江戸の遊郭・吉原で「モテる男」と「モテない男」の違いとは? 遊女が惚れたのはこんな男
江戸最大の遊郭と言われた吉原。毎夜遊女を求めて大勢の客が大門をくぐりました。
しかし、遊女にピンからキリまでいれば、客もまたしかり。「モテる男」もいれば、「モテない男」もいました。
吉原で「モテる男」と「モテない男」。その違いは、いったい何だったのでしょうか?
吉原でモテた「粋」な人とは
豪勢な吉原遊びは、金があってこそなりたつもの。
吉原で「モテる男」といえば、まず思い浮かぶのは金持ちでしょう。
ところが、吉原で上客とされたのは、単なる金持ちではありませんでした。
金以上に遊女たちが客に求めたのは「粋(いき)」だったのです。
・遊女たちが客に求めた「粋(いき)」とは
「粋」とは、気立てや身なり、振舞いがあかぬけていてさっぱりしているだけでなく、そこはかとない色気があることを指します。
金離れがいいにもかかわらず、それをひけらかさない。
遊女に無理強いせず、さらりと遊ぶ。そんな遊び上手な人が吉原では粋とされました。
『吉原大全』で醉郷散人は、遊女を買う客を次のように書いています。
「男ぶりよく、心にしゃれありて、金銀も自由になり、この三つをそなえたる者こそ、まことの買手というべし」
吉原で上客と言われたのは、「イケメン、気立ての良さ、金持ち」の三拍子が揃った人のようです。
さらに同書には、
「意気地というは、心さっぱりと、いやみなく、伊達寛闊(かんかつ)にて、洒落を表とし、人品向上にして、実を裏とし、風流をもって遊ぶを、真の通人という」
というくだりがあり、この「通人」こそ吉原でモテる男の代名詞でした。
・吉原でモテた「通人」
「通人」の「通」とは、遊里の事情通である「穴知り」と、人情の機微に精通している「訳知り」の両方を兼ね揃えていることです。
具体的な「通」のイメージは、世事に通じ、物事の限度をわきまえていて執着せず、その場の空気をさっと読み、見栄を張らずにきれいに金を使うといった行動の数々であり、「通」の対極は「野暮」や「不通」、「半可通」と言われました。
「通人」とは「通」な人のことで、彼らは「粋」を極め、歌舞伎や芸事、吉原遊びに惜しみなく大金を使う遊び人を指し、18世紀後半頃から流行し始めました。
特に「十八大通(じゅうはちだいつう)」は、「通人」の代表としてもてはやされる存在で、大半が浅草蔵前に暮らす高利貸しの札差(ふださし)でした。※札差とは旗本や御家人に支給される米の仲介業者。蔵米を担保に高利貸しも行い大きな利益を得ていた。
天明8年(1788)に出された『吉原楊枝』の中で山東京伝は、「通人」の条件を挙げ、羽織の裏地や雪駄の裏当てなどの目立たない所に金を使うのが本当の粋であり、地味にさらりと大金を使って遊女を喜ばせるのが粋な通人だと記しています。
通人以外にも、話が面白く知的な教養がある文人や学者、商家の純情な若旦那などがモテたそうです。
吉原でモテないのは「野暮」な男
遊女たちが嫌ったのは「粋」の反対の「野暮」で、「ケチ」、「半可通(はんかつう)」、「強蔵(つよぞう)」は特に疎まれる存在でした。
・ケチな男
最も嫌われたタイプが「ケチ」です。
細かく値切る男や、金払いが悪い男は敬遠され、とにかくケチは無粋として嫌われました。
その代表が勤番武士で、参勤交代のため地方から主君に従って江戸に出てきた田舎侍の彼らは「武左(ぶざ)」や「浅葱裏(あさぎうら)」と軽蔑されることが多かったようです。
安い猪牙船(ちょきぶね)に、定員ギリギリの多人数で相乗りして船賃を値切ったり、登楼しても既定の料金だけ払って祝儀も出さず、「しなけりゃ損だ」とばかりに何度もことをしようとしたりと、金払いが悪いわりに要求だけは目いっぱいという振る舞いが、遊女たちから嫌われたのでした。
・知ったかぶりの半可通
知ったかぶりや気どった男は「半可通」と呼ばれ、嘲笑の対象となりました。
聞きかじりで、さも理解しているかのように振る舞ったうえに、その知ったかぶりが間違っていては、周りも鼻で笑うしかありません。
半可通は馬鹿にされ、軽くあしらわれていました。
・精力旺盛な強蔵
強蔵(つよぞう)は精力旺盛なだけでなく、礼儀知らずで支配的、さらに乱暴な男を指しました。
当たり前ですが、強蔵は遊女から大変嫌われました。ちなみに強蔵と反対に淡白な人は、弱蔵(よわぞう)といわれました。
おわりに
吉原でモテる男とモテない男の違いは、金回りがいいことはもちろんですが、それだけでなく「粋」かどうか、特に遊女に気遣いができるかどうかが大きかったようです。
太っ腹なのに控え目で、馴染みの遊女だけでなく、禿や新造、遣り手婆にも心を配り、諍いごとはさらっと収める。
そんな「粋」な男がモテたのです。
苦界に身を堕としたとはいえ、遊女たちも一人の女性。過酷な環境の中で生きる彼女たちにとって、モノではなく一個の人間として優しく接してくれる男性こそ、上客だったのでしょう。
さらっと気遣いのできる男がモテるのは、いつの時代も変わらないのかもしれません。
参考文献
永井義男『江戸の下半身事情』祥伝社
文 / 草の実堂編集部