ジョブ型雇用の限界? 世界は既に「スキルベースドハイヤリング」の時代へ 『転職2.0』著者・村上 臣
日本では「ジョブ型雇用」への移行がようやく語られ始めたが、世界の最前線は、すでにその一歩先へと向かっている。
それが「スキルベースドハイヤリング」。
AIによる能力評価やスキルの可視化が進むアメリカやヨーロッパでは、もはや「どんな仕事(ジョブ)をしてきたか」よりも、「どんなスキルを持っているか」が個人の価値を測る絶対的な基準になりつつあるのだ。
なぜ世界の企業は、ジョブ型雇用の「その先」を目指すのか。そして、AIが進化し続ける時代に、本当に求められる「スキル」とは。
この変化の潮流について、『転職2.0』の著者であり、LinkedInやGoogleで世界の採用を見てきた村上 臣さんに話を聞いた。
『転職2.0』著者
村上 臣さん(@phreaky)
青山学院大学理工学部物理学科卒業。大学在学中に仲間とともに有限会社「電脳隊」を設立。2000年8月、株式会社ピー・アイ・エムとヤフー株式会社の合併に伴い、ヤフー株式会社に入社。2011年に一旦の退職を経て、2012年4月に再びヤフーに入社、執行役員兼CMOとしてモバイル事業の企画戦略を担当。 2017年11月にビジネス特化型ネットワークのLinkedIn(リンクトイン)日本代表に就任。同社の日本語版プロダクトの改善やユーザー増加に貢献し22年4月退任。同月、グーグル合同会社入社。日本における検索の開発責任者として日本独自機能の開発や生成AI活用などに貢献。2024年11月スマートニュース株式会社にVP of Consumer Productとして入社(現任)株式会社ポピンズ 及び株式会社ランサーズの社外取締役ほか複数のスタートアップの戦略・技術顧問も務める。主な著書に『転職2.0』『稼ぎ方2.0』(SBクリエイティブ)『Notionで実現する新クリエイティブ仕事術』(インプレス)がある
目次
「履歴書」ではなく「スキル」で勝負する時代へ日本に根付くには? スキル採用の「現実的な入り口」終わりなき学びこそが、最大のスキルになるスキルは教えられるが、人間性は教えられない
「履歴書」ではなく「スキル」で勝負する時代へ
ーー今海外で主流になっている「スキルベースドハイヤリング」とは、どういった採用手法なのでしょうか?
個人の「学歴」や「職務経歴」ではなく、「実際に保有しているスキル」や「業務遂行能力」など、スキルそのものを評価の軸に据える採用手法です。日本ではまだジョブ型雇用も浸透しきっていないのでピンとこないかもしれませんが、グローバルな動きの中ではコロナ禍の2020年〜2021年頃より盛んに言われ始めています。
その仕組みとしては、まず素養のある方に対してオンラインのラーニングコースなどを提供します。そこでテストに受かった人はスキルが証明されたと見なし、書類選考をパスして企業の面接に進める形が主流です。
日本の新卒採用における「ポテンシャル採用」をイメージすると、分かりやすいかもしれません。「この人であれば、入社後に様々なことを素早く学び、すぐに戦力になってくれるだろう」と、いわゆる「地頭」を見込んで採用することがありますよね。
それと似た考えが、スキルベースドハイヤリングでも取り入れられています。人材が秘めるポテンシャルを「スキルの習得」で可視化し、より具体的で客観的な評価をするアプローチです。
ーー海外では「ジョブ型雇用」のイメージが強かったので、驚きです。
おっしゃる通り、日本以外の多くの国々ではジョブ型雇用が広く浸透しています。国による法規制はあっても、基本的にはアメリカのように「at will(任意)雇用」、つまり雇用主も被雇用者も、お互いがいつでも解雇ないしは退職を選択できる関係が前提です。
ジョブ型雇用では、ポジションごとにジョブディスクリプション(職務記述書)を作成し、それに合わせて採用するのが世界の主流でした。日本のような一括りの新卒採用はあまりなく、新卒であっても「アソシエート〇〇」といったジュニア向けのジョブに応募する形が一般的です。
ただ、こうした従来のジョブ型雇用の中で、グローバル企業は大きく二つの課題点と直面していました。
ーー具体的には、どのような?
一つ目は、採用における「バイアス」の問題です。
特に多国籍なヨーロッパやアメリカでは、ダイバーシティーの観点から「これまでの採用は本当に正しかったのか?」という問いが生まれました。具体的には、特定のマイノリティーがホワイトカラーの職に就きにくいといった、階級社会のような構造への問題意識です。
そこから、いかに採用者のバイアスを排除するかが大きなテーマになりました。分かりやすいケースで言えば「男女間のバイアス」が挙げられます。
それこそ、日本では履歴書に写真を載せる文化がありますが、海外では完全にアウトです。写真を見て「この応募者は男性だ(もしくは女性だ)」と分かると、採用担当者に無意識のバイアスがかかる可能性がありますから。
グローバル企業の多くは、いかにバイアスをなくし、あくまでも「その仕事ができるかどうか」にフォーカスして人材を見極める必要性に迫られているのです。
ーーなるほど。では、二つ目の課題は?
多くの先進国で共通している「人材不足」の問題です。
日本に限らず、先進国は軒並み少子高齢化が進み、労働人口が減少していますよね。中でも、テック企業のように次々と新しいスキルが求められる領域では、人材プールが限られ、採用競争が一段と激しくなっています。
そうした中で、多くの企業が「どうすれば人材プールを広げられるか?」と模索するようになりました。例えば、学習意欲の高い人材に6ヶ月ほどのトレーニングを提供し、自社に必要な水準まで育成するなど、これまで採用対象にしてこなかった層の人材を、自社の投資と努力で取り込もうとする動きです。
バイアスの排除と人材プールの拡張。主にこの二つをクリアするために、スキルベースドハイヤリングが誕生しました。
ーー実際に、成果が出ている事例はあるのでしょうか?
既にシンガポールでは国家レベルでスキルベースドハイヤリングを推進しており、社会に大きなインパクトがもたらされています。
2021年、LinkedInとシンガポール政府が共同で「Skills Pass(スキルズパス)」というプログラムを立ち上げました。これは、オンライン学習サービス『LinkedInラーニング』のコースを受けて一定の基準を満たせば、企業の面接に直接進めるという仕組みです。政府が企業に必要なジョブポストを募り、トレーニング費用は国が負担するといった形で進められています。
これにより何が起こったかというと、学歴がほぼ関係なくなったのです。
日本でいう中卒や高卒にあたるような方やブルーカラーの方が、就業後や休日に努力してコースを修了し、セールス職のアカウントマネジャーになる。そういったキャリアシフトが、続々と生まれています。
従来のジョブ型雇用ではジョブディスクリプションを重視するため、多くの場合、過去の実績によって判断が下される傾向にありました。そのため募集要項に明記されていなくても、「大卒以上」「コンピュータサイエンスの学位が必須」といった、見えないフィルターで多くの候補者が足切りされていたのが実態です。
スキルベースドハイヤリングは、そうした状況を大きく変えつつありますね。
日本に根付くには? スキル採用の「現実的な入り口」
ーースキルベースドハイヤリングは、今後日本でどれくらい普及すると思われますか?
日本の場合は「日本式ジョブ型雇用」と称されるほどですから、スキルベースドハイヤリングはおろか、グローバル基準のジョブ型雇用でさえ本格的には導入されないとも感じています。
雇用契約のあり方が海外とは根本的に違うので、ここが大きく変わらない限り、スキルベースドハイヤリングの浸透は難しいでしょうね。
ただし、人口減少が確定している日本にとっては、目先の評価云々の前に、いかに採用の人材プールを広げるかが最大の課題となります。遅かれ早かれ、今後スキルベースドハイヤリングが日本でも大きく注目を集めるのは間違いありません。
ーー日本の場合、導入する以前に解決すべき課題が数多くあると……。
少なくとも、履歴書に性別や年齢を書かなければならない現状は、改善の余地があると思います。
日本では、いまだに年功序列で年齢と共に給料が上がるという感覚が根強いですが、海外では30歳から60歳まで給料が変わらない人も珍しくありません。
アメリカをはじめとする諸外国は「給料を上げるにはポジションを上げるしかない」文化なので、ある程度のところまで行くと「私はこの仕事を極めたいので、これ以上の出世は望みません」という人が、ごく普通に存在するのです。
近年、日本でも若年層を中心にワークライフバランスを重視する人が増え、年齢に応じた出世を望まない方も見かけるようになりました。
この傾向が続けば、「同じジョブをずっとやり続ける」といった本当の意味での「ジョブ型雇用」、引いては職務遂行能力に基づく「スキルベースドハイヤリング」に近づいていくのではないでしょうか。
そうなれば、採用において年齢というファクターは、もはや意味をなさなくなります。「20代だろうが50代だろうが、この仕事ができるなら問題ない」といった形で、より本質的な評価につながりますね。
ーーではスキルベースドハイヤリングを取り入れたい場合、まずはどのようなアクションが有効でしょうか?
いきなり全ての採用手法を変えることは難しくとも、人材を見極めるフェーズで限定的に用いることは十分に可能だと思います。採用のミスマッチは、企業と求職者の双方にとって見過ごせない問題ですからね。
それこそ、まずは履歴書から性別や年齢の記載をなくしてみることも大きな一歩になるでしょう。一度それで採用を回してみて、結果が大きく変わったのであれば、従来の採用手法に大変なバイアスがかかっていたということです。
ちなみに、基本的にはジョブディスクリプションベースでスキルを分解していくので、スキルベースドハイヤリングに向いている職種とそうでない職種はあると思います。
セールスやマーケティング、ビジネスデベロップメント、カスタマーサポートといった職種は、このアプローチを適用しやすいですね。実際にシンガポールのSkills Passも、そうした職種からスタートしていきました。
終わりなき学びこそが、最大のスキルになる
ーースキルによるマッチングが採用の主流になっていくとしたら、個人にとって「リスキリング」の重要性が、これまで以上に高まっていきそうですね。
ええ。ヨーロッパやアメリカでは、シニアポジションにいる人でも、一度キャリアを中断して大学などに戻って学び直し、また仕事に復帰する動きが頻繁に行われています。
MBAがその代表例ですが、3ヶ月程度の短期プログラムも数多く存在します。転職を検討する際に、そうしたプログラムでスキルをアップデートしてから次の職を探すといった、一つのエコシステムが出来上がっているのです。
ーー一方で、AIが様々なスキルを代替している中、時間やお金をかけて習得したハードスキルの価値に疑問符もつきそうです。この点はいかがですか?
何もそれは、今に始まったことではないと思います。テクノロジーの世界は、常に変化が速いですから。
例えば、クラウドが出てきた時も全く同じことが起きました。かつてオンプレミス環境でサーバーを管理していたインフラエンジニアは、AWSのようなクラウドサービス上でデプロイしたり、CI/CDツールを使いこなしたりと、求められるハードスキルが大きく変わりましたよね。
今はAIがホットな話題ですが、こうしたスキルの陳腐化は、この業界ではずっと起こり続けているわけです。
だからこそ重要になるのは、いかに新しい知識を早く効率的に身に付けられるかという「キャッチアップ力」です。
ーー「学び続けられる能力」も、一つの重要なスキルである、と。
日本が伝統的に学歴を重視してきたのは、まさにそこを評価していた側面もあります。
「あの辛い受験勉強を乗り越えてきた人は、どんな状況でも自ら学び、成果を出せるだろう」という能力の証明として機能してきた事実は否定できません。統計的に、そうした人材の方が環境に適応しやすく、ハイパフォーマーになる見込みに基づいた、非常に合理的なシステムと言えます。(※注釈)
スキルベースドハイヤリングにおいてもその本質は変わっておらず、「学び続けられる能力を学歴以外の方法でどう見極めるか」という話に変わってきただけです。
ぜひエンジニア読者の皆さんには、本来の業務とは関係なくても、どんどん自分で新しいことを試して学び続ける力を伸ばして欲しいですね。
(※注釈)学びの環境に恵まれたかは家庭環境に依るところも多いので、この段階でもバイアスがかかっていることも事実でしょう
ーー今エンジニアが「学び直す」としたら、どのようなテーマが良いのでしょうか。
AIがソフトウエア開発のあり方を根本から変えている現状を踏まえると、これまで一部で「アカデミックすぎて実務に役立たない」と言われることもあった、IPAの情報処理技術者試験などの知識が重要になると思っています。
既存のコードを修正するのが主な仕事であれば、アルゴリズムなどのアカデミックな知識は、そこまで必要ないと感じる場面もあったかもしれません。ですが、AIがゼロから生成したものを正しく評価するには、その土台となる基本的な構造やロジックを理解する必要があります。
AI出力したコードに対して「あれ、これおかしくない?」と直感的に気付けるかどうかは、その人のベースとなるコンピュータサイエンスの基礎知識にかかっていると言っても過言ではないでしょう。
エンジニアの仕事が、コードを書くことからレビューすることに大きく変わりつつある今、アカデミックな原理原則の知識をリスキリングすることは、一つの効果的なプランだと思います。
スキルは教えられるが、人間性は教えられない
ーーSignalFireの調査では、AIの進化によってビッグテックの新卒採用が激減したというデータも出ています。このような時代に、企業がそれでも人を「採用する意味」は、一体どこにあるのでしょうか?
なかなか難しい質問ですね(笑)
厳しい現実からお話しすると、究極的には、企業は人を採らなくていいのです。
民間企業である以上、資本主義の論理で動きますから、いかに売上や利益を伸ばすかが目的です。そのために人が必要なだけの話であって、人が少なければ少ないほどコストは下がる。
それこそ、原価のほとんどが人件費であるテック企業にとって、経営からすれば人は少ない方がいいですよね。
現に、AI時代に最もインパクトを受けるのはホワイトカラーであり、IT業界はまさにその中心です。「今の組織サイズはもう要らない」となる企業は、これから多く出てくるでしょう。
これまでコーディングスキルを武器にしてきたエンジニアも、AIを巧みに使いこなす方向にシフトしていかないと、今のままでは仕事がなくなる可能性は十分にあります。
ただ、そんな時代だからこそ、AIにはできないことも浮かび上がってきます。それは「何をやりたいか」という「意志(Will)」の部分です。
プロダクトのビジョンや企業のミッション、つまり「我々は世の中のために、これをやるのだ」と宣言し、旗を掲げること。これは、AIには決してできません。
AIにプロンプトを投げれば、それっぽいビジョンの候補をいくつも出してくれます。でも「我々がやるのはこれだ」と覚悟を決め、みんなでそこに向かって走っていくことは、人間にしかできないのです。
ですからこれからの採用は、その意味合いが根本から変わっていくのだと思います。
単なる労働力の確保ではなく、その意志の旗の下に集う「ワンチーム」として、共に未来を創れる仲間を探す活動になる。その色が、どんどん濃くなっていくのではないでしょうか。
ーー社員全員が、さながらスタートアップのような当事者意識を持つイメージですね。
そうですね。AIがどれほど進化しても、最終的には人間同士が協働することに変わりはありません。だからこそ、すべての土台となるのは「人間性」です。
スキルは、入社後に教えることも、本人がキャッチアップすることもできます。しかし、その人の人間性や周りと気持ちよく働くための素養は、後付けの研修で獲得できるものではありません。
だからこそ、採用の段階で人間性を見極めることが、企業の未来を左右するのです。
ーーただ、人間性を見極めるのは一筋縄ではいかない作業ですよね……?
安易な第一印象で判断しないことに尽きます。
例えば「構造化面接(ストラクチャードインタビュー)」のように、全ての候補者に同じ構成の質問を投げかけ、面接官の主観やバイアスを可能な限り排除する。
そして、過去の経験における具体的な行動や思考の特性について、様々な角度から粘り強く質問を重ね、その人の本質を引き出そうとする努力が肝心です。
そう考えると、スキルベースドハイヤリングの流行が意味するものは、単に評価の軸を「経歴」から「スキル」に移すだけの話ではないのかもしれません。
学歴や職歴というノイズが取り払われ、個人のスキルが客観的に評価される。その土台が整って初めて、私たちは候補者の「人間性」そのものと、より真摯に向き合うことができるはずです。
文/宮﨑まきこ 写真/吉永和久 編集/今中康達(編集部)