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#4 松尾芭蕉が展開したかった「心の世界」 長谷川 櫂さんが読む『おくのほそ道』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#4 松尾芭蕉が展開したかった「心の世界」 長谷川 櫂さんが読む『おくのほそ道』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

長谷川櫂さんによる、松尾芭蕉『おくのほそ道』読み解き

大震災後に歩む、芭蕉の「みちのく」。

松尾芭蕉の『おくのほそ道』は単なる紀行文ではなく、周到に構成され、虚実が入り交じる文学作品です。

『NHK「100分de名著」ブックス 松尾芭蕉 おくのほそ道』では、長谷川櫂さんが、東日本大震災の被災地とも重なる芭蕉の旅の道行きをたどり、「かるみ」を獲得するに至るまでの思考の痕跡を探ります。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第4回/全5回)

心の世界を「みちのく」で展開する

 芭蕉はなぜ、みちのくを旅しようと思い立ったか。一つの理由は古池の句で発見した心の世界をいろいろ試してみたかったからです。もう一つの理由はみちのくが心の世界を展開するのに絶好の条件をそなえていたからです。

 みちのくは現在の東北地方の太平洋岸一帯(福島、宮城、岩手、青森の四県)をさします。ここは昔から歌枕の宝庫とされてきました。歌枕とは王朝時代の歌人たちが代々、和歌によって築きあげてきた名所です。気をつけてほしいのは、それは現実に存在する名所旧跡ではなく、歌人たちが想像力で作りあげた名所であるということです。歌枕はいわば架空(フィクション)の名所であり、歌人たちの心の地図にちりばめられた名所なのです。だからこそ芭蕉はここで心の世界を展開しようとした。

 もっと大きな視点から眺めると、次のことがみえてきます。芭蕉が百三十年間もつづいた戦乱の時代ののちに誕生した新しい日本の最初の大詩人だったことはすでに触れましたが、一方、歌枕は王朝時代から中世にかけて栄え、長い戦乱の時代によって滅んだ古い日本の文化遺産です。『おくのほそ道』は新しい日本の大詩人である芭蕉が、すでに滅んでしまった古い日本の遺跡を訪ね、古い日本を弔う記念的な旅だったということになります。

 では芭蕉は古池の句で見いだした心の世界を『おくのほそ道』のなかでどう展開しているか。古池の句の影響が何よりもはっきりわかるのは芭蕉の句です。全部で五十句ありますが、その多くが現実に見聞きしたものをきっかけに心の世界が開かれる〈現実+心〉という古池型の句です。『おくのほそ道』巻頭の句からしてそうです。

 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへて、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先(まづ)心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅(べつしょ)に移るに、

  草の戸も住替(すみかは)る代ぞひなの家

 面(おもて)八句を庵の柱に懸置(かけおく)。

 ここに登場する「草の戸も」の句、芭蕉庵もすでに住み手が変わって雛人形が飾られているという意味だとしばしば勘ちがいされます。芭蕉は男の一人住まいだったのですが、新しい住人には妻や娘もいる。だから今や「ひなの家」になった。これはもっともらしい解釈ですが、この句はそんな意味ではない。

 ここは芭蕉がみちのくへ旅立つのを前に深川の芭蕉庵を人に譲り、別の草庵へ移る場面です。そこで芭蕉庵への別れの印として「草の戸も」の句を草庵の柱にかけて残してゆくのです。とすると、まだ新しい住人は芭蕉庵に住んでいないことになります。では「ひなの家」とは何か。

「ひなの家」は芭蕉が芭蕉庵を去るにあたって、この草庵もやがて「ひなの家」になるだろうと想像したものなのです。いいかえると、「草の戸も住替る代ぞ」という現実に直面して、心のなかに「ひなの家」となっている未来の芭蕉庵を思い描いた。現実ではなく想像しているからこそ「ひなの家」はよけい華やかなのです。それは目の前にある現実の華やかさではなく、障子が内側から明かりで照らされているような心のなかの華やかさです。

 『おくのほそ道』巻頭のこの句も〈現実+心〉という古池型の句です。芭蕉は三年前、古池の句で見いだした心の世界を、『おくのほそ道』の最初の句でさっそく応用したわけです。このことは『おくのほそ道』が古池の句の延長上にあることを知らないと気づかないかもしれません。

 『おくのほそ道』を読んでゆくと、古池型の句がつぎつぎに登場します。書き出しの部分につづく千住での門弟たちとの別れの場面もそうです。

 弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明(ありあけ)にて光おさまれる物から、不二の峰幽(みねかすか)にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつまじきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

  行(ゆく)春や鳥啼(なき)魚の目は泪

 是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。

 この「行春や」の句の「行春」は春は行き、人は旅立つという現実をさしています。一方「鳥啼魚の目は泪」はその現実に触れて芭蕉の心に湧きおこった鳥は鳴き魚は涙を流しているという芭蕉の想像、つまり心の世界です。

「草の戸も」の句も「行春や」の句も現実に触れて心の世界を開いた古池型の句ですが、どちらも現実、心の世界という順番で並んでいます。これは原因、結果の順にいう句です。

 これに対して本家本元の古池の句は心の世界を先にいって、次にそれを呼び起こした現実を添えています。これは結論(いいたいこと)を先にいってから原因(そのわけ)をいう句です。古池型の句といってもこのふたつがあります。

 少々先のことになりますが、芭蕉が平泉で詠む、

 夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡

 この句は現実の「夏草」を先にいって、心の世界である「兵どもが夢の跡」をあとでいっています。

 閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蟬(せみ)の声

 立石寺で詠んだこの句は心の世界である「閑さ」を先にいって現実の「岩にしみ入蟬の声」をあとでいっています。このように順番は逆ですが、どちらも現実に触れて心の世界を開いた古池型の句です。

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著者

長谷川 櫂(はせがわ・かい)
俳人。東京大学法学部卒業。読売新聞記者を経て俳句に専念。俳句結社「古志」前主宰、「ネット投句」選者、「季語と歳時記の会(きごさい)」代表。「朝日俳壇」選者、東海大学特任教授。俳論集『俳句の宇宙』でサントリー学芸賞(1990年)、句集『虚空』で読売文学賞(2003年)を受賞(ともに花神社刊)。『「奥の細道」をよむ』(ちくま新書)、『俳句の宇宙』『古池に蛙は飛びこんだか』(ともに中公文庫)などの著書がある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス 松尾芭蕉 おくのほそ道」(長谷川 櫂著)第1章より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*第1章~第4章における『おくのほそ道』原文の引用は、尾形仂『おくのほそ道評釈』(角川書店)に拠ります。また、ブックス特別章の『おくのほそ道』全文は、同書より許可を得て転載し、編集部で作成した脚注を加えたものです。なお、そのいずれについても、読みやすくするために句の前後を一行分あけました。他の引用は「新編日本古典文学全集」(小学館)、「日本古典文学大系」(岩波書店)、「古典俳文学大系」(集英社)に拠ります。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2013年10月に放送された「松尾芭蕉 おくのほそ道」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに「『おくのほそ道』全文」、年譜などを収載したものです。

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