街の鼓動を取り戻す~街ごとをホテルにする「SEKAI HOTEL」という実験~
観光客のすべてが「観光客として扱われたいわけでない」。
そんな仮説に対して、実直に向き合っている会社がある。“旅先の日常に飛び込もう”をキーワードに、まちをホテルに見立てた「まちごとホテル」というスタイルを提唱しているSEKAI HOTEL株式会社だ。
大阪府の布施商店街(東大阪市)に構える「SEKAI HOTEL 布施」は、まさに大阪の下町をそのまま堪能できる仕組みとなっている。朝食には近くの純喫茶を訪れ、昼間は商店街に入る老舗パン屋や精肉店のコロッケを堪能。木の風呂桶を持って地元の銭湯へ行けば、地元客で賑わう居酒屋へも。まさに地域の日常に飛び込むことができるのだ。
このモデルを支えるのが、LINE公式アカウントを使った宿泊者との繋がりであり、SNSでの集客である。デジタルとアナログが越境し合う仕組みのカラクリについて、同社代表取締役・矢野浩一氏に聞いた。
宿泊の概念を変える、まちごとホテルという挑戦
まずは、SEKAI HOTELの親会社で不動産を営む、クジラ株式会社について。矢野氏が同じく代表を務める同社は、不動産だけでなくデザイン・建築を担うプロフェッショナルが集い、「ワンストップリノベーション」を可能としている。
一般的に別物として捉えられがちな不動産と建築。お客さんが満足できる空間をつくり、感動や居心地の良さを生むには不動産も重要だが、高いデザイン性も欠かせないのが、多様化した昨今の需要だ。そういった要望と時代を鑑みると「不動産と建築を切り離してはいけない」、これが同社の哲学となっている。不動産+建築の多くの実績があるなか、同社がリリースした「SEKAI HOTEL」のあり方は、日経優秀製品・サービス賞2019で「日経MJ賞・最優秀賞」を受賞。2020年には「Human City Design Award ファイナリスト」に選出され、最近では、2025年2月に「ふるさとづくり大賞(総務省)」団体賞を受賞している。
2018年、大阪・東大阪に誕生したSEKAI HOTELは、既存のホテルとは全く異なる形をとっている。宿泊施設となるのは、商店街の空き家やテナントをリノベーションした客室だ。食事は地域の飲食店で、大浴場は地元の銭湯を利用する。宿泊者は、まるでその街に暮らすように滞在することができるのだ。
宿泊客はチェックインと共に、LINEの友達追加でホテルと繋がり、宿泊情報をはじめ、スタッフおすすめの“布施の日常”を感じられるお店の紹介や、その営業時間などが確認できる。
「食べ歩きがしたい」「呑み歩きしたい」「美味しい夜ごはんが食べたい」「1人で満喫したい」「お土産を買いたい」など、初めてこの地に訪れるお客さんの要望を先回り。提携しているお店を紹介しているだけではなく、スタッフが感じた“地元の良いところ”を、そのままレコメンドしてくれる。bot対応だけでなく、スタッフがリアルタイムで困りごとに対応してくれることも喜ばれているようだ。
「LINEを活用したお宿は、まだそうないのかもしれませんね。ただ、お客様の属性などを考えると、付かず離れずの距離感でおもてなしさせてもらう準備も必要かと思います。これまで宿泊前に(どのような内容か確認)プレゼントを送って現地を堪能してもらうなど、宿泊する期間以外にも楽しんでもらえるよう考えてきました。LINEだと、宿泊後にもコミュニケーションの障壁が低いようで、いろんなコメントが届くようになりました。布施という地域をデザインしていくには、宿泊中の“旅ナカ”だけでなく、“旅マエ”“旅アト”も大切にしたいのです」(矢野氏)
「より深く地域を発信」外注せずに自前で運用するSNS
お客様と近い距離でいるために、外注しがちなSNS運用はすべて自前で取り組んでいるという。2020年に開始したInstagramは、地道な投稿を続け、フォロワー数が20,000人近くに。自前にこだわる背景には、地方創生のジレンマがあったと矢野氏。そこにはトレードオフな関係性があった。
「インフルエンサーと呼ばれる方は、オンライン上で強い影響力を持っていますが、出身地域や特別関わりがある地域以外のオフラインな場所に訪れても、その魅力に深く踏み込めないことがしばしばありました。一方で、地域に踏み込めている人は、今度は影響力・発信力を持っていないことが多いのです」(矢野氏)
この状況下で矢野氏が目指したのは、後者の発信力を育てるということ。
「たとえば町工場の人が、作業している風景を発信する場合。これまでの制作の道順だと、カメラの上手なインフルエンサーをピックアップして、市役所に企画を通して、制作会社をアサインして……。それだけでも大変ですが、実際に現場で何度も作業員にリテイクしてもらう必要があり、クリエイティブが安定しません。でも、地域にいるスタッフが既に関係性を構築できていれば、交渉コストが省かれますし、従業員も自然体でいられます。スピードもクリエイティブもずっとパフォーマンスが高いのです」(矢野氏)
クリエイティブをデザインしていくには、地域スタッフのスキルアップが不可欠。SEKAI HOTELに関わるスタッフは、まずカメラが手渡される。地域を練り歩き、撮影を通して、その街にある“日常”を切り取る訓練をするのだ。部外者が撮ったような写真ではなく、きちんと地域の中に入った絵が評価されるとのこと。デジタルでありながらも、アナログな部分も評価する姿勢がここにある。
アナログだからこそ体験できた「銭湯での交流」
思い出すと矢野氏の目尻が下がるエピソードがある。とある就活生が、SEKAI HOTELを利用した時のことだ。皆、共通のパスポートを持って地域を回るため、地元でのSEKAI HOTELの認知は広がっている。そこは人情の街、行った先で様々な交流が生まれるというのだ。
就活生が銭湯に行った時には、そばにいた地元の女性客から声をかけられた。最初はSEKAI HOTEL宿泊について、それがいつの間にか人生相談に広がった。就活というライフイベントの真っ只中で、ましてや泊まりがけでの挑戦だ。不安や心配で溢れるのも無理はない。そんな就活生の思いをすべて受け止めたのがその女性だ。
「すべての話を聞いてくれて、最後には『あんたなら大丈夫や!』と背中を押してもらえたと。僕もまったく存じ上げない方なんですが、いかにも大阪のおばちゃんぽいエピソードだと感じました。一方で、その就活生にとって良い機会になったとも聞いています」(矢野氏)
まち(商店街)のまるごとホテル化を目指す同社は、常に地元の方々と細やかなコミュニケーションをとっている。商店街に入っているお店だけでなく、地域の住民もまたその仲間でもある。SEKAI HOTELのお客さんとなれば、声をかけやすいのだろう。この2人の接点をつくったのは、紛れもなくSEKAI HOTELである。
ぶつかった初期の困難と勇気をもって挑んだ再構築
オープン当初、ゲストの反応は好意的だったが、コンセプトの浸透には課題があった。「清潔で安価」「スタッフが親切」といった評価が並ぶ一方で、「旅先の日常に飛び込む」という理念はうまく伝わっていなかったのだ。
SEKAI HOTELはこの問題に真正面から向き合うことになる。チェックイン時の説明を見直し、ゲストがよりスムーズに地域と関われる仕組みを設計。公式サイトやSNSのビジュアルを刷新し、世界観を明確に発信。そして何より、スタッフが地域を深く知るための研修を重ねたのだ。
また、地域住民とのつながりをさらに深めるため、商店街の店主たちとの定期的な意見交換会をもった。地域での受け入れ体制を強化し、ゲストがより温かく迎えられる環境を整えたのだ。
加えて、SEKAI HOTELは、地元商店の活性化のために「まちぐるみのパートナープログラム」を導入。宿泊客が特定の飲食店や店舗を利用すると特典が得られる制度を設け、商店街の活気を取り戻す試みも実施した。
様々な施策を実施するなかで2022年にはNPS(顧客推奨意向度)49.8ポイントを記録し(2024年は34.5ポイント)、宿泊単価も向上している。こういった取り組みが、地域住民との関わりを深め、SEKAI HOTELを次のステージへと押し上げたのだ。
ふと思う「旅の本質」とは一体なんなのか
ラグジュアリーとは、単に高級な空間やサービスを指すものではない。SEKAI HOTELが提供するのは、「心を動かす出会い」という、旅の本質的な贅沢である。
ゲストの声が、その証拠となる。
「商店街で出会ったおもちゃ屋の店主と語らいながら過ごした時間が、何よりの思い出になりました。」 「地元の銭湯で、常連のご老人に昔話を聞かせてもらいました。」
こうした交流が、旅人にとってかけがえのない経験となるのだ。そして、地域住民にとっても、訪れたゲストの姿は、自らの街の魅力を再発見する機会となる。
また、SEKAI HOTELでは、フロントがカフェでもあり、地域住民とゲスト、またはゲスト同士が交流できる場にもなっている。さらに、観光客が地域住民の生活により深く溶け込めるよう、地域の職人とのコラボレーションも進行中。ゲストが地元の食材を使った料理を学ぶ体験型イベントや、職人と共に伝統工芸を作るワークショップなどの実施も構想している。
「このホテルには、伝統的なホスピタリティの概念はありません。その代わりに、掲げられたのは「フレンドシップ」という思想です」(矢野氏)
宿泊者、地域住民、スタッフ——三者が対等かつ友好的な立場で交わり、共に街を楽しむ。そうした関係が築かれたとき、SEKAI HOTELは真の意味で“まちごとホテル”となるのだ。
「旅先での何気ない交流は、何年経っても心に残ります。SEKAI HOTELが生み出した体験は、その街を訪れた人々にとって、単なる旅の一場面ではなく、人生の記憶の一部となってくれれば嬉しいですね」(矢野氏)
境界を越え、心をつなぐ。SEKAI HOTELの目指す未来は、その名の通り、国境のない世界——“No Border”なセカイだ。
施設概要
SEKAI HOTEL Fuse
大阪府東大阪市足代1-19-1
06-6748-0750
カフェ営業時間:13:00 ~22:00
チェックイン対応時間:15:00~22:00
休館日:水・木曜
※状況により、予定なく休館日が変更になる場合がございます。
なんば駅(道頓堀周辺)から電車で10分
近鉄大阪線・奈良線「布施駅」より徒歩約5分
大阪メトロ千日前線「小路駅」より徒歩8分
※専用・提携駐車場がございません。
https://www.sekaihotel.jp