ネットで評判の悪い候補者が、ふたを開けてみたら当選を果たすのはなぜ?「ネット世論」の実態とは
ネット上で多数派に見える意見や大きな広がりを見せた運動は、必ずしも実際の世論と相関しない。この乖離は、なぜ、どのように生まれるのか? X(旧Twitter)の膨大なデータに基づき、ネット世論の構造を徹底分析した谷原つかささんの新刊『「ネット世論」の社会学 データ分析が解き明かす「偏り」の正体』より、「はじめに」を全文公開します。
存在感を増す「ネット世論」
私は研究者になる前は中央官庁で行政官として働いていました。その際、学習指導要領(日本における小学校・中学校・高校のカリキュラムの基準)の改訂というホットなイシューに関わっていたこともあり、社会から多くのご意見をいただきました。マスコミからの取材をはじめとして、国会議員事務所や業界団体からの問い合わせ、時には一般国民の方から直接の要望や問い合わせもありました。しかし、ネット上の世論というのはあまり気にしていなかったように思います。2015年頃のことです。
しかし、最近行政官時代の友人に話を聞いてみると、政治家の先生方をはじめとして、政府全体としてネット世論を気にしているようでした。この10年間で、随分と「ネット世論」の影響力は大きくなったように思います。
テレビの報道番組における解説や、友人・家族との会話で、「ネットではこう言われている」という形で言説が紹介されることも増えました。それでは、そこで言及される「ネット」とは何なのでしょうか。また、何をもって「ネット」を代表させているのでしょうか。このように、世間で言われている「ネット世論」はイメージで語られがちです。そこで本書では、定量的なデータに基づいて、日本のネット世論の構造、分布、実態、影響を明らかにしていきます。
本書では、ネット世論の中でもX(旧Twitter)の言説を中心に分析しています。理由は、第一にその機能です。アカウント登録さえ行えば、誰でも気軽に自分の意見を世界に向けて発信できるという設計は画期的です。第二に、ユーザ数の多さです。2023年のデータによると、日本のXのアクティブユーザは6700万人で世界第二位です(*1)。ちなみに第一位はアメリカの9500万人、第三位はインドで2700万人です。アメリカと日本だけユーザ数が群を抜いています。なお、XやInstagram、YouTubeなどのメディアの総称について、日本では「SNS」と呼ぶことが一般的ですが、これは和製英語です(最近は英語圏でも通じるようですが)。従って本書では、世界的に標準的な呼称である「ソーシャルメディア」という言葉を使用します。
ネット上の意見と選挙結果は必ずしも一致しない
本文を先取りする形で少し本書のハイライトを述べておきます。2021年に行われた衆議院選挙の選挙期間中(2021年10月19日~10月30日)に、X上において自民党に言及した投稿は364万2551件ありました。そのうち、51.7%が自民党に対して否定的な見解を述べる投稿でした。一方で、自民党を応援する投稿は17.2%しかありませんでした。しかし選挙結果を見てみると、自民党は261議席を獲得し議席の過半数を確保しています。2022年の参議院選挙時も同様の傾向でした。
また、2023年に行われた大阪府知事選挙において、X上で吉村洋文現職知事に言及した投稿は18万8425件ありました。そのうち、約62.1%が吉村候補に対して批判的な見解を述べるものでした。一方で、吉村候補を支持する投稿は11.8%しかありませんでした。しかし選挙結果を見てみると、吉村候補は73.7%の票を獲得し圧勝しました。
以上の事例から分かるように、日本における政治コミュニケーションにおいて、ネット上の意見と選挙結果は一致しない傾向にあります。本書は、データを用いてそのからくりを紐解きながら、ネット世論とは何なのか、ネット世論とどのように向き合っていけばよいのかについて考えてみようという試みです。
もっとも、この原稿の最終チェックを行っている2024年現在は、自民党の政治資金問題が注目を集めており、同党に大きな逆風が吹いています。実際、4月28日に実施された衆議院補欠選挙で、保守王国といわれた島根県の選挙区で自民党は当選者を出すことができませんでした。また、2024年7月、この書籍が出版される直前に投開票があった東京都知事選挙では、ソーシャルメディアで切り抜きが拡散し、ネットユーザの支持を集めた石丸伸二氏の票が伸びました。現在ネットユーザである若年層が壮年層にさしかかり、政治に興味を持つようになり得る将来、状況は変わるかもしれません。ネット世論と社会の世論の関係は今変わりつつあります。次の選挙では、ネット上でアンチ自民党的なコメントが多数派になり、実際の選挙においても自民党が大きく議席数を失う可能性があります。その場合、本書は「ネット世論と選挙結果が一致しなかった時代の資料」として読まれるべきでしょう。
しかしだからといって、本書の知見が陳腐化するわけではありません。本文中で述べるように、ネット上の情報には様々な「クセ」があります。そうした「クセ」を知り、ネット世論と向き合うことはいつの時代においても大切です。
ネット上の「クセ」を解剖する
第1章では、そもそも「世論」とは何なのか、という議論から始め、従来の世論とネット世論の構造的な違いを詳しく論じます。それを踏まえ、これまで政治コミュニケーションでXがどのように使われてきたのか、ソーシャルメディアが人々に与える影響とはどのようなものかを多くの研究事例から整理します。
第2章では、実際に筆者が行ったデータ分析を詳細に解説します。事例としては、2021年衆議院選挙、2022年参議院選挙、2022年安倍晋三元首相の国葬に関するX上のログデータを用いて、ネット世論がどのような様子だったかを概観します。また、有権者に対するアンケート調査をもとに、Xユーザにはどのような特徴があるのかを明らかにします。本章では、X上の世論と実際の選挙結果が乖離していることに加え、X上の言説からその背後にいるユーザの状況を推測することの難しさが伝わればと思います。
第3章では、2023年大阪府知事選挙の際に行った大規模なアンケート調査から、X上で政治的な投稿を行う人の特徴を明らかにします。具体的には、X上に意見を同じくする仲間がいることが鍵になってきます。同時に、「沈黙のらせん理論」という世論に関する社会科学の理論を応用して、X上に偏った意見が集まるメカニズムを明らかにします。
第4章では、政治コミュニケーションの話題から少し離れて、2023年に話題となったジャニーズ性加害問題に関するXの大規模データを用いた研究を紹介します。この事件について、どのようにネット世論が盛り上がり、それが主流メディアに影響を与え、大きな渦となっていったのか、また、ジャニーズファンはどのような反応を示したのか、こうしたことについて、世論に関する社会科学の理論を参照しながらデータに基づいて分析していきます。
第5章では、ネット世論のバイアスを踏まえ、我々はどのようにネット世論と向き合っていけばよいのかを考えます。再び世論研究の様々な理論を参照しながら、多メディア時代における世論の特徴、メディアリテラシーなどについて論じます。
注意していただきたいのは、本書は、ネット世論は右寄りであるとか左寄りであるとか何かしら一貫した説明を提供しようとするものではありません。ネット上には、右寄りの人もいれば左寄りの人もいます。ただ、ネット上には一定の「クセ」があります。本書は、その「クセ」がどんなものかを明らかにして、それとどのように向き合っていけばよいのかを考えることを目的としています。
私はネットが大好きです。いい歳をして、毎日最低でも1時間はYouTubeやTikTokを視聴しています。ユーザが発信する情報にシンパシーを感じる時もあります。一方で、私は社会科学者です。客観的なデータや学術的な理論をもとに、事象を説明する義務を背負っています。本書を読むにあたっては、そうした葛藤をご理解いただければ幸いです。
*1 Statista. (2023). Leading countries based on number of X (formerly Twitter)users as of January 2023 https://www.statista.com/statistics/242606/number-of-active-twitter-users-in-selected-countries/
谷原つかさ(たにはら・つかさ)
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。国際大学GLOCOM客員研究員。専門は計量社会学、メディア・コミュニケーション論。2018年関西社会学会大会奨励賞を受賞。著書に『〈サラリーマン〉のメディア史』(慶應義塾大学出版会)、『消費と労働の文化社会学』(共著、ナカニシヤ出版)など。