戦後79年 「記憶あるうちに後世へ」 語り部高齢化で風化危惧
第2次世界大戦から79年を迎える今年。当時の惨劇を体験した当事者の高齢化が進み、その記憶の伝承が危ぶまれている。
横須賀市で被爆者が集い、その惨禍を後世に伝える講演活動を行う「神奈川県原爆被災者の会横須賀支部なぎさ会」でも当時の体験を語れる人が減少しており、数十年前は200人ほどいた会員が現在は数人までに縮小した。同会の村山恵子さん(85)は「私たちが見てきた、感じてきた記憶は数年後しゃべることが出来るか分からない」と現状を危惧している。
村山さんは6歳の時、長崎で被爆。同県内の親戚の家に身を寄せていたため直撃は免れたが、投下から2日後に父方の実家がある長崎市内まで歩いた時に残留放射線を浴びてしまい、終戦後に下痢や高熱などの症状にさいなまれた。
放射線による影響は家族にも影を落とした。母親は61歳、弟は15歳の若さで他界。父親は出征したっきりで、返ってきたのは中身が空の骨壺のみだった。
崩壊した町、熱風に当てられ水を求める人々、黒く焼け焦げ”人形”のような死体の山-。そのどれもが今でも鮮明に思い出される「恐ろしい記憶」だ。
「最近は戦争があったことを知らない人もいる。私の実体験を伝え、歴史教育の一環に役立てて記憶の風化を少しでも防ぎたい」と話す。
「家族で私だけが生き残ったのは、この記憶を後世に残すため」。そう語る目は、戦争への憎悪と二度と繰り返してはならないという決意を帯びている。
風化に「待った」被爆体験を語り継ぐ会
2017年に設立した「被爆体験を語り継ぐ会」は、戦争体験当事者の減少を受けて、かねてより被爆者の証言をDVDに残し、それをもとにした展示などに取り組んでいる。しかし同会にも高齢化の波は押し寄せており、平均年齢は65歳だ。当事者の声をリレーしていくために現在は市内外で平和活動に取り組む若年層の団体との連携を強めている。