切ないメロディのロックバラード「恋の予感」を聴きながら、旭川で産声をあげたアマチュアバンド〈安全地帯〉と玉置浩二の歌唱力に酔う
「The Covers」というNHKの音楽番組は毎回好奇心をそそられる。先日はスペシャル版で「玉置浩二ナイト」が放送された。ゲストには、徳永英明、斉藤由貴、さかいゆう、後藤真希が出演。玉置とはお互いが尊敬し認めあう仲だという徳永英明は「ワインレッドの心」、斉藤由貴は玉置の提供曲「悲しみよ こんにちは」、さかいゆうは、玉置とビートたけしによる「嘲笑」を武部聡志によるオリジナルアレンジで弾き語り、玉置の作品が大好きだという後藤真希は、中森明菜への提供曲「サザン・ウインド」をそれぞれ歌唱、玉置の音楽や人柄に対するコメントもとても興味深かった。
玉置浩二は1982年に「安全地帯」としてメジャーデビュー、87年からはシンガーソングライターとしてソロでも活躍し、郷ひろみ、沢田研二、五木ひろし、松田聖子、本木雅弘ら数多くのアーティストへも楽曲を提供している。2024年大晦日のNHK紅白歌合戦では、特別企画枠での出場で「悲しみにさようなら」を歌ってくれた。キャンドルによる舞台の演出も幻想的で素晴らしかったが、最後はマイクなしで熱唱し、その声量と歌唱力に圧倒されたことも記憶に新しい。今や歌謡界の大御所的な存在となっていると言っても過言ではない。
歌い継がれる名曲が多い安全地帯(玉置浩二)だが、今回は筆者が、ドーナツ盤を衝動買いしてしまった「恋の予感」にふれてみたい。「恋の予感」は作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二、編曲:星勝/安全地帯によって84年10月25日にリリースされた。
テレビ画面に「島々が大人の顔を見せ始めた─ スーパースターのリゾート〝ハワイ〟」と淡々と語る男性のナレーションに「恋の予感」のワンフレーズが流れて来た。それはJALの「ハワイツアーキャンペーン‘84」のCMソングだったのだが、海辺にうつ伏せになって横たわる裸体の女性の後ろ姿とともに、艶っぽい男性の歌声にハッとさせられたのである。
まもなく「ザ・ベストテン」などの歌番組で見かけるようになると、ボーカルの玉置は、切れ長のアイメイクを施し、鬼気迫るように歌う姿が印象的だった。テレビ出演も慣れていないこともあったのかもしれない。ぎこちなく、人を寄せ付けないような雰囲気があり、神秘的なところも魅力に感じさせた。ロックバンドでありながら、直立不動で歌う姿は、「ニューミュージック界のクールファーブ(前川清か?)」なんていわれたこともあったようだ。
愛する女性の心が自分に向けられない、相手の女性はきっと都会的で優美な人なのだろう。その言葉にできない切なさが繊細なメロディで綴られていて、目を閉じて聴いているとその場面がうっすらと浮かんでくるようなロックバラードだった。
この曲がヒットしている頃だと思う。旭川出身の友人が「安全地帯の玉置浩二は父の教え子だったのよ」と話し出した。都会派バンドのイメージが強かったが、友人の一言から「安全地帯」に急に親しみを覚えるようになった。旭川と言えば私も好きな作家の三浦綾子が、『氷点』『続・氷点』『塩狩峠』『細川ガラシャ』『天北原野』『道ありき』などの名作を生み出した地でもある。私の中では、おおらかで、慈悲深い心をもつグループに変わっていったのである。
「安全地帯」は、玉置と中学生の同級生だった武沢豊と武沢の兄の3人でバンドを結成したことから始まる。現メンバーの矢萩渉、六土開正、田中裕二(2022年没)のほか、玉置の兄など何人かの入れ替えがあり、デビュー時は5人のメンバーに落ち着いた。
75年には学生服を着てヤマハポピュラーコンテスト(ポプコン)に出場。1位は中島みゆきの「時代」で75年の大会グランプリだった。「安全地帯」は北海道代表の2位、優秀賞だった。中島みゆきも、「安全地帯っていう恐ろしい中学生グループがいたのを覚えていますよ」とずっと後になって語っていたというから、中学生にしてかなりの実力があったのだろう。
玉置は高校に入学したものの、プロの音楽家を目指し1年で中退。旭川市郊外の廃農家を借りて、音楽専用スタジオに改装してバンド仲間と寝食をともにし、連日連夜練習と楽曲制作、録音に励んだ。約4年にわたる「合宿生活」の甲斐あって数々のコンテストで入賞を果たし、北海道で実力ナンバーワンのアマチュアバンドと言われるようになった。その頃メンバーが目指したのは、「旭川で音楽をつくり、旭川で演奏し、旭川で人を呼び込む」ことだったという。やがて旭川での評判を聞きつけ、訪ねてきたのが金子章平だった。金子はポリドールのディレクターで後にフリーとなるが、手がけたアーティストには、井上陽水、カルメン・マキ、加藤登紀子などがいる。81年、金子の紹介で「安全地帯」は井上陽水のバックバンドとして上京することになった。バックバンドだけでなくライブハウスツアーをやるようになると、噂を聞いたレコード会社のディレクターたちが訪れ、玉置は彼らの抱えているアーティストの曲の依頼を受けるようになる。「ワインレッドの心」が売れる前、岩崎宏美や高橋真梨子らのアルバム用の曲はかなりの数書いていたという。
「ワインレッドの心」(83年11月)は、4枚目のシングルである。それまでの「萌黄色のスナップ」「オン・マイ・ウェイ」「ラスベガス・タイフーン」は全く売れず、どうしたら売れる曲になるかを真剣に考えた末できたのが「ワインレッドの心」だった。作詞は井上陽水に依頼し、玉置は背水の陣で作曲に臨んだ。サントリーの「赤玉ワイン」のCMやテレビ出演で一気に火が付きオリコンチャート1位、「安全地帯」の代名詞のような曲になった。続く「恋の予感」「熱視線」「悲しみにさようなら」「蒼い目のエリス」「プルシアンブルーの肖像」「Friend」「好きさ」「じれったい」……とヒット曲が相次いだ。
作詞家、松井五郎との出会いも大きかったようだ。「恋の予感」は、はじめ松井も作詞に挑戦したが、20回30回と書き直したが通らず井上陽水が作詞したという経緯がある。松井と玉置のコラボレーションは、作詞と作曲だけにとどまらず、映画『プルシアンブルーの肖像』では玉置が主演をつとめ、これをきっかけに映画やドラマでも活躍するようになった。
「安全地帯」としては、活動を休止の時期もあったが、2013年には全国ツアーを開催し、韓国、香港、台湾でのアジアツアーも挙行した。今年も玉置とオーケストラによる「シンフォニックコンサート」は全国各地で予定されているが、軒並みチケットは完売だ。昨年、東京・芝のザ・プリンスパークタワー東京で開催した玉置のディナーショーは何と6万5000円という最高位の金額だった。
以前、韓国の人気俳優のファンミーティングに行ったが、「恋の予感」を日本語で心を込めて歌ってくれた。カバーは日本人アーティストばかりではない。「旭川で成功すること」を夢見た青年たちが、ここまで上り詰めた原点は、旭川での4年にわたる「合宿生活」であると、納得したのである。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫