上野『ひつじあいす』の赤字からの脱却劇。羊肉×クラフトビールで月商1,800万円!
コロナ禍は飲食業界に大きな打撃を与えたが、逆境をバネに新たな業態へと舵を切ることで活路を見出した店もある。総合居酒屋から自家醸造のクラフトビールと羊料理の専門店『シノバズブルワリー ひつじあいす(以下、ひつじあいす)』へと転換し、最高月商1,800万円を記録した長岡商事もその一つだ。同社の道のりは、代表・前川弘美氏の挑戦の歴史そのものだった。
3億5千万円投資も鳴かず飛ばず。月刊誌編集者が家業の飲食業界へ
『ひつじあいす』を運営する長岡商事の3代目、前川弘美氏。大学卒業後は服飾デザイナーとしてアパレル会社に勤務し、東洋医学関係の会社に転職。その後、月刊誌編集者として全国を飛び回るなど、飲食とは異なるキャリアを歩んでいた。
そんな彼女が飲食業界に踏み込んだのは、家業である長岡商事の経営が芳しくなかったからだ。昭和38年にオープンさせた純喫茶を皮切りに、居酒屋やシガーバー、ビアパブなどを手掛けてきた長岡商事。2004年に3億5千万円以上もの大金を投じ、エジプトをテーマにしたコンセプトレストラン『エル・ギーザ』をオープンするも、大不振に陥ってしまう。当時の売上は、4フロア・計130席の規模で1日数万円、多くても30万円程度。日々のマイナスが重なり、経営に関わっていた前川氏の兄が心を病んでしまうほどの危機的状況だった。
「何か手伝えることがあるはずだ」。そう感じた前川氏は、2006年に長岡商事に入社する。経理を担当し会社のお金の流れを学びながら、再建に着手。コンセプトレストランも内装だけに頼るのではなく、フードやサービス、イベントといったソフト面で魅力を高めようと、自ら衣装をデザインしたり、お金をかけずにできる面白い企画を考えたりと奔走した。
上野になかったワイン×ラムチョップ『下町バル ながおか屋』で盛り返し
転機となったのは2009年3月、『エル・ギーザ』を改装し新業態としてオープンした『下町バル ながおか屋』である。当時、会社の周囲からは『磯丸水産』のような浜焼きスタイルが時流だと勧められたが、前川氏は既存店の総合居酒屋とのバッティングを避けたいと思っていた。また、「夜のイメージが強いこの町を変えたい」という強い想いもあったという。
そこで、まだ上野では珍しかったワインを主体に据え、自身のフジロックフェスティバルでの原体験から「ラムチョップをかぶりつける店」というコンセプトを打ち出す。
しかし、66席33坪の店で始めたものの、当初の売上は1日3万円ほど。周囲からは「ワインもラムチョップもやめろ」と強い圧力を受けた。それでも諦めず、1周年記念に自作の「下町バル通信」という新聞を刷り、周辺地域に自らの手で配り始めた。ターゲット層を地元客にフォーカスした戦略が功を奏し、客足は増加。ついにはフジロックの出店担当者の目に留まり、フェス出店という夢のような話に繋がったのである。
コロナ禍で総合居酒屋が苦戦。「未来がないなら好きなこと」と羊肉×ブルワリーに着手
『ながおか屋』の成功で会社は盛り返したが、コロナ禍という新たな試練が到来する。特に、1階から3階まで150席を擁した大箱の総合居酒屋『和食バル さしすせそ』は深刻な打撃を受けた。宴会需要が完全に消失し、もともと高かったお客の年齢層も災いして客足が途絶えたのだ。目的来店が少なく、お客との絆が弱かったことが浮き彫りになった。
「このままパンデミックが明けるのを待つのか、それとも次の時代にチャレンジするのか」。自問自答の末、前川氏は「未来のことはわからないけれど、ワクワクしながらやりたいことにチャレンジする方を選びたい」と決意する。
コロナ禍で上野の町から人が消え、「このままでは町の生命力が失われる」という強い危機感を抱いていた前川氏。町の再構築には、不忍池という豊かな自然を活かし、「池から一番近い町」として昼の需要を取り込むことが不可欠だと考えた。その構想の核となったのが、クラフトビールだ。
コロナ禍の町おこしイベントで、前川氏は地ビール作りを提案。委託醸造で完成した「シノバズYELL ALE」を地域の飲食店に無償で配ったところ、大きな評判を呼んだ。
「この町にブルワリーがあれば、もっと面白くなる」。
長岡商事が長年営んできた『ビアハウス ホッペルポッペル』の店長だった上松貴昭氏の夢がビール造りだったこともあり、彼に醸造長を任せ、自社でマイクロブルワリーを設立することを決断した。
料理は、自身の原点である羊肉をさらに深めることにした前川氏。国内の羊農家を巡ると、生産量が少ないため、一頭買いでないと仕入れられないことを知る。ならばと前川氏はラムチョップに限らず、ニュージーランド産に加え、国内の羊農家からは一頭買いを行うことを決意。様々な希少部位の魅力を伝える羊料理専門店を目指した。
「流行るかどうかはわからない。しかしこの先の未来がないのであれば、自分の好きなことをやろう」。前川氏は半ばヤケっぱちな気持ちで振り切った結果、2021年12月、『ひつじあいす』はオープンした。
羊肉×クラフトビール特化で目的来店に成功し、最高月商1800万円に
オープン当初は醸造免許が間に合わず、半年間はフードのみで営業した『ひつじあいす』。不安な滑り出しだったが、「ジンギスカンではない羊料理を探してたどり着いた」という熱心な羊好きの客に支えられた。
ブルワリーを併設した1階、個室のある2階に加え、最近では売上好調につき、旧店舗の内装をそのまま残した3階の掘りごたつ広間も稼働させている。
商品開発では、羊の多様な部位を最適な調理法で提供することにこだわる。看板メニューの「ラムチョップ」は客数に対し91%という驚異の注文率を誇る。次いで人気の「ラムパッチョ」は、40%のお客が注文する逸品だ。自家製クラフトビールは常時4〜6種をラインアップ。中でも店名を冠したペールエール「ひつじあいす」は33.5%の客が注文するシグネチャービールとなっている。
結果は数字にも表れている。直近の平均月商は税抜きで1650万円。今年3月には過去最高の1800万円を達成した。客単価は約4,500円。社員比率の高い手厚い人員で、調理とサービスの質を追求し、顧客満足度を上げることで利益を確保する方針だ。
「チームが一番大切」。人を惹きつける魅力で、未来を醸造する
『ひつじあいす』としての今後の目標は、月商2,300万円の達成だ。最近、ビールの生産が追いつかなくなってきたため、新たな醸造所の設立も検討している。
「地域との連携もより深めていきたい」と前川氏。「しのばずホッププロジェクト」では、地域の企業や大学と連携し、『松坂屋上野店』などビルの屋上でホップを栽培。収穫した生ホップを使った限定ビールは、この取り組みの象徴であり、この取り組みで「緑の都市賞激励賞」を受賞している。また、醸造時に出る麦芽かすをコンポストバッグに入れておくことで堆肥を作り、ホップ栽培に利用するなど、サステナブルな取り組みにもより一層力を入れていくという。
赤字からの脱却、会社の立て直しをする上で何が大切か尋ねると「一番大切にしているのはチームワーク」と前川氏は断言する。先日、外部のコンサルタントから「今まで関わってきた会社で一番チームワークがいい」と評されたことが何より嬉しかったという。その想いは、「クラフトビールをやりたい」「羊が死ぬほど好き」と、それぞれの夢を抱いて入社してくる若い才能を惹きつけている。離職率が低く、辞めたスタッフがヘルプに来てくれることもあるというエピソードも、同社にかかわる人々の良好な関係性を物語っている。
総合居酒屋の苦境から、自身の「好き」を突き詰めることで生まれた『ひつじあいす』。その挑戦は、上野の町に新たな風を吹き込み、人を惹きつけながら、明るい未来を醸造し続けていくのだろう。
『シノバズブルワリー ひつじあいす』
住所/東京都台東区上野2-10-7
電話番号/03-3836-1901
営業時間/ 12:00〜23:00(L.O22:30)、金曜17:00~23:00(L.O22:30)
定休日/なし
坪・席数/3階建て30坪・124席