1995年は暗く不安な1年だった? 時代の寵児となったマイラバこと My Little Lover の魅力
連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.40
▶ Hello, Again 〜昔からある場所〜 / My Little Lover
▶ 作詞:小林武史
▶ 作曲:小林武史
▶︎ 編曲:小林武史 & My Little Lover
▶ 発売:1995年8月21日
1980年代を象徴する松田聖子、プリンセス プリンセス
時代を象徴する歌い手がいる。
例えば―― 1980年。この年は、何を置いてもスーパーアイドル・松田聖子の登場に尽きる。彼女のセカンドシングル「青い珊瑚礁」は、80年代というポップで明るい、アイドル黄金時代の幕開けを予感させる神曲だった。事実、『ザ・ベストテン』に初めて同曲でランクインした際、羽田空港に降り立ち、飛行機を背にエプロン(駐機エリア)で歌う彼女のはつらつとした姿は、これから始まる新時代のオーラに包まれていた。
80年代末のバブル時代なら、5人組のガールズバンド、プリンセス プリンセスを置いては語れないだろう。1989年、バンドは7枚目のシングル「Diamonds」で自身初のオリコン1位に輝き、ミリオンセラーに。続いて発売(再リリース)された「世界でいちばん熱い夏」も80万枚超えの大ヒットと、“プリプリ” は年間シングルチャートでワンツーフィニッシュ。その活躍ぶりは、まさにバブルの側面である “女性活躍社会” の象徴とも。女性がデートで男性を使い分ける “アッシーくん・メッシーくん・ミツグくん” が流行語になった時代である。
90年代半ば、一躍時代の寵児となったMy Little Lover
そして、今回紹介するMy Little Lover―― “マイラバ” も、90年代半ば―― 1995年のポップな空気感を見事に体現した2人組のユニット(当時)だった。ボーカル・akko、ギター・藤井謙二、そしてプロデューサーは小林武史である。その年、彼らは3枚のシングルとアルバム1枚をリリース。中でも3枚目のシングル「Hello, Again 〜昔からある場所〜」は180万枚、アルバム『evergreen』は280万枚のメガヒット。一躍時代の寵児となった。
その年―― 1995年というと、よくメディアは、今年30周年を迎えた阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件など、暗く、不安な1年だったと総括しがちだ。でも、ちょっと待ってほしい。あの年をリアルタイムで過ごした僕らからすると、コトはそう単純じゃない。もちろん不幸なニュースもあった。でも、その一方でエンタメやスポーツに目を向けると、まったく別の空気感があったのだ。
事実、音楽の世界では1995年、シングルのミリオンセラーが28曲と史上最多を更新した。この記録は今も破られていない。思えば1年中、ヒット曲が街中やラジオやテレビで流れていた気がする。そして、テレビドラマに目を向けると、三谷幸喜脚本の『王様のレストラン』(フジテレビ系)と北川悦吏子脚本の『愛していると言ってくれ』(TBS系)が1995年である。そう、ドラマの当たり年だった。
ちなみに、プロ野球界は、前年に210安打を放ったイチローの活躍もあって、本拠地・神戸市が被災したオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)が “がんばろう神戸" を合言葉にパ・リーグを制覇。海外では米MLBに渡った野茂英雄が、ロサンゼルス・ドジャースでトルネード旋風を巻き起こし、最多奪三振のタイトルを獲得。メジャー1年目ながらオールスターにも出場した。
聴く者の心を湧き立てた「Man & Woman」のポップな音色
―― かくして、少なくともエンタメの分野では、1995年は明るくポップな空気感に覆われていた。そんな中、初夏を迎える頃だろうか、不意に聴こえてきた楽曲に僕は耳を奪われた。それは、どこかフレンチポップスを思わせるオシャレで都会的なナンバー。透明感のある歌声が印象的だった。
悲しみのため息 ひとり身のせつなさ
抱きしめたい 抱きしめたいから
Man & Woman
そう、マイラバのデビュー曲「Man & Woman / My Painting」である。リリースは、1995年5月1日。両A面だが、音楽番組で歌われたのは主に「Man & Woman」のほう。作詞・作曲・プロデュースは小林武史。そのメロディーはアイデアにあふれ、聴くほどに耳に馴染んだ。緻密に練られたアレンジは懐かしさと新しさが同居し、そのポップな音色は聴く者の心を湧き立てた。
同曲は48位で初登場すると、TOP10入りまで実に9週を要したが、ロングセールスとなり、デビュー曲ながら50万枚を超える大ヒット。聴き手を魅了したのは、なんと言ってもボーカル・akkoの透明感のある歌声だった。少女と少年が同居したような中性的な魅力を放ち、一度聴いたらトリコになる不思議な声だった。一方、ギターの藤井サンは流れるようなカッティングが魅力。主張し過ぎない主張というか、長身の彼のシュッとした立ち姿も同ユニットの魅力だった。
愛してる愛してるって言っても
好きだから好きだからって言っても
きっと言葉だけじゃだめだよ
Man & Woman
いつかは Hey Hey Hey!
デビュー間もない時期に出演した「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」
同曲には「♪Hey Hey Hey」なるフレーズがある。小林サンが意図して書いたのかは分からないけど、デビューから4週目には、早くもあの番組に出演する。ダウンタウンがMCを務めるフジテレビ系音楽番組『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』である。この時、立ちトークで浜ちゃんの “結成して何年?” の問いに、akkoが “まだ半年… ” と答えると、松ちゃんが “一番アツアツの時期ですね” とボケたのが、2人がお茶の間に知られるキッカケになった。ちなみに、2回目の出演(同年9月)の際も松ちゃんは2人に “デートのついで?” と聞いている。
それにしても―― デビュー間もない、それも無名の2人がゴールデンの音楽番組に呼ばれるのは珍しい。まぁ、種を明かせばプロデューサーの小林武史サンのお陰である。この年、彼は同じくプロデューサーの小室哲哉サンとイニシャルが共通であることから “TK時代" とひとくくりで呼ばれるほど、時代の主役の1人だった。ぶっちゃけ、小室サンがいたから、小林サンにも光が当たった側面はあった。
聴く者のマインドを湧き立てる小林武史のアレンジ
―― とはいえ、業界的には、彼はとっくにメジャーな存在だった。そのプロフィールを紐解くと、もともとはスタジオミュージシャンで、時おり杏里などに楽曲を提供していたという。転機となったのは1987年―― 桑田佳祐のファースト・ソロシングル「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」のアレンジに参加すると、その職人気質な仕事ぶりを桑田サンから高く評価される。以後、サザンオールスターズ作品にも関わるようになった。
そのアレンジの特徴は聴く者のマインドを湧き立てる印象的なイントロと、ストリングスを多用した、ある種のウォール・オブ・サウンド。そして最新のアイデアを取り入れるアバンギャルド性と、まさに職人芸の極みだった。サザンの復帰第1作のシングル「みんなのうた」を始め、映画『稲村ジェーン』(監督:桑田佳祐)の「真夏の果実」や「希望の轍」など、そのクオリティは誰もが認めるところ。桑田サンとの蜜月は1992年まで続いた。
その間、メロディーメーカーとしての才を一躍世間に知らしめたのが、1991年にキョンキョンに提供した「あなたに会えてよかった」。同曲はミリオンセラーとなり、同年の日本レコード大賞編曲賞を受賞した。イントロが流れた瞬間、聴き手をノスタルジックな世界に誘う小林サンの “魔法” を体感できる、紛うことなき名曲である。
そして1992年―― メジャーデビュー時からMr.Childrenのプロデュースに関わり、桜井和寿サンの紡ぐ世界を “売れる楽曲” に増幅するアレンジを施し、ミスチルを大ブレイクに導いたのは、皆さんご承知の通り。1995年1月には、自身のキャリアを生かして、桑田佳祐とミスチルのコラボを実現させ、チャリティシングルの「奇跡の地球」(きせきのほし)をプロデュース。同曲は170万枚と大ヒットして、小林武史の名はこの時点で誰もが知るところになった。そして同年5月、満を持して自身がゼロから立ち上げたユニットが “マイラバ” だった。
小林武史サンは前年に知人を介して、まだ国立音楽大学の4年生だったakkoを紹介され、その中性的な歌声と、純粋培養的な明るさに魅了されたという。初対面の時、ミスチルを知らない彼女を小林サンが大爆笑したエピソードが残されている。一方の藤井サンは、渡辺美里のサポートメンバーとして活躍していたところを、こちらも知人を介して紹介され、その高い技術と音楽的センスを評価。そして、かねてより2人をデビューさせたいとタイミングを計り、それがカタチになったのが1995年の5月だった。
空は夏の色に染まる
白いカイトも揺れている
心の中つないだ恋のタイトロープ
一躍国民的ユニットに押し上げ、大ブレイクさせた「Hello, Again 〜昔からある場所〜」
セカンドシングル「白いカイト」はデビューから2ヶ月後の1995年7月にリリースされた。白い砂浜で戯れるakkoのミュージックビデオを覚えている人も多いだろう。小林サンが紡いだ詞曲ともに瑞々しい世界観にあふれ、ポップさで前曲をしのぎ、こちらもロングセールスで50万枚以上の大ヒットとなった。個人的には、マイラバで最も好きな楽曲だ。なんたってタイトルがいい。
そして、彼らを一躍国民的ユニットに押し上げ、大ブレイクさせたのが、次のサードシングルの「Hello, Again 〜昔からある場所〜」である。なんと、前作からわずか1ヶ月半後の8月21日のリリース。この畳みかけるような疾走感は、時代の波に乗っていた証しである。ZARDがブレイクした時もそうだったが(『君がいない』のわずか28日後に『揺れる想い』をリリース)、売れるタイミングは一気にやって来る。その波を逃さなかった者のみが、この世界で選ばれしスターとなる。
「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」
君の声が 今も胸に響くよ
それは愛が彷徨う影
君は少し泣いた? あの時見えなかった
同曲は前2作と違って、原曲を作ったのはギターの藤井サンである。なので、作曲のクレジットは藤井謙二&小林武史となっている。後に小林サンは同曲の成り立ちについて、こう述べている。
最初謙二が作ってきた楽曲は難解で(笑)、でもサビの転調とか既にあったし、クセはあるけど泣ける要素も感じて、そこから青春像というか、少年が慣れ親しんだ場所を離れる際の痛みと希望というか、そんな定型へと拡げていったのを覚えてます。
「Hello, Again 〜昔からある場所〜」はマイラバにとって初のオリコン1位となり、なんと180万枚を超えるメガヒット。年間シングルでも堂々6位にランクインした。文字通り、彼らの代表曲となり、1995年を象徴する時代の1曲になった。当時、カラオケに行くと、大抵、女の子の誰かが同曲を歌っていた。締めのトコロでakkoの歌声がハニーボイスに転じるが、ここを女子が歌うと男子から “かわいー” という声が飛んだ。
小林武史の世界観がすべて投影されたファーストアルバム「evergreen」
驚くことに、マイラバの頂点はココじゃなかった。同年12月5日、ファーストアルバム『evergreen』を発売。シングル3曲を含む全10曲で構成された同盤は、プロデューサー・小林武史の世界観がすべて投影された、2つとない名盤に仕上がった。実際、同盤から小林サン自身もキーボーディストとしてユニットに参加。個人的には、90年代のアルバムで、スピッツの『名前をつけてやる』、オザケン(小沢健二)の『LIFE』と並ぶ、三大名盤だと思っている。全10曲51分27秒――1秒たりとも無駄な時間がない。
If もしも―― マイラバがこの世界観のまま突き進んでくれたら、どんなユニットになっていただろうか。翌1996年初頭、僕らは予想外の一報を耳にする。小林サンとakkoが結婚を発表し、更に彼女は妊娠しており、同ユニットは活動休止に入る。まぁ、結婚自体は喜ばしいことだが、この急展開には正直驚いた。半年後、akkoは無事に出産し、マイラバも活動を再開するが―― その先の話はまた別の機会にすることにしよう。
1つだけ確かなことがある。
1995年の5月に颯爽と登場し、ポップなシングルを矢継ぎ早にリリース。その年の暮れに集大成となるアルバムを世に贈り翌年フッと僕らの前から一時姿を消したMy Little Loverは、間違いなく “1995年” を象徴する存在だった。思えば、彼らの軌跡は初めから約束されたものだった。カードは最初から提示されていた。どうして僕らはもっと早く気づかなかったのだろう。小林サンは嘘偽りなく、ユニット名で僕らにこう教えてくれていたのだ。
―― “僕の小さな恋人” って。
Information
新・黄金の6年間 1993-1998~ヒットソングとテレビドラマに胸躍らせた時代~
90年代カルチャー総まくり!音楽、ドラマ、バラエティ、CM、アニメなどのジャンルから大型ヒットが生まれた1990年代。なかでも1993〜1998年の6年間に、なぜ多くの才能が次々と花開いたのか。その時代背景やヒットの仕掛けに迫る、リマインダーの人気連載を書籍化。
著者:指南役
発行:2024年12月16日(月)
定価:1,980円(10%税込み)
発行:日経BP
仕様:四六判・並製・296ページ