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原爆の傷残る広島で育つ 「サヨナラ」言う度に痛む胸 栄区在勤 日浦美智江さん

タウンニュース

日浦さんと広島から運ばれた石碑

栄区などで障害者支援を行う社会福祉法人「訪問の家」の創設者、日浦美智江さん(86歳)は1938(昭和13)年に広島で生まれた。

やがて父の仕事のため台湾に渡り、そこで終戦を迎える。貨物船の船底に詰め込まれるように帰国したという。

広島に戻ると、祖父がいた廿日市に向かった。強く記憶に残るのはその道中で父がボソッと呟いた言葉。「島が見える」。広島市街の西側に位置する「己斐(こい)駅」(現・西広島駅)でのことだった。現在の地図では海岸から約6Kmの場所。だが、視界を遮っていた建物が原爆によって瓦礫と化したことで、瀬戸内海まで一望することができた。

その後は復興する広島と共に育った。「ビルが建ち、映画館が建ち1950年頃には復興していました」と回想する。学校も壁と屋根だけのバラック小屋だったが、2年ほどすると新校舎が完成した。「当時は活気があった。『泣いている場合ではない。生きなければ』という気持ちが街にあったと思う」。子ども心に熱気を感じていた。

だが、戦争の傷は影を落とし続けた。「学校には孤児院から通う子もいました。帰り際に『サヨナラ』と言う度に『ああ、この子は帰っても家に親がいないんだ』と思うと胸が痛みました」。

また、「原爆の子の像」建立のきっかけとなった佐々木禎子さんは家が近所だったという。禎子さんは12歳で白血病と診断され、闘病の末に亡くなった。「よく土の上を裸足で走っていた。あれが良くなかったんじゃないか…」。因果関係は分からないが、「靴を履かせればよかった」と悔いが滲む。

平和伝える石碑

同法人の敷地内には「朋」と書かれた大きな石碑がある。使われた石は平和記念公園にある広島原爆慰霊碑に使われたものの一部。慰霊碑改築を手掛けた(株)岩崎大理石の社長が日浦さんと高校の同級生だった縁で、寄贈されたものだ。

「この石を見ると平和について考える」と語るのは同法人職員の妹尾雅史さん。「法人理念に『誰もが健康で平和に暮らせる』という一文がある。障害者と関わると健康は意識しても平和は忘れがち。だが誰もが健康に暮らすには、まず平和でなければならない」と思い起こすという。

平和への祈りが込められた石は、復興と共に歩んだ日浦さんが創設した施設で、今なお、メッセージを発信し続ける。

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