山を歩いて考えたこと。|BRUTUS「山を、歩こう。」発売トークイベントレポート
きっかけは、雑誌『BRUTUS』の「山を歩こう。」特集号
2023年6月23日、代官山にてとあるトークイベントが開催されました。音楽家の蓮沼執太さん、ライターで編集者の小林百合子さん、BRUTUS編集部メンバーとヤマップCEOの春山慶彦が、「山を歩いて、考えたこと。」をテーマに語り合うイベントです。
当イベント開催のきっかけとなったのは、雑誌『BRUTUS』で「山を、歩こう。」特集号が発売されたこと。蓮沼さんは特集企画で熊野古道を歩き、YAMAPは綴込み付録「これが私の ”山歩道” 」でコラボレート。小林さんは担当編集として複数の企画に携わりました。さらに、イベントの司会進行を務めるのは、BRUTUS副編集長の中西さんと編集部員の村田さん。
それぞれ違う背景、職業を持ちながら、「山を、歩こう。」特集号の誕生に携わった面々。彼らは、山を歩くことについて何を思ったのでしょうか。イベントの様子をレポートします。
蓮沼 執太(はすぬま・しゅうた)
1983年、東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織し国内外でのコンサート公演をはじめ、映画、演劇、ダンス、CM楽曲、音楽プロデュースなど、多数の音楽を制作。また「作曲」という手法を応用した物質的な表現を用いて、展覧会やプロジェクトを行う。
小林 百合子(こばやし・ゆりこ)
1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がけるほか、『BRUTUS』『&Premium』などカルチャー・ライフスタイル誌にも携わる。
春山 慶彦(はるやま・よしひこ)
1980年、福岡県春日市出身。同志社大学法学部卒業。アラスカ大学フェアバンクス校野生動物学部中退。 ITやスマートフォンを活用して、自然や風土の豊かさを再発見する仕組みをつくりたいと思い、2013年3月にヤマップをリリース。
「山歩」は新しい冒険のかたち
―今回の号の特別付録のタイトルにもなっている「山歩(さんぽ)」というキーワード。春山さんには特別な思いがあるそうですが、詳しく聞かせていただけますか?
春山:「山を歩く」と書いて「山歩(さんぽ)」。この言葉と一緒に、山を歩くことの楽しさを一人でも多くの方に届けたいと思いました。僕自身は20歳の頃から山登りをやっていて、それが2000年頃なんですけど、この20数年で「山を取り巻く景色や環境」はだいぶ変わったと思うんですね。
昔はだいたいグループで山に行っていたし、先輩についていくスタイルが多かったんですけど、今はソロで行く人も増えた。登り方も頂上を目指すだけではなく、長く歩くとかULだとか、楽しみ方も多様化しました。
登山アプリ「YAMAP」を運営する株式会社ヤマップのCEO・春山慶彦
春山:だけど「登山」という言葉が変わらないのが、ずっと気になっていたんです。「登山」って言ってしまうと、世代によってイメージするものが違いますよね。上の世代は植村直己さんとか星野道夫さんのイメージだったり、山岳部のイメージが強いんですけど、今の20~30代はもう少しライトに「山を楽しむ」とか「山の中でごはんを食べる」みたいな感じ。
だから新しい言葉を作って、山の楽しみ方を広げていったほうが実態に合うなと思って。いろんな方からご意見をいただいて試行錯誤した結果、「山歩(さんぽ)」という言葉になりました。すでにみなさんが実践しているさまざまな楽しみ方を紹介していきたい。「山歩」という言葉とセットで、山の多様な楽しみ方を世の中へ伝えていければ、さまざまな共感が生まれるんじゃないかなと思って始めました。
小林:私はかれこれ10数年、山の記事や本を書いています。山には登るんですけど、基本的に山小屋でお酒を飲んだりのんびりするスタイルが好き。だから、今回の企画のお話があったとき、私が今まで発信してきた山の楽しみ方を『BRUTUS』で表現できることにテンションが上がりました。春山さんとは歳も同じで、同じ時期にアラスカの大学に行っていたという共通点があって意気投合しましたね。
ライター・編集者の小林百合子さん。
小林:本誌の企画会議で「山頂を目指さない山歩きをメインコンセプトにしよう」と話していたとき、BRUTUSのある編集さんが「山頂に行かないんだったら何のために登るんですか?」と言っていて。「これはやりがいがあるぞ」と思いました。
春山:小林さんは、富士山の7合目までしか登らないという活動をやっていますもんね。
小林:はい、「7合目登山」というのをずっとやっています。それって「やるならてっぺん目指せ」みたいな、競争社会を生き抜いてきた人にはピンと来ないかもしれないけど。歩くという行為、過ごす時間自体に意味があると思うんです。その編集さんには「『山を登る』じゃなくて『山を歩く』がこの特集のキーワードなんですよ」という話をしました。
春山:そうですね。「山を歩く」がキーワードだと思います。僕は、山歩こそが21世紀の冒険だと思っています。冒険の形も20世紀から変わってきていて、誰も行ったことがない場所へ行くことよりも、精神性が重視されはじめている。自分の足元を見つめ直し、「ここが宇宙だ」という感覚で世界を捉える。それこそが21世紀の冒険だと思うんです。
―今号の取材の一番乗りは、小林さんが鈴木優香さんと行かれたヒマラヤ・ランタン谷でしたね。
小林:どこに行くのがいいか、誰と行くのがいいかはずいぶん考えました。友人で「マウンテンコレクター」という活動をしている鈴木優香さんが、少し前にヒマラヤのK2ベースキャンプに行って、帰ってきてからすごく落ち込んでいたんですね。
話を聞いてみると、「高山病にかかってしまい、思い描いていた登山ができなかった」と悔やんでいて。なによりも、「その登山は失敗だったんじゃないか」と言っていたんです。その言葉が、私はすごく心に引っかかって。登山に失敗ってあるのかな、とずっと自分の中で考えていました。
そんなとき、本誌の打ち合わせで、春山さんが「山はただ登るだけじゃなくて、歩くことで感性が開かれることに価値がある」とおっしゃってたんですね。それで、鈴木さんが歩くことで何か変わるんじゃないかなと思って企画を書きました。ヒマラヤの雄大な自然やそこに暮らす人々の息遣いと、旅を通して大切なものを取り戻していく鈴木さんの様子を記事にしてみたいと思ったんです。ひたすらに歩きつづけることで、山を歩く楽しさを思い出すんじゃないかな、と。
『BRUTUS』のYouTubeチャンネルで公開した「山を、歩こう。」の動画。カメラマン・野川かさねさんの写真と小林さんが撮った動画を、プロの映画監督が編集した。
歩くことは、体と心を自然に溶け込ませる営み
―ここで、今回の特集で熊野古道を歩いた音楽家の蓮沼執太さんにご登場いただきます。熊野を歩いてみていかがでしたか?
蓮沼:シンプルに、「もう一度行きたいな」と思います。1泊2日で中辺路というところを歩いたんですが、初日から予想以上にしっかり登る場所があったりして、「聞いてた話と違う!」と焦る場面もありましたけど(笑)。旅の全行程を振り返ると、やっぱり「もう一度行きたい」と思いますね。
音楽家の蓮沼執太さん
春山:日本にはいい山がたくさんありますが、いわゆる巡礼の道となると熊野古道がベストだと思います。道が世界遺産になっている場所は、スペインのカミーノ・デ・サンティアーゴと熊野古道の2つだけだったと思います。それぐらい人類にとって貴重な場所が、熊野古道なんです。
蓮沼:熊野古道がユネスコの世界遺産に登録されているのは知っていたんですけど、自然が世界遺産なんだと思っていたんです。だけどそれだけじゃなくて、「歩く行為と熊野古道の成り立ち、歴史的な背景をすべてひっくるめて文化遺産」と聞いて感激しました。たとえば車で熊野大社に行ってもいいんだろうけど、おそらく本当に必要なのは、歩くことによって体と心を自然に溶け込ませる営みなんですよね。
春山:僕は道フェチなので熊野古道はほとんど歩いたんですけど、一番のおすすめは、田辺から入って滝尻王子を歩き、熊野本宮大社まで行って、川を下って新宮市へ行くルートです。紀伊半島の歴史と自然を味わうのに一番適したコースだと思います。
小林:川はどうやって下るんですか?
春山:船が出ています。中辺路の全ルートは3泊4日くらいで行けます。3日、4日くらいの時間をかけるとリフレッシュされるというか、身体が入れ替わる感覚があります。
蓮沼:都市で生活する3泊4日と、熊野を歩いて過ごす3泊4日って、時間の流れが絶対的に違うと思うんですよね。熊野で過ごす時間は、まるで「精神と時の部屋」。熊野での3泊4日ならぜんぜんできると思います。
山歩と「からっぽ」
―春山さんがYAMAPを創業されたきっかけにも、「巡礼の道」が関係していたそうですね。
春山:僕はもともと写真家になりたくて、20代の頃から「巡礼」をテーマに写真を撮っています。巡礼って、人間の最たる特徴のうち2つが込められている、と思うんです。一つは歩くこと。これだけ二本足で長く歩くことができる生物って人間しかいないんです。もう一つは祈ること。自分以外の誰かを思うとか、自分が死んだあとのことまで考えることができる生物って人間だけだと思う。だから「歩くこと」と「祈り」が組み合わさった巡礼を撮れば、人間とは何か、人間をとりまく環境や風土を視覚芸術で表現できるんじゃないかと思って。
蓮沼:なるほど。
春山:なぜここまで「歩くこと」や「祈り」が、今の時代は、おざなりになってしまったのか。気になっていました。歩く行為を通して、社会や風景、風土を見つめ直したら、街で普通に暮らすのとはぜんぜん違った面が見えてくるんじゃないかな、と。そんな想いがあって、熊野古道を歩いたりしていたんです。実際、歩くことで世界の見え方が変わる体験をしてきました。だから、もっとさまざまな人にこの感覚を知ってほしいと思い、「歩くこと」をテーマにしたYAMAPの事業を始めたんです。
蓮沼:そうだったんですね。レベッカ・ソルニットというアメリカの作家兼アクティビストがいるんですけど、彼女も本の中で、歩くことでどんどん出会って繋がっていくことや、自分が中心となってボーダーを超えていくことについて描いています。自分の足で訪れて何かを感じて、また前に進んでいく行為は、登山だけじゃなくて人生においてもかなり大切なことじゃないかな。
小林:蓮沼さんは、熊野古道の森の中でフィールドレコーディングをしていましたよね。一体どういうときに音を録ろうと思うんですか?
蓮沼:理由はわからないけど、なにかを感じたときですね。おそらく自分でも気づいてない何かが起こっていて、「なんだこれ?」と感じたときに録ります。
小林:なんだかわかる気がします。鈴木さんとネパールを歩いたときも、最後に引き返す場所を決めるとき、彼女がなんの変哲もない場所で「ここが好きだからここで引き返したい」と言ったんです。それは自分の感覚かもしれないし、自然側から発信されたなにかを受け取ったのかもしれない。
春山:蓮沼さんは普段から創作中に歩くことが多いそうですね。
蓮沼:多いときは2時間くらい歩いています。歩くことで自分をどんどんマイナスにしていくというか、要はからっぽにしていくんです。そうすると変化に気づきやすくなって、考えが鮮やかに浮かんでくる。思考のリフレッシュになります。
春山:歩くことによってからっぽになって吸収しやすくなる?
蓮沼:そうですね。ある意味、フィールドレコーディングと一緒です。マイクとレコーダーって脳みそがないじゃないですか。結局、マイクをどこの位置に向けるかは人間が決める。その「人間」の部分をできるだけからっぽにして、自然に近い状態にしたいんですよ。
春山:蓮沼さんが「からっぽ」と言うように、僕も山歩きによって「透明になる」感覚があります。感性を外に開いて、自然や風景と一体になる感覚が山歩きを通して得られます。山で自分がからっぽになったときに思いつくことや思い出すこと、逆にどうでもよい小さな悩みだな、と気づくことがけっこうあります。なので、悩んでいるときや疲れているときこそ、山の中を歩き、自分をからっぽにするようにしています。今までを振り返っても、山を歩きながらで意志決定したことはそんなに間違ってないというか、悔いがない選択が多い気がします。僕は月に2回は山に行かないとアクが溜まる感覚がありますね。
小林:私は頭で考える癖がついているので、日帰りだとからっぽになれない。3日くらい必要かも。今回、ネパールを1週間ほど歩いたんですが、4日目くらいからやっと邪念が消えました。
イベント終盤ではスペシャルゲスト・雅楽奏者の音無史哉さんが、笙(しょう)を演奏。ゲストだけではなく、客席もその音色に酔いしれた
熊野を歩いているとき、木に見守られている感覚があった
―最後にQ&Aコーナーを設けたいと思います。質問がある方はどうぞ。
質問者:東京から1泊2日で行けるおすすめの山歩コースがあれば教えてください。
小林: 私は富士山ですね。富士登山って、ほとんどの人は5合目から登るじゃないですか。ところが、富士山は1合目から5合目までの森がとっても綺麗なんです。だから私のおすすめは、先ほどもお話ししたように、1合目から歩いて7合目の山小屋に泊まること。そして、夜に出発する人たちを横目に山小屋でぐっすり眠る。朝起きると誰もいなくなってるので、のんびりとご来光を見ることができます。ぶっちゃけ7号目からみても、山頂から見てもご来光の形は同じなんです(笑)。
質問者:歩くことによってからっぽになる感覚と近いものは、他にありますか?
春山:ヨガもからっぽになるというか、透明になる感じがあります。あと、サウナの外気浴。山を歩いたあとお風呂に入ってサウナに入ると、「ととのう」以上の感覚が生まれる感じがしますね。
蓮沼:熊野を歩いているとき、木に見守られている感覚があったんですね。なぜかと言うと、僕は39歳だから木々のほうが年上なんですよ。僕より長く生きている者たちに囲まれていると、なんだか安心感がある。
小林:私はヨガとか書道とか、からっぽになるためのアクティビティをいろいろ試したことがあるんですけど、ぜんぜんダメで。街だと自意識が邪魔してからっぽになれないんです。そこで編み出したのが海に潜ること。昔、登山家の方が「海に潜るのと山に登るのとはほぼ同じことだ」と言っていたんですよ。数年前に素潜りを始めたら、山に登るのとほぼ同じマインドになれることがわかりました。
質問者:9歳と5歳の子どもと山を楽しんでいます。山と子どもの関わり方について、皆さんはどうお考えですか?
春山:山は子どもたちの感性を解放するのに、うってつけの場所だと思います。ある人が「今の時代、人間が人間からしか学んでないのは、リスクでしかない」とおっしゃっていて、非常に共感しました。気候変動など自然が変化していく時代においては、人間以外から学ぶ自然教育や自然経験こそが、最先端の教育であり、必要な経験だと思います。
BRUTUS「山を、歩こう。」特集号を始め、YAMAPオンラインストアのオリジナルグッズも一緒に販売されていた。蔦屋書店3号館 1階 旅行フロア(期間:2023/6/15〜6/25)
「山を歩いて、考えたこと。」をテーマに語り合った1時間40分。山の経験も山との向き合い方も違う3人ですが、「山を歩くことでからっぽになる」という点では一致しており、それぞれの言葉にじっくり耳を傾ける姿が印象的でした。
山を歩いて感じること、考えることは人それぞれ。時間ができたらぜひ山を歩き、五感を研ぎ澄ませてみてください。
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