも晴明と道満がお互いの力量を認めあっていることは確かだろう。観劇前まで、『鉄輪』は舞踊作品になるのだろうと想像していた。実際はファンタジックな世界観を踊りでみせつつ、人の心の割り切れなさに目を向けるお芝居として仕立てられていた。
三、玩辞楼十二曲の内 封印切(ふういんきり)
中村鴈治郎と中村扇雀が、1月の前半と後半で役を入れ替わり勤める『封印切』。亀屋忠兵衛はふたりの父・坂田藤十郎の当り役だ。この日は鴈治郎の忠兵衛、扇雀の丹波屋八右衛門の回。
忠兵衛は、井筒屋の遊女梅川(片岡孝太郎)と相思相愛の深い中。身請けの手付金は払ったものの、残りのお金が用意できないまま支払い期日が来てしまった。井筒屋の女将おえん(中村魁春)は二人の仲を応援しているからこそ支払いに猶予を与えるが、忠兵衛にお金のあてはない。それを打ち明けられずにいるうちに、恋敵の八右衛門(扇雀)が梅川の身請けを名乗り出てきて……。
鴈治郎の忠兵衛は本当に憎めない男だ。冗談で周りを楽しい気持ちにさせ、客席を温かく心地よい空間にする。梅川は素直で愛らしく、義太夫にのるお芝居が入るたび、心の中を開いて見せるように喜怒哀楽を鮮やかにみせる。そんな忠兵衛と梅川は、その若さゆえの頼りなさが微笑ましく、つい助けてあげたくなる気持ちにさせられた。よそ様が痴話げんかをしたり、いちゃいちゃする光景を目の当たりにすれば、多少は居心地が悪くなるものだが、この二人のそれは、客席をほっこりと幸せな気持ちで包み込んだ。
井筒屋の皆にとっても、忠兵衛は愛すべきお客だったのだろう。女将のおえんが、裏口からこっそり入れてくれるくらいなのだから。しかし皆に愛される忠兵衛だから支払いの猶予をもらえてしまい、公金を運ぶ仕事の最中に逢瀬の機会をもらってしまい、それが八右衛門との鉢合わせに繋がり、悲劇へ突き進むことになる。
八右衛門(扇雀)は、忠兵衛よりも一枚上手な落ち着きが、忠兵衛の幼さゆえの短気を着々と引き出していた。漫才のようにはじまった言い合いが、軽妙さを失い、忠兵衛は崖っぷちに。封印が切れた時、カッと頭が熱くなり思考が止まり、指先から血の気が引き冷たくなっていくのが伝わって来るようだった。梅川が自分の簪を皆に配る時は、涙が込み上げた。
皆の良心に包まれていた忠兵衛が、温かい井筒屋から離れていく。女将のおえんや槌屋治右衛門(中村東蔵)は、事実が表沙汰になった時、「自分たちに出来ることがあったのでは」と悔やむに違いない。なぜなら客席で観ていただけでも、何かしてやれることはなかったか、という気持ちになったからだ。
忠兵衛と梅川が手を携え、厳しい寒い道を逃げ延びる姿がすでに目に浮かんだ。それが二人の運命だったとは割り切りがたい。万来の拍手の後も歌舞伎座を出てからも諦めがつかず、どうにかしてあげたかったと思い続ける、愛すべき忠兵衛と梅川だった。
歌舞伎座『壽初春大歌舞伎』は、1月26日(日)までの上演。夜の部は、別記事にてレポートしている。
取材・文=塚田史香