見える「気がする」ものを詠むのも俳句──鴇田智哉さんの俳句コラム【NHK俳句】
『NHK俳句』テキストの連載「誌上添削教室」は、月替わりで3人の先生が解説を担当。読者の投稿句への講評と添削のほか、毎回ひとつのテーマで俳句を考えるコラムを掲載しています。
2025年4月号の先生は、俳人・鴇田智哉さん。今回は、「見える気がするもの」「そこにある気がするもの」を詠む俳句の表現について、鴇田さんの考察コラムをご紹介します。
見える気がするものを詠む
俳句には“見えるものやそこにあるものを詠む”という場合があります。たとえば、
つつつつと滑つて星の流れゆく
口閉じてゐる間に星の流れたる
智哉
のように、いわゆる「現実」を、あたかもそのまま写し取るように言葉にする場合です。一句めは、星の流れる様子をオノマトペを用いて表し、二句めは、流れ星と自分の口を組み合わせて表現しています。どちらも、登場するものは、見えるものやそこにあるものです。俳句を作るときの基本的な姿勢としては、この方法が有効だと私は思っています。
その一方で、俳句には、“見える気がするものやそこにある気がするものを詠む”という場合もあります。
ひるがほに電流かよひゐはせぬか
三橋鷹女(みつはしたかじょ)
“もしや昼顔には電流が通っているのではないか” 現実ではないことを、疑問の形を用いて表現しています。昼顔の花のうっすらとした色合いや、あたりに巻き付いている蔓(つる)のありよう。幻のような、夏の日差しの強さもあり、こう思ったのかもしれません。
鶏頭の濡れてゐるかに日を弾く
智哉
この私の句は、鷹女の句ほど現実とかけ離れてはいませんが、実際には濡れていないものを、濡れているように見えると表現しています。鷹女の句と私の句の違いのように、現実からの離れ具合は、句によって違うといえます。
先に私の流れ星の句を挙げましたが、同じころにできた句として、
裏側に隠れて星をとばす指
智哉
があります。流れ星を見ていて、なんとなく、空の裏側に誰かがいて、星を指で弾いているのではないか、という考えが浮かびました。そのことを句として書くと、こんなふうになりました。見えるもの、そこにあるものでは全くありませんが、見える気がするもの、そこにある気がするものも、こうして大真面目に言い切ってしまうと、句として成り立つ場合があります。
最後に補足です。今回、“見える・そこにある”という言葉で説明したことは、“聞こえる・匂う”など、他の感覚も含み得ます。
祝日もあると糸瓜にいはれたる
智哉
“聞こえる気がする”ものを詠んでみました。
『NHK俳句』テキストでは、鴇田智哉さんによる読者の投稿句への講評と添削例をご紹介。「今月の佳句」3点も発表しています。
講師
鴇田智哉(ときた・ともや)
1969年、千葉県生まれ。今井杏太郎に師事。「魚座」終刊後、「雲」編集長を経て、2015年「オルガン」創刊参加。俳句研究賞、俳人協会新人賞、田中裕明賞受賞。句集に『こゑふたつ』『凧と円柱』『エレメンツ』。
※記事公開時点の情報です。
◆『NHK俳句』2025年4月号「誌上添削教室」より
◆トップ写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート