30代にもなって学歴マウントはありえへんやろ。成果で語れよ。
もう随分と昔のことだが、友人と飲んでいた時のこと。
酒を過ごした彼から、こんな本音を聞くことがあった。
「桃野さん、聞いて下さいよ。私の上司、関西の私大出身なんです。言うことに知性を感じられませんし、部下としてやってられないんですよ」
そんなことをぶちまける彼は、国内屈指の一流国立大出身。
3つ年上で“格下大学”出身の上司のことが、とにかく気に入らないという。
「悪いな、全く理解できへん。学生時代の合コンアピールならまだしも、30代にもなって学歴マウントはありえへんやろ。成果で語れよ」
「そんな正論、わかってますよ。じゃあなんで会社は、就活の時に学歴でフィルター掛けるんですか?一流企業が皆、偏差値の高い大学から採用するのは、優秀な学生が多いからですよね?」
「そんなデカい主語のことはわからへんわ。ただ、多くの企業が偏差値で学生を足切りしてる現実があることは知ってる」
「ごまかさないで下さい。つまり学歴は、優秀さを客観的に示すものってことじゃないですか。なのになんで最近、学歴を否定するような風潮があるんですか?不公平だと思うんです」
そう言うと彼は、自分がどれだけ勉強を頑張ったか。
努力の末に大学合格を勝ち取ったのかを、少し呂律が回らない口で熱心に語り続けた。
しかし言うまでもなく、ビジネスパーソンに求められるのは成果であり、学歴などではない。
ではなぜ、多くの企業では“学歴フィルター”で足切り採用をして、優秀さのモノサシにするのか、その一方で、就職したらなぜ学歴はリセットされてしまうのかという彼の不満を解消してやる言葉は、簡単に見つかりそうになかった。
そんなことで、当日は悪酔いした彼を家と反対向きの電車に蹴り込んで、お開きにした。
あの時、いったいどんな言葉をかければ、彼は現実を素直に理解し受け入れることができたのだろうか。
「未来の証明ではない」
話は変わるが、自衛隊をはじめ諸外国の軍事組織には、「チャレンジコイン」という文化がある。
使い方は様々だが、例えば、正式な表彰基準を満たさない、しかし一生懸命頑張っている下士官や兵を、指揮官が個人的に顕彰する場合に、あるいは民間人や海外の軍人などに、親愛の証として、高位にある軍人がそっと手渡すコインだ。
おしゃれな人の場合、別れの握手の時にそっと握らせて、笑顔で去っていったりする。
私自身、初めて貰った時には涙が出るくらいに嬉しく、心から光栄であったことを今もよく覚えている。
そして1年ほど前のこと。
チャレンジコインと同じか、ある意味でそれ以上に感動する“贈り物”を、ある下士官からもらうことがあった。
画像:北部方面総監(当時)のチャレンジコイン(名前を消す加工をしています)
私には心から自慢できる、最高の友人がいる。
その一人、北海道の陸上自衛隊で2等陸曹として活躍する40代の友人と、旭川で飲んでいた時のこと。
「桃野さんに、貰って欲しいものがあるんです」
「なんですか急に、改まって」
「スキー徽章です。もうそろそろ外そうと思っているんです」
そう言うと彼は、少しメッキが剥がれかけた、年季の入った徽章をポケットから取り出す。
なお徽章とは、「どういった技能・資格があるか」を示す勲章のようなバッジだ。
彼は現場で汗を流す下士官であり、長年の積み重ねの末に掴み取った資格であることは容易に想像がつく。
「貰えません、こんな大事なもの!」
すると、一緒に飲んでいた上司の幹部自衛官が会話に参加する。
「桃野さん、冬季レンジャーってご存知ですか?」
「はい、レンジャーの雪山版ですね。世間ではレンジャー訓練の過酷さばかり強調されますが、私は冬季レンジャーのほうが恐怖を感じます。あの訓練は本当に震えます…」
「彼はその冬季レンジャーで、スキー教官にスキーを教える資格を持つ、数少ない有資格者です。いわば、レンジャー教官を育てる先生です」
「本当ですか、それはすごい…。今まで知りませんでした」
「その彼がスキー徽章を外す想いを、もう少し聞いてやって下さい」
すると彼は要旨、以下のようなことを聞かせてくれた。
自分がいつまでもそのポジションにいたら、後進が育たないこと。
もう自分は、伝えられることの多くを後輩に伝えたので、そのポジションを担い続けることは適切ではないこと。
加えて、自分はこのポジションで仕事をするほどには、もう若くないと思っていることなどだ。
そして最後に、こんなことを付け加える。
「それから、これが一番の理由なのですが」
「…なんでしょう、ぜひ聞かせて下さい」
「徽章って、過去にできたことの証明ではありますが、未来にできることの証明ではありません」
「…」
「だからこそ、いつまでも過去の実績にしがみついていてはダメなんです」
「…はい」
「だからといって、その価値がわからない人に徽章をお渡しするのは、惜しいじゃないですか。だから桃野さんに貰って欲しいんです(笑)」
ヤバい、涙腺が崩壊しそうである。
最高幹部のみが行使できる「チャレンジコイン」という文化は確かに尊いし、頂くことが光栄であることは間違いない。
積み上げた年月が形になったものであり、血と汗と涙の結晶のコインだからだ。
その一方で、2等陸曹から頂いたスキー徽章は、彼の血と汗と涙そのものである。
メッキがところどころ剥がれ、年季が入っていることこそ、この世に2つとは存在しない彼の人生を象徴している。
そして何よりも、これを託してくれた時に聞かせてくれたこと。
「過去にできたことは、未来にできることの証明ではない」
という言葉は、心に深く刺さった。
当たり前といえば当たり前なのかも知れないが、その言葉とともに徽章を手渡してくれた日のことを決して忘れない。
来月、旭川でまた一緒に飲む約束をしているが、その日が今からとても待ち遠しい。
“自分にしかできないこと”
話は冒頭の、昔の友人についてだ。
学歴に“誇り”を持ち、「過去の努力を否定されるような空気感は不本意」と考える彼に、何を伝えるべきだったのか。
敬愛すべき友人の話を引き合いに出した後で多くの言葉は要らないだろうが、そうもいかないので少しだけ言語化してみたい。
彼にとっておそらく、大学に入学すること、もしくは一流企業に入社することは、それそのものが目標でありゴールだったのだろう。
そのため、その目標を達成したら順調な成功が約束されているはずと思っていたのに、そうはならない現実とのギャップに当時、少しずつ苦しみ始めた頃合いだったのではないだろうか。
30代になり、キャリアが少しずつ見通せ始めた時期だったのでなおさらだ。
もちろん彼も、理想と現実のギャップにかなり早くに気が付き、適応する努力をしていたであろうことは容易に想像がつく。
その一方で、彼と2等陸曹の友人には、決定的な差がある。
彼は自分の利益、すなわち部分最適を考えて仕事をしていたのに対し、陸自の友人は組織の全体最適を考えて、仕事をしている。
もっと卑近な言葉で言えば、利己的か利他的かの違いだ。
そして興味深いことに、利己的な仕事をするビジネスパーソンは多くの場合上手く行かず、利他的な仕事をするビジネスパーソンは、本人が望まなくても周囲から必要とされ、成功する。
なぜそんなことになるのか。
自分の利益を最大化しようとする人は、仕事を抱え込み、属人化させ、“自分にしかできないこと”を作り出そうとするからなのだろう。
言い換えれば、仕事で得たノウハウは自分の独占的な資産と考えているということだ。
しかし考えてみてほしいのだが、属人化で抱え込んだ作業が生み出す利益など、会社にとって大した利益など生むものではない。本人の給料くらいは賄えるだろうが、チームを任せるような付加価値を生み出さず、昇進・昇給の余地はかなり狭い。
それに対し、仕事を抱え込まずノウハウをどんどん周囲に渡し、後進を育てられるビジネスパーソンは、いくらでも新しい付加価値を生み出し続ける。
「過去にできたことは、未来にできることの証明ではない」
という事実をよく知っていると言い換えてもいいだろう。
「一流大学卒業」という“実績”を手放せない友人と、陸自の友人の構図は、まさにこれではないのか。
とはいえ、仕事を属人化させ利己的になろうという想いは、理解できる。
多くの場合、日本の会社組織、とりわけ中小企業やその経営者は極めて利己的であり、利他的な社員に報いるような仕組みもなければ、下手すれば損をさせる仕組みで回っているためだ。
そんな組織では、“自分にしかできない領域”を作り込んで、利己的な既得権益を作ろうとするに決まっているではないか。
そしてそれこそが、無能な経営者しかいない日本社会が持つ、根本的な病理なのだろう。
心から自慢できる陸自の友人が優秀であることに、疑いの余地はない。
しかしだからといって、 “利己的な” 昔の友人が無能でできの悪いやつだったなどと、結論づけるつもりもない。
彼自身もきっと、無能な経営者やリーダーの被害者なのだから。
ぜひ、リーダーと呼ばれるポジションに居る人、とりわけ経営者には、そんな事を考えてほしいと願っている。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
カッコいい書き方をしましたが、2等陸曹の友人と飲んだ時はいつも、肩をガンガンぶつけ合ってバカみたいな飲み方をしています。
X(旧Twitter) :@ momod1997
facebook :桃野泰徳
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